Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

回復過程に

2014年09月25日 10時31分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 妻の風邪は熱は平熱となり、咳もほぼ治まったようだ。昨日の午前までは、咳も気管から粘着質の音がしていたのが、昨日の午後からは頻度は少なくなり痰の絡まる音も無くなっている。ようやく回復過程に入ったようだ。水っ洟から粘着質の洟に変わってきた。

 取りあえず心配が無くなったようなので、午後からの講座に出ることが出来そうだ。雨と風がまだ収まらないが、予報では次第に収束に向かうようだ。風が収まりさえすれば危険はないような雨量らしい。
 早朝より風が少し強まったようだが、雨は多くない。時々日がさしてくる。

 今のところ私にはうつっていないようだ。

 本日の講座は、古代史セミナー9月講座の2回目で「倭国の外交と「大王」の「治天下」」(講師:田中史夫関東学院大学教授)。


久しぶりにブラームス

2014年09月24日 20時37分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 食事の後片付けが終わったので、久しぶりにブラームスのピアノ曲集を出してきた。すでに紹介したピアノ作品全集ではなく、スティーヴン・ビショップ・コワセヴィッチのピアノによる、スケルツォ作品4、バラード集作品10、8つの小品作品76の3曲。
 1983年の録音だから今から31年前になる。いつごろ購入したか覚えていない。今聴いてみるとなかなか抒情的な演奏に聞こえる。
 ブラームスの曲は好んで演奏するピアニストらしい。静かに耳を澄ませて聞きたい曲であり、演奏である。
 全曲演奏の全集を揃えるのが私の癖だが、このような小品集というのも聴きたいときというのがある。秋にふさわしいCDだと思う。



笑い話ではないのだが‥

2014年09月24日 17時47分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 お昼直前に突然妻が「具合がいいから、横浜駅に買い物に行きたい」といい始めた。米や野菜やいろいろな食材の在庫が無いので、朝食の時に、私が夕方買いに行くことを話し合ったばかりだったのだが。月曜日に近くの病院に出かけた以外ずっと家にじっとしたり、布団に横になっているのが苦痛になったようだ。どちらかというとインドア派の人間が私と付き合う間にだいぶアウトドア志向に替わってきている。37年の時間というのはかなり人間を変えているようだ。
 気分転換にもかるだろうと、私も同意してポーターに徹するつもりでついていった。まず昼食はスパゲッティがいいというので店に入ったら若いОLと同様一人前をキチンと食べた。昨日から食欲は旺盛であるから、これはいいことである。
 そして横浜駅東西の地下のスーパー4軒とパン屋、最後にケーキ店を回った。食材によって違うスーバーで購入することになっているようだ。そこにこだわりを持っているのだろう。また値段の比較も楽しんでいる。そしてお米・ヨーグルト・牛乳・果物など重い物から葉物野菜まで、私は両腕が抜ける思いであったがここは我慢してポーターに徹した。
 買い物はそれなりにストレスを発散させる効果もあるようだ。鼻水・咳は止まらないが顔は明るくなっていた。特に最後のケーキ店では笑みが漏れている。
 妻は「元気が出てきたので夕食を作ってみたい」というので、帰宅後、私一人で再度歩いて横浜駅に行って書店をまわってみよう、久しぶりに乙類の焼酎を購入しよう、と思いたった。ところが天気予報どおり15時になると雨が降り始めた。外出をあきらめてお茶を飲んでいるうちにふたりとも眠くなり、1時間半もぐっすり眠ってしまった。


 横浜駅での昼食時、となりの若いОL2人はなかなか活発な性格のようであったが、「死体を入れるビニール袋に診察券が残されていたなんて当分笑えるね」とけらけら。内心「それは笑うに笑えない話だよ」と私は愕然とした。
 すべての悲惨な事件も劇場化、ドラマ化して現実との境界があいまいになっているようだ。ムッとしながら神戸の大震災の時のエピソードを思い出した。まだ犠牲者が残されているかもしれない倒壊家屋に登ってVサインをして記念撮影している若者たちに、地域の人が怒りを表明していた新聞報道があった。
 しかしこのような会話が職場の中で当たり前のように話されているとしたら、恐ろしいことである。年寄りの愚痴ではおさまらないと思うが‥。




同窓会

2014年09月24日 12時03分08秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 久しぶりに曇り空を見たような気がする。台風はまだ風速18mと台風の条件を満たしているが温帯低気圧に変わりそうだ。しかし雨台風の様相で被害も見込まれる。
 昨晩から神戸の事件と台風の進路予測が大きな関心を集める。曇り空が一層暗く圧し掛かるようだ。

 妻はまだ本調子に戻らない。明日25日午後は古代史講座、27日は退職者会の集まりが午後から夕方まで予定されている。今日中に回復してもらえると嬉しいが、そうでなければ明日の講座の出席は無理かもしれない。結構しつこい症状である。昨晩も若干の発熱があった。
 風邪なら発症から1週間が目途といわれるが、明日に回復の兆候がないと明後日26日(金)に別の対処を考えなくてはいけないかもしれない。歳をとると回復に時間がかかるという程度のものなら心配ないのだが‥。1日部屋に閉じ籠り、あるいは布団にくるまっていると、気分が滅入り悪い方に考え込むのは人の常。ましてニュースが暗いものでは良くない。

 中学・高校の同窓会の案内状が来た。昨年は親しくしていて毎年同窓会で話し込んでいた友人が亡くなり、偲ぶ意味では出席もしたい。また毎年会場になっている同窓生が経営する飲食店は現役時代、組合の会合で無理を言って何回も安くしてもらった。その分のお返しに出席もしたい。
 でも今ひとつ気分ものらない。しばらく保留にしておいて締切り間際にもう一度考えてみようと思う。
 昨年私も呼びかけ人になった大学の学部の同窓会は、同じ濃密な時間を共有した仲間内の集まりでもあるから、40年という時間を確かめ合う場面であった。
 中学・高校の同窓会は全員を対象にしている。卒業生全体を束ねる学校公認の同窓会てもう。だから性格も私が主催した大学の有氏の同窓会とはまるで違う。それぞれの卒業後の45年という経験の違いを相互理解した上であっても、会話がうまくかみ合わない場合も多々ある。東京近辺で交流を続けていた仲間同士と、短いとはいえ濃密な体験をした大学での期間を共有していないと仲間との意識や経験・場の違いが、どうしても埋めることが不可能な落差と感じることがある。なかなか自分の中で折り合いがつかないのだ。
 中学・高校の時期と、社会との接点に意識的になった時期とでは、そもそも同窓会というのが性格が違うものなのかもしれない。
 むろん難しく考えずに、楽しく懐かしさを求めての会食と割り切ることに特に抵抗はない。それを否定するつもりは毛頭ない。

日焼け

2014年09月23日 21時59分16秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夕食づくりのため、亀戸中央公園での「さよなら原発全国大集会」を早目に引き上げ、買い物に家の近くのスーパーに寄った。お酒のコーナーについ足が向いてしまった。何となく日本酒が飲みたくなった。そういえば梅雨明け以来、ビールと酎ハイしか飲んでいない、ということに気がついた。そこで2か月半ぶりに300mlの日本酒を購入してみた。
 久しぶりに日本酒で晩酌をしていたら、すっかり気持ちよくなりそのまま後片付けをしないで寝てしまった。飲むピッチも早すぎたようだ。そして熱が下がったとはいえ喉と鼻の炎症がおさまらない妻に後片付けをさせてしまった。何とも情けない<「にわか主夫」である。

 韓国ではずっと天気が良く、さらに本日も集会でずっと日に当たっていたためか、腕も顔も日焼けの赤みが増したようだ。なんとなく耳が痒いので鏡を見たら薄く皮が剥け始めていた。
 野球帽というのは、頭に直接日が当たらないようにする効果はあるが、顔の日焼け防止には対して効果はない。かといってつばが広くて360度ある帽子を被ると、自分ではその姿が好きになれないのだ。見てくれなど気にしてはいけない歳であることは重々承知をしているが‥。
 そう、退職間際の時に洋品店で、試しにそのような帽子を被った私を見て若い店員が複雑な顔をしていた。野球帽の時は顔が晴れやかだったのを今でも覚えている。人はほんの些細なことが頭に残っているものである。そして野球帽は頭にのせるのが簡単だ。前後のことを考えずに被ることが可能である。

 今週と来週から後期の講座が順次始まる。無料の1講座を除く、5講座分の受講料の請求がたて続けに来た。たまたまいづれも回数が多いので高価なもの。しばらくは外で飲むわけにもいかない。10月いっぱいはおとなしくしていないといけない。


久しぶりの亀戸中央公園

2014年09月23日 11時45分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 妻の熱も下がり、私の喉の状態も良好なので、今日は私は亀戸中央公園の集会に。退職者会から要請されていた25名ほどが参加予定だ。
亀戸中央公園はトリフォニーホールでシベリウス三昧の夜にチョット傍を通って以来だ。

 私も体調は心配なさそうだが、用心をして夕食前に戻るつもり。簡単に、消化のいいものを帰りの電車の中で考えててみたい。




片付け終了、あとは資料の整理

2014年09月22日 21時39分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夕食を作ったが、あわてて作ったためお米を水に浸す時間を取らずにすぐに焚いてしまった。かなり固いご飯になってしまい、やむなく妻様にはお粥に仕立てた。私はそのまま、山での食事のつもりでそれなりに楽しみながら食べた。
 おかずは充分過ぎるほど火をとおして柔らかくした牛肉の小間切れを入れた野菜炒めと具だくさんトン汁。あとは明太子と梅干。

 しかし久しぶりに作ると何か失敗する。反省。

 夕食後、片づけをしていると元気の多少出てきた妻が残りの洗濯を始めた。手伝いながらようやく先ほど洗濯は終了し、ベランダに干した。元気がでたといっても薬が効いて熱が下がっただけかもしれない。
 昼に済んでいた洗濯物は好天気に恵まれて気持ちよく乾いた。それらは夕食を作る前にすでに畳んでしまうことができた。

 私も多少喉がいがらっぽいが、どうなるであろうか。経験上からはなんとかひどくならないで収束しそうな希望的予想をしている。本当は退職者会のイベントで東京に行かなくてはいけないのだが、明日の朝起きてから決めることにする。

韓国訪問の概略

2014年09月22日 17時07分50秒 | 山行・旅行・散策
 4日間の韓国訪問は、第一日目は羽田空港から金浦空港・ソウルを経由してKTXを利用してチョンジュ(全州)へ。タクシーで昔ながらの街並を再現した韓屋村(ハノクマウル)にある、日本でいう民宿に相当する所に一泊。真新しい木造建築で木の香りのする快適な一夜を過ごすことができた。
 着いたのが午後のため、韓屋村内と朝鮮王朝初代の李成圭のものといわれる肖像が安置された慶基殿(キョンギジョン)、豊南門(ブンナンムン)、最初の朝鮮でのカトリック殉教の地といわれる殿堂聖堂、朝鮮建国説話の舞台悟木台(オモクデ)を回ったところで日が暮れてしまった。韓屋村内で韓紙(日本でいえば和紙になる)の工房を訪れて漢紙を幾枚か購入できた。
 日が暮れてからは、豊沛之館の背後にある若者の街「歩きたい道」「映画の道」を散歩。活気ある若者の街に圧倒された。夕食は全州ピピンパブの店を見つけて堪能。
 時間が無く、国立全州博物館、全州歴史博物館、全州韓紙博物館いづれも訪れることが出来なかったのが残念であった。
 1日目の歩数は、23200歩。

 2日目は全州駅から鉄道でモッポ(木浦)まで行き、朝鮮王朝の水軍基地であった木浦の町中を歩いた。木浦は1897年の開港後日本との通商の拠点となった。
 まずはユダルサン(儒達山、288m)を頂上まで歩いた。秀吉の朝鮮侵略に抵抗して英雄とされた李舜臣の巨大な像が建っている。鋭い岩峰を回るように登って、美しい木浦の街並みと取り囲む海、点在する島の光景を満喫した。
 この登山道はトイレも要所要所にいくつも完備し、気持ちよくのぼることができるが、意外と厳しい。急な石造階段がきつかった。
 次の列車の時間に追われるように、日本の植民地国策会社東洋拓殖株式会社支店や旧日本領事館などの近代建築を見て回った。領事館は時間切れで中に入るゆとりはなかった。建物の当時の目的とは別に、美しい近代建築は必見である。



 次にクワンジュ(光州)へは、光州駅の手前の光州松汀駅で下車し、タクシーで韓国民主化闘争の大きな悲劇的事件となった1980年の5.18記念公園に行き、広い園内を南北に歩き、犠牲者の慰霊施設を見学させてもらった。
 そののち再びタクシーで国立光州博物館を訪れることができた。ここでは宋・元・高麗時代の青磁・白磁などを多数見ることができた。特に好みの高麗青磁の落ち着いた色合いを堪能することができた。
 宿まで市内バスを利用したが、これがなかなかスリルに富んだ走行でビックリ。スピード、急発進・急停車・急カープでバウンドを繰り返し、握り棒・つり革につかまっているのも難儀。バス停の案内も聞き取れず、やっとのことで繁華街の真ん中の目的のバス停で降りたときには、足が震えていた。
 18時過ぎにたどり着いたホテルは繁華街の中心にあり、工事中のため入口がわからず右往左往。ようやくチェックイン後、部屋に入るとその部屋は光州のシンボル的名山であるムドゥンサン(無等山、1187m)を眺められる部屋であった。景色を堪能する時間もなく慌ただしく若者が溢れる街を歩き回り、やっとの思いで手ごろな焼き肉店を見つけることができた。23時過ぎまで繁華街の喧騒とネオンサインの点滅でなかなか眠れない夜を過ごした。
 2日目の歩数は26600歩。この日のウォーキングが一番運動量が多かったと思う。たっぷりの汗をかいた。

 3日目は、今回の訪問の大きな目的である扶余まで列車と市外バスを利用した。昨日に引き続き、バスははっきり言って乗り心地は悪い。急発進・急ブレーキの連続で、乗用車を追い越して飛ばしていく。それでもバス停は時間通りなので、もともとの運行スケジュール自体がかなり無理のあるようだ。決して運転手の技量の問題ではなく、運行計画そのものが厳しいもののようだった。お国柄とはいえ、慣れるのは大変である。
 扶余はペクチェ(百済)の後期の都で、倭国の国家形成期、天皇制揺籃期・確立期に多大な影響をもたらした国である。いわゆる仏教公伝や中国との交流の拠点として、そして人的な影響も多大である。現代日本からも訪れる人はとても多いようだ。町の中心部の案内所にも日本語専門の方が配置されていて、流ちょうな日本語で場所や道順の紹介をしてくれた。ありがたくもあり恐縮もした。
 百済の都城のあったプソ(扶蘇)山城は海抜100mでここも広く、周回コースは赤松林に囲まれ美しい。ここを一周し、百済滅亡時にこの高さ60mの断崖から多くの官女が身を投げた時、花が落ちるようだったという伝説から名づけられた落花岩とそこの上に建ち百花亭から、白馬江の広いながれと660年という時代に思いを馳せた。
 大量の女性が崖から身を投げたという場所については、沖縄戦の喜屋武岬などのことも思い出された。
 ここからさらに船で白馬江を少し下り、暑い陽射しの中を、百済の聖王像、チョンニムサジ(定林寺)跡とそこに建つ五重の石塔と博物館、その傍の広大な敷地に建つ立派な建物の国立扶余博物館を訪れた。



 この国立扶余博物館でのお目当ては何といっても、1993年の発掘の高さ61.8センチの「百済金銅大香炉」。すっかり見とれてしまった。同時に百済仏といわれる観音像が幾体も展示されており、その美しい体躯と表情からは目が離せなかった。
 夕食は扶蘇山城の入り口の前の食堂街でプルコギ。宿は町はずれであったが3日目で一番立派なホテルであった。
 3日目の歩数は23000歩。

 4日目は、扶余の街は小さな街であるが、それでも歩き出があり、3日目に訪れることが出来なかったクンナンジ(宮南池)をまず訪れた。蓮の広大な池で有名な、百済王朝の離宮であった所である。朝出発のバスの時間までの慌ただしい30分ほどで寄っただけであった。全体を見回ることはできなかったの残念であった。蓮と睡蓮の花がまだいくつか残っていた。
 扶余から高速バスでソウルに直行。高速バスは快適だが、やはり扶余の街の中、ソウル市中はスリル満点の運行である。
 ソウルでは、市内に朝鮮王朝の18か所ある世界文化遺産に登録されている王陵のひとつ、「宣陵 靖陵」墓である三陵公園を訪れた。宣陵の妃の貞顕王后陵と合わせて三陵といわれている。ここも広大な敷地を一周。王墓の威容と石造を見学した。
 さらに国会議事堂の傍のヨイド(汝矣島)公園を散策した。4日目はさすがにくたびれたのでゆっくりと歩いてのんびり過ごした。
 汝矣島公園駅から地下鉄9号線で金浦空港に行き、羽田空港に21時過ぎに到着した。自宅に着いたのが23時近く。
 4日目の歩数は22800歩。

 4日間で合わせて96000歩あまり。1日平均24000歩というのは、天気が晴れ渡り暑い中でもあり、かなり体力を使った。
 特に妻は、みずからたてた計画なのだが、だいぶお疲れモードになった。本日は熱を出し病院で診察を受けて、(過労によると思われる)風邪の症状ということで薬を処方してもらい、寝込んでいる。
 私も本日と明日は洗濯と休養としたい。

 なお、訪れた個所の詳細と写真は後日の予定。

先ほど韓国訪問より帰宅

2014年09月21日 23時12分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先ほど無事に韓国より帰国。金浦空港から羽田空港まで時間どおりに着いた。コメンドやメールなどをいくつかいただきました。ありがとうございます。おかげで何事もなく予定の個所を訪れて、いろいろと勉強ないし見聞を広げることができたと思っています。
 回ったところ、感想などは別途掲載予定です。
 疲れましたので、本日のところはこの辺で失礼します。

羽田より出発

2014年09月18日 07時40分19秒 | 山行・旅行・散策
 9時15分に羽田発の予定。朝7時過ぎに久しぶりの羽田に到着。眠い。機内で読む文庫本は「藤田嗣治『異邦人』の生涯」(近藤史人、講談社文庫)を用意した。
 ソウルまで、寝てしまうか、この本を読み続けられるか。

 飛行機は何回搭乗しても、離陸が終わるまで緊張する。狭いので、窮屈である。足の曲げ伸ばしが出来ない。かといって足が伸ばせるシートは高価でとてもチケットを購入できない。
 いつも30分か1時間おきに便所の前に行って、足の屈伸運動や足首を回したり、腕の上下運動をする。

 席が通路側でないと、ついこれをするのが億劫になってしまう。

そろそろ就寝しないと‥

2014年09月17日 23時28分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日は朝6時前の出発。山に行くとき以外、こんなに朝早く起きることなどなくなっているので、辛そうである。
 その分早く眠ればいいのだか、そう簡単には眠れない。せめて24時前には就寝予定。
 小さいときに「朝早いから、早めに寝なさい」といわれても寝付けなくて怒られた。だから自分の子供には添い寝して、寝なくてもいいから布団に静かに横になることを指せていた。

韓国訪問の準備

2014年09月17日 15時05分01秒 | 山行・旅行・散策
 本日は昨晩の二代目高橋竹山のライブの感想を仕上げることと、明日から3泊4日の韓国訪問に向けて訪問地とホテルの地図を印刷することで午前中を費やした。
 訪問先の天候は良いようだ。気温も朝晩を除いてほとんど変わらない。最低気温は少し低めのようだ。ただし湿度がかなり高い。蒸し暑いのかもしれない。

 これから荷造り。といっても特に荷物が多いわけでもないし、お土産を買いあさるつもりもない。いつもお土産を買わないので、パック旅行の最終日は添乗員やガイドに申し訳ないと思ってしまう。
 20リットルのリュックがスカスカである。体積の半分は着替えが占める。

 訪れるところは大体博物館や美術館。他の観光客と重なるところは歴史的建造物だが、意外とマイナーなところを回ることが多い。韓国は各都市に国立博物館があり、充実している。
 今回はパック旅行ではない。往復の飛行機のチケットは旅行会社で手配してもらったが、鉄道・バス・ホテルの手配は妻が独自で手配した。どうなることやら。


さて、紹介された展覧会がある。上野の森美術館の「ボストン美術館 浮世絵名品展 北斎」展。9月13日~11月9日まで。普段展示されないで収蔵されているので、色あせが少なく、当時のような鮮やかな色が堪能できるとのこと。
 北斎は是非見たいと思っている。この間、岩波新書で「北斎」(大久保純一)を読んだばかり。
 国立近代美術館の「菱田春草展」(9/23~11/3)も訪れたい。

二代目高橋竹山定期演奏会

2014年09月17日 10時23分45秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 二代目高橋竹山「サラヴァ東京」定期演奏会、第3回リサイタル「海をわたる女唄シリーズ(その2)」を聴いてきた。
 前回6月11日に続いての2回目の参加であった。
前回はヴァイオリンという楽器との比較、そして土俗という言葉を手繰り寄せながらかなり飛躍した感想を書いた。

 第一部でびっくりしたのは津軽三味線単独での演奏と、ピアノを伴った演奏が、何のわだかまりもなく、スムーズに移行することである。伝統的な弾き語りや演奏と、ピアノを交えた演奏が違和感なく同じ空間に溶け込んでいく。何とも不思議な時を過ごしたと感じた。
 それは「三味線よされ」が始まった途端に感じたことである。



 「おれん口説(くどき)」とアイルランド伝承「リールの子どもたち」とが時空を超えて響き合わせようという試み、これはとても魅力のあるものである。これがさらにどのように変容していくのか、楽しみである。

 大野光子さんとのトークでは前回よりも対話がうまくかみ合っていた。一部を除いて。ただしこれは解説者と演奏者のスタンスの違いだから、いつも聴衆の期待する受け答えになるとは限らないので、やむを得ないとは思うが‥。

 前回に続き、アイルランドの詩人ヌーラ・ニー・ゴーノルの詩に基づくピアノと津軽三味線の演奏であるが、最初にケルト語での朗読があったのは嬉しかった。ケルト語の響きがどのようなものか、興味があった。「みんなが言った」では私が今ひとつ理解できなかったのは、「噂話の「暴力」を、言葉の繰り返しによって身を守る「魔力」に帰る」という転移のところ。この転移のところが飲み込めなかった。次回もう一度注目をして聞いてみたいものである。



 前回に続いて「ファラオの娘」、このセカンド・バージョンは素晴らしかった。地の底から立ちあがってくるような迫力を感じた。言葉に説得力がある。言葉の説得力というのは、論理の構築ではない。一語一語の持つ力の複合作用によって意味が生命と響き合う瞬間をどう同定するかだと思っている。
 同時に長身の二代目高橋竹山の容姿が舞台からひときわ伸び上がったように大きく見えた。声は出し切れば体は萎む、しかし発した言葉が力を持っているときには体はひとまわり大きく見える時がある。これは洋楽器でも声楽でも、能でも、同じだ。多分他の舞台演劇でも同じだと思う。人を動かす声というのはこういうものなのだろう。
 儚い可能性しかない、奇跡を願うしかない祈りが現実味を帯びるのはどのような声が祈る人から発せられるかにかかっている。声による祈り・希望の実現、この古代以来の言霊の世界を引き寄せる芸ということを思い描いた。

 ユーラシア大陸の東のはずれの列島にある小さな地域に根ざした津軽三味線と、ケルト語というユーラシア大陸の西のはずれの島の限られた地域の言語、これらが同時にその言語と音響の世界で、世界性を獲得したらどのような響き合いをするのか、面白い試みである。この試みは刺激的である。どのように変容していくか、注目をしていきたい。

震度4で被害

2014年09月16日 23時09分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
本日正午過ぎの地震で震度4でも被害が出ている。
震源が内陸である分、揺れが小刻みで周期が短かったようだ。
八王子でも人的被害も出た。

この震源は引き続き活発であるような気がする。群発になるのか、これでエネルギーが解放されたのか、想定は難しいようだ。

デマや風評、非科学的なトンでも情報を発信して、人に迷惑をかける発信を私は許せない。デマとデマの拡散は人の生死も左右しているかもしれないのである。




震度4

2014年09月16日 13時18分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 さっそく安否確認やお見舞いのメールをいただいた。
 ありがとうございます。無事です。

 縦揺れには気がつかず、横揺れでパソコンのディスプレーが揺れ始めて驚いた。大きな横揺れで、車酔いしそうな感じであった。

 幸い本棚からも本はくずれださず、パソコンもプリンターも転倒しなかった。ちょうどオルセー美術館の感想の最終回が出来上がり、アップする直前であった。
 地震のニュースを聞きときにもうお見舞いメールをいただいた。感謝である。

 被害がないといいのだが‥。けが人が何人かいるようだ。