★「図書3月号」(岩波書店)読了。
①「なにもないことの豊かさ」(原研哉)
「(室町幕府8代将軍義政の治世下、京都が焼かれる応仁の乱以前)それまでの日本の美術・調度は決して簡素なものではなかった。‥日本は案外と絢爛豪華な文化の様相を呈してきていたはずである。‥それらの文物を集積してきたメトロポリス京都の消失を目の当たりにした人々の胸にどのようなイメージが渦巻き、どのような達観が生成したかは今日知るよしもない。‥究極のプレーン、零度の極まりを持って、絢爛さに拮抗する、まったく新しい美意識の高まりがそこに生まれてきたのではないか。渡来の豪華さの対極に、冷え枯れた素の極点を拮抗させてみることで、これまでにない感覚の高揚を得ることができたのではないか。なにもないこと、「エンプティネス」の運用がこうして始まる。そういう美学上の止揚あるいは革命が、応仁の乱を経た日本の感覚世界に沸き起こったのである。」
②「無地のネクタイ2」(丸谷才一)
「文章論及び文体論を視野に収めた『昭和批評史』を書いてくれないだろうか。そこではたとへば吉田健一の『文学概論』など、きわめて重要な位置占めるはずである。」
★「越境の古代史-倭と日本をめぐるアジアンネットワーク-」
(田中史生、ちくま新書)読了。
「かくも様々な不安定要素を抱える国際交流の世界にあって、そのあり方や歴史を規定する要因は、政治で関係から個々の人間関係にいたるまで、極めて多様で多層的に複合的であった。‥交易者たちが、海域と接する一国政治から解き放たれていたというわけではないし、政治的に管理された“交易港”が健在だったからといって、政治的管理が貫徹していたと判断することもできない。古代人は、互いをつなぐ驚くほど多様な社会的装置を持ち、それを駆使し、使い分けて、越境的なネットワークを変形させていた。それはどこの国の歴史にも専属せず、それでいて様々な国の歴史の影響をまともに受ける。」
「帰化」という不明確な規定が、不明確な言葉が日本の国籍をめぐって生き残っている。すでに「帰化植物」「帰化生物」などという言葉は適切でないとして「外来…」になっているが、法律で人間を扱う場合にこの言葉が厳と存在している。
この言葉の概念が白村江を契機とした日本の天皇制という国家成立までさかのぼることを示唆してくれた。
①「なにもないことの豊かさ」(原研哉)
「(室町幕府8代将軍義政の治世下、京都が焼かれる応仁の乱以前)それまでの日本の美術・調度は決して簡素なものではなかった。‥日本は案外と絢爛豪華な文化の様相を呈してきていたはずである。‥それらの文物を集積してきたメトロポリス京都の消失を目の当たりにした人々の胸にどのようなイメージが渦巻き、どのような達観が生成したかは今日知るよしもない。‥究極のプレーン、零度の極まりを持って、絢爛さに拮抗する、まったく新しい美意識の高まりがそこに生まれてきたのではないか。渡来の豪華さの対極に、冷え枯れた素の極点を拮抗させてみることで、これまでにない感覚の高揚を得ることができたのではないか。なにもないこと、「エンプティネス」の運用がこうして始まる。そういう美学上の止揚あるいは革命が、応仁の乱を経た日本の感覚世界に沸き起こったのである。」
②「無地のネクタイ2」(丸谷才一)
「文章論及び文体論を視野に収めた『昭和批評史』を書いてくれないだろうか。そこではたとへば吉田健一の『文学概論』など、きわめて重要な位置占めるはずである。」
★「越境の古代史-倭と日本をめぐるアジアンネットワーク-」
(田中史生、ちくま新書)読了。
「かくも様々な不安定要素を抱える国際交流の世界にあって、そのあり方や歴史を規定する要因は、政治で関係から個々の人間関係にいたるまで、極めて多様で多層的に複合的であった。‥交易者たちが、海域と接する一国政治から解き放たれていたというわけではないし、政治的に管理された“交易港”が健在だったからといって、政治的管理が貫徹していたと判断することもできない。古代人は、互いをつなぐ驚くほど多様な社会的装置を持ち、それを駆使し、使い分けて、越境的なネットワークを変形させていた。それはどこの国の歴史にも専属せず、それでいて様々な国の歴史の影響をまともに受ける。」
「帰化」という不明確な規定が、不明確な言葉が日本の国籍をめぐって生き残っている。すでに「帰化植物」「帰化生物」などという言葉は適切でないとして「外来…」になっているが、法律で人間を扱う場合にこの言葉が厳と存在している。
この言葉の概念が白村江を契機とした日本の天皇制という国家成立までさかのぼることを示唆してくれた。