14日は、横浜市歴史博物館に「古代の役所と地域社会-誕生!古代よこはまの郡家(ぐうけ)-」を見に行く。
律令制度下の地方組織、国庁の跡や構成、国分寺・尼寺の位置の解明も不完全だが、郡家についてはさらに未解明。ようやく最近租庸調などの実質的な賦課と収納に関して実質的に取り仕切ったのが、郡であること、国司のように中央からの派遣ではなく、地域の支配層がなったこと、それは国造の系譜を引く者であったことなどが解明されてきているらしい。
その意味で現横浜市域を範囲として具体的な郡家の跡の調査や、それに先立つ5・6世紀代の古墳群との関係を示唆した展示は興味深かった。これは無理なのかもしれないが、欲をいえば・6世紀代の古墳群と郡家との関係など、われわれ素人にももう少し整理された形で提示してほしかった。あるいは私の理解力がなく、展示だけで理解できなかったのかもしれない。
今回の展示では郡庁の中では館が郡内に複数あったことは初めて知った。
10世紀前半には郡家が解体したこと、それ以降「富豪の輩(ともがら)」が台頭し新しい「館」が現出すること、新しい郡の支配制度にかわり、兵の台頭へとつながる、とのエピローグで締めくくられていた。
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律令制度下の地方組織、国庁の跡や構成、国分寺・尼寺の位置の解明も不完全だが、郡家についてはさらに未解明。ようやく最近租庸調などの実質的な賦課と収納に関して実質的に取り仕切ったのが、郡であること、国司のように中央からの派遣ではなく、地域の支配層がなったこと、それは国造の系譜を引く者であったことなどが解明されてきているらしい。
その意味で現横浜市域を範囲として具体的な郡家の跡の調査や、それに先立つ5・6世紀代の古墳群との関係を示唆した展示は興味深かった。これは無理なのかもしれないが、欲をいえば・6世紀代の古墳群と郡家との関係など、われわれ素人にももう少し整理された形で提示してほしかった。あるいは私の理解力がなく、展示だけで理解できなかったのかもしれない。
今回の展示では郡庁の中では館が郡内に複数あったことは初めて知った。
10世紀前半には郡家が解体したこと、それ以降「富豪の輩(ともがら)」が台頭し新しい「館」が現出すること、新しい郡の支配制度にかわり、兵の台頭へとつながる、とのエピローグで締めくくられていた。
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