★梅雨さむし鬼の焦げたる鬼瓦 加藤楸邨
「広島」という前書きがある句。1970年の句である。「鬼の焦げたる鬼瓦」とは、原爆の熱風で焦げた鬼瓦である。ここで「梅雨さむし」は、焦げた鬼瓦を見てその熱のすさまじさにあらためて驚愕して背筋が寒く感じた、ということなのか。あるいはあくまでも「さむし」で切れているのだから、現在と、過去の記憶のある事物の取り合わせなのか。
わたしは「梅雨さむし」にも「鬼瓦」にも現在と過去を投影して、時空を飛翔しながら「ヒロシマ」を思う。「薔薇のかげまぼろしはみな手を伸べて」も同時期の作。
1970年、私が学生になった年。そのころ大江健三郎の「ヒロシマノート」(岩波新書、1965)は学生の必読書であった。理学部の学生のわたしも先輩に進められて読んだが、心に響いてこなかった。二度目に目にしたのが1978年頃だたと思う。とても衝撃を受けた。しかし広島を訪れたのはそれからさらに10年近く経ってからのこと。子どもと妻とともに8月中旬の暑いさ中に平和公園と平和記念資料館を訪れた。