4日間の韓国訪問は、第一日目は羽田空港から金浦空港・ソウルを経由してKTXを利用してチョンジュ(全州)へ。タクシーで昔ながらの街並を再現した韓屋村(ハノクマウル)にある、日本でいう民宿に相当する所に一泊。真新しい木造建築で木の香りのする快適な一夜を過ごすことができた。
着いたのが午後のため、韓屋村内と朝鮮王朝初代の李成圭のものといわれる肖像が安置された慶基殿(キョンギジョン)、豊南門(ブンナンムン)、最初の朝鮮でのカトリック殉教の地といわれる殿堂聖堂、朝鮮建国説話の舞台悟木台(オモクデ)を回ったところで日が暮れてしまった。韓屋村内で韓紙(日本でいえば和紙になる)の工房を訪れて漢紙を幾枚か購入できた。
日が暮れてからは、豊沛之館の背後にある若者の街「歩きたい道」「映画の道」を散歩。活気ある若者の街に圧倒された。夕食は全州ピピンパブの店を見つけて堪能。
時間が無く、国立全州博物館、全州歴史博物館、全州韓紙博物館いづれも訪れることが出来なかったのが残念であった。
1日目の歩数は、23200歩。
2日目は全州駅から鉄道でモッポ(木浦)まで行き、朝鮮王朝の水軍基地であった木浦の町中を歩いた。木浦は1897年の開港後日本との通商の拠点となった。
まずはユダルサン(儒達山、288m)を頂上まで歩いた。秀吉の朝鮮侵略に抵抗して英雄とされた李舜臣の巨大な像が建っている。鋭い岩峰を回るように登って、美しい木浦の街並みと取り囲む海、点在する島の光景を満喫した。
この登山道はトイレも要所要所にいくつも完備し、気持ちよくのぼることができるが、意外と厳しい。急な石造階段がきつかった。
次の列車の時間に追われるように、日本の植民地国策会社東洋拓殖株式会社支店や旧日本領事館などの近代建築を見て回った。領事館は時間切れで中に入るゆとりはなかった。建物の当時の目的とは別に、美しい近代建築は必見である。
次にクワンジュ(光州)へは、光州駅の手前の光州松汀駅で下車し、タクシーで韓国民主化闘争の大きな悲劇的事件となった1980年の5.18記念公園に行き、広い園内を南北に歩き、犠牲者の慰霊施設を見学させてもらった。
そののち再びタクシーで国立光州博物館を訪れることができた。ここでは宋・元・高麗時代の青磁・白磁などを多数見ることができた。特に好みの高麗青磁の落ち着いた色合いを堪能することができた。
宿まで市内バスを利用したが、これがなかなかスリルに富んだ走行でビックリ。スピード、急発進・急停車・急カープでバウンドを繰り返し、握り棒・つり革につかまっているのも難儀。バス停の案内も聞き取れず、やっとのことで繁華街の真ん中の目的のバス停で降りたときには、足が震えていた。
18時過ぎにたどり着いたホテルは繁華街の中心にあり、工事中のため入口がわからず右往左往。ようやくチェックイン後、部屋に入るとその部屋は光州のシンボル的名山であるムドゥンサン(無等山、1187m)を眺められる部屋であった。景色を堪能する時間もなく慌ただしく若者が溢れる街を歩き回り、やっとの思いで手ごろな焼き肉店を見つけることができた。23時過ぎまで繁華街の喧騒とネオンサインの点滅でなかなか眠れない夜を過ごした。
2日目の歩数は26600歩。この日のウォーキングが一番運動量が多かったと思う。たっぷりの汗をかいた。
3日目は、今回の訪問の大きな目的である扶余まで列車と市外バスを利用した。昨日に引き続き、バスははっきり言って乗り心地は悪い。急発進・急ブレーキの連続で、乗用車を追い越して飛ばしていく。それでもバス停は時間通りなので、もともとの運行スケジュール自体がかなり無理のあるようだ。決して運転手の技量の問題ではなく、運行計画そのものが厳しいもののようだった。お国柄とはいえ、慣れるのは大変である。
扶余はペクチェ(百済)の後期の都で、倭国の国家形成期、天皇制揺籃期・確立期に多大な影響をもたらした国である。いわゆる仏教公伝や中国との交流の拠点として、そして人的な影響も多大である。現代日本からも訪れる人はとても多いようだ。町の中心部の案内所にも日本語専門の方が配置されていて、流ちょうな日本語で場所や道順の紹介をしてくれた。ありがたくもあり恐縮もした。
百済の都城のあったプソ(扶蘇)山城は海抜100mでここも広く、周回コースは赤松林に囲まれ美しい。ここを一周し、百済滅亡時にこの高さ60mの断崖から多くの官女が身を投げた時、花が落ちるようだったという伝説から名づけられた落花岩とそこの上に建ち百花亭から、白馬江の広いながれと660年という時代に思いを馳せた。
大量の女性が崖から身を投げたという場所については、沖縄戦の喜屋武岬などのことも思い出された。
ここからさらに船で白馬江を少し下り、暑い陽射しの中を、百済の聖王像、チョンニムサジ(定林寺)跡とそこに建つ五重の石塔と博物館、その傍の広大な敷地に建つ立派な建物の国立扶余博物館を訪れた。
この国立扶余博物館でのお目当ては何といっても、1993年の発掘の高さ61.8センチの「百済金銅大香炉」。すっかり見とれてしまった。同時に百済仏といわれる観音像が幾体も展示されており、その美しい体躯と表情からは目が離せなかった。
夕食は扶蘇山城の入り口の前の食堂街でプルコギ。宿は町はずれであったが3日目で一番立派なホテルであった。
3日目の歩数は23000歩。
4日目は、扶余の街は小さな街であるが、それでも歩き出があり、3日目に訪れることが出来なかったクンナンジ(宮南池)をまず訪れた。蓮の広大な池で有名な、百済王朝の離宮であった所である。朝出発のバスの時間までの慌ただしい30分ほどで寄っただけであった。全体を見回ることはできなかったの残念であった。蓮と睡蓮の花がまだいくつか残っていた。
扶余から高速バスでソウルに直行。高速バスは快適だが、やはり扶余の街の中、ソウル市中はスリル満点の運行である。
ソウルでは、市内に朝鮮王朝の18か所ある世界文化遺産に登録されている王陵のひとつ、「宣陵 靖陵」墓である三陵公園を訪れた。宣陵の妃の貞顕王后陵と合わせて三陵といわれている。ここも広大な敷地を一周。王墓の威容と石造を見学した。
さらに国会議事堂の傍のヨイド(汝矣島)公園を散策した。4日目はさすがにくたびれたのでゆっくりと歩いてのんびり過ごした。
汝矣島公園駅から地下鉄9号線で金浦空港に行き、羽田空港に21時過ぎに到着した。自宅に着いたのが23時近く。
4日目の歩数は22800歩。
4日間で合わせて96000歩あまり。1日平均24000歩というのは、天気が晴れ渡り暑い中でもあり、かなり体力を使った。
特に妻は、みずからたてた計画なのだが、だいぶお疲れモードになった。本日は熱を出し病院で診察を受けて、(過労によると思われる)風邪の症状ということで薬を処方してもらい、寝込んでいる。
私も本日と明日は洗濯と休養としたい。
なお、訪れた個所の詳細と写真は後日の予定。