Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

昨日の俳句 (100307) 春時雨

2010年03月08日 07時55分50秒 | 俳句・短歌・詩等関連
ようやくに雀二三羽春時雨
水墨のからすも動かぬ春時雨
あてどなく北への切符春時雨

 昨日は三日前とは違い、寒い雨。団地の南側の芝生の庭にいつも来る雀の一家や鳩、カケスなどの群れはやってこなかった。いつもの土・日は雀のさえずりかカラスの声で目覚めるのだが。突然これだけ気温が下がると、鳥も動きが鈍くなるのだろうか。
 午後から仙台への出張の切符を購入しに行ったが、列の前の人は、旅行に慣れていないのか、窓口で行き先の選定も含めて迷っていた。不思議と東北への行程にこだわっていたことが伝わってきた。
 私もどちらかというと、無意識に東北・北海道を旅先に選ぶ。横浜より南・西には住んだことがない。少年期前半と青年期後半を東北・北海道で過ごしたためであることは間違いがない。
 人も物も、味も言葉も、気候も植生も、歴史も景観も、惹かれる。そして現在のさまざまな変化を許すことができる。むろんそれらのすべてを熟知しているわけではない。逆にそれらのすべてを知りたくなる衝動に駆られる。
 東北と北海道、決して一体ではない。網野善彦氏の言及にあるとおり、中央からの疎外では、似ていていたが、かえって中央との距離のとり方では反発しあうことが歴史的にはあったとの指摘がある。私も同感である。
 中央から見れば、地続きの東北を征服するために北からの力を利用したり、蝦夷の勢力をけん制するために東北の人々を狩り出したり、結果として両者の対立をあおりながら日本という国は北海道までその版図を広げた。明治以降、現在までも、その政策のあり方からすれば、その基本は変わらないものがあるとおもう。
 しかし自然、特に冬の気象の厳しさ、森の豊かさからすれば文化の共通基盤はある。それが多くの人にとって、懐かしさであり、ぬくもりであり、人生の転換点での内省のよりどころであることが、私には論理ではなく体感として了解できる(できるように思う)。
 そんなことを思いながら、順番を待っていた。