Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

不意の懐かしさと、中途半端な感想

2010年03月04日 13時59分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日もどんよりと寒い。通勤途上で車窓から見る景色もくすんでいる。
 天候と気分は相関するといわれる。しかし、当然ながら反対の時もある。
 今朝、車窓の鈍色の雲の下のくすんだ空気の先に白い工場の建物群を見ているとき、ふと懐かしさ、暖かさの奥に吸い込まれる感覚を味わった。
 煙突から立ち上がる白い水蒸気、草が枯れ砂利ばかりの空地。見慣れてはいるが懐かしさが涌くというものではない。殺風景な感じすらする。
 吊革に掴まりながらボーっとしつつも妙に気になった。昼になってようやく気がついた。中学一年の時、3ヶ月だけ市電を利用して通った路線と重なる個所であった。46年も前の風景と、あまり変わらないコンビナート風景だ。無論設備も建物も変わっているが、崖下の海辺の埋め立て地という基本は変わりない。
 記憶の下からふと意識の表面に出てきたのかもしれない。
 昔の通学路と重なる部分があることは承知をしていたが、あらためて認識させられた。
 公害という言葉はなく、発展の象徴として、当時は煙ももっと多く、煙突も多かった。中学一年生として社会事象に興味が行くこともなかった。それでも決して良い印象を持った訳ではなかった。
 エネルギー効率も格段に良くなったらしいコンビナートはこの異変の冬空でも生き続けている。たくましさに驚いた。
 同時にそれ以降マイナスのイメージを植え付けられたらコンビナートの風景が懐かしさと温もりの引き金になったことに驚いた。
 そこに働いた人々のことを捨象したマイナスイメージというのは誇れたことではないが、プラスイメージにしても働く人々のことはやはり捨象したものであることも確かだ。
 人が働くということに関わり続けた35年が無駄ではなかったとしたら、当時から今日までの人の働いていた場所であること、殺風景であっても人の匂いを感じたことが懐かしさ・温もり感が湧いた根拠となっていたら、私の35年も捨てたものではないと、ひとりで勝手に合点してみた。