Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

自句自解(15) 野辺送り

2010年03月07日 17時37分10秒 | 俳句・短歌・詩等関連
閉じし目も春日を浴びて光る朝
苦けれど通夜の語らい蕗の薹
担えれば棺の軽し梅二月
野辺送り梅の遅速を見落として

 これらの句は、2003年2月、大変世話になった叔父の葬儀での句。私の俳句の多くは、親族や先輩友人の死に際してのものとなった。たまたま俳句を作るようになってからそれらのことが続いたに過ぎない。
 しかし俳句は、私にとっては死や別れに際して万言を連ねての弔意よりも心を込めることができるように思う。むろん他の方にはまた別の弔意の表し方があるのは当然だが‥。
 はじめの句は、亡くなったばかりの安らかな顔を心にとどめようと思って作った。
 二句目、通夜の席に出された料理は葬儀場の手配によるものであったが、私には出来合いのものとは思えない、季節にあった丁寧なものと思えた。親戚一同、故人に感謝しながらありがたく頂戴した。
 三句目、生前体格はがっちりされていたが短期間の入院にもかかわらず、思いのほか棺が軽かった。発病からのつらさにも思いをはせ、感慨ひとしおであった。
 四区目、火葬するまでの間、梅が手向けのように沿道に咲いていたのは気付いたが、それぞれの梅の状態を記憶するゆとりはなかった。多くの梅が咲いていたことだけは記憶している。また火葬場でも戻ってきた葬儀場でも控えめに梅が咲いていた。