Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

Zoomの不具合にイライラ

2022年02月23日 18時06分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 

 「学んでから行く展覧会「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」を受講しようとしたら、Zoomが働かない。一回、一瞬だけつながったもののすぐに画面が消えてしまった。何が原因か解らず。いつの間にか講座の時間も終了してしまった。
 今晩にも同じ内容で実施されるが、これは編集作業があり無理。日曜日の夜の第三回目に参加することにしたが、それまでに果たして回復するのか不明。
 他の作業はきちんと出来ているので、原因がいまだに解らない。再インストールをしてみたが、実際にそこに入ってみないと回復したかどうかは確認できない。困ったものである。
 Zoomは以前から不安定であった。以前はカメラの接続が悪くてつながらなかったことが幾度かあった。USBを抜き差しするとすぐに復元したけれども、今回はそれをしても復元してくれなかった。アプリケーションのこのような不安定な動作はとてもイライラする。使わざるを得ないのがこちらの弱みである。

 

 


明日は「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」のオンライン講座

2022年02月22日 22時15分23秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 明日は午前10時から「学んでから行く展覧会「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」」のオンライン講座。この展覧会は、東京都美術館で開催中で、2月10日から4月3日(日)までの開催。当初1月22日からの開催であったが、コロナ禍で開始が遅れていた。講座はいつものとおり中村宏美氏。
 これより25ページに及ぶ資料を打ち出して若干の予習。


「万葉の歌びとたち」を少々

2022年02月22日 21時52分14秒 | 読書

 久しぶりに喫茶店で読書タイム。あまり進まなかったが味わい深い論考を楽しく読んだ。「万葉読本Ⅱ 万葉の歌びとたち」の第1章の「額田王のなぞ」までを読み終わった。

   

 「いまも生きる万葉びと――序にかえて」より引用。
「ちょっとした「万葉ブーム」である。しかしその合い言葉が「万葉は心のふるさと」となり、万葉集がそれだけのものになってしまうのは困る。万葉集を、遠い風景をうっとりとながめるようにみるのは、むしろ間違いだろう。万葉集には、もっと強烈な本質がある。万葉びとは古代人なのだが、時代を超えて、現代のわれわれと生を共にすることのできる、まさに生きている人々であって、読者は、彼らの生の重みと共に生きるのでなければ万葉集を不滅の古典と呼ぶことはできない‥。「万葉は心のふるさと」などというキャッチ・フレーズをきびしく拒否する万葉歌人のひとりとして、山上憶良がいる。彼は朝鮮半島の人だったらしい。‥」

 山上憶良の出自に対しては、歴史学からの批判があるようだ。どちらが正しいのかは解らない。私には中西進による憶良の歌の解説はとても魅力あるものに思える。

「万葉びとたちの、まぎれもなく生きて来た姿、その詩人としての表現行為、それを知ることにこそ、万葉集の古典としての意義がある‥。‥彼らの詩の中には、日本文化の原質となるようなものもあるが、なお今日にも生きている、不変のことばもある。つねに今日に語りかけるところに古典の価値があるのであって、万葉集を牧歌的なロマンの霧に包んでしまってはいけないと思われる。」

 私たちが古典作品を読み、理解しようとするときに陥る陥穽のようなものに対する警告でもある。どんな場合にも心しておきたい警告に思える。

 初出を見ると、「序」は1971年、「女性歌人」と「額田王」は1975年に発表されている。いづれも私の学生時代である。しかし当時は名前は知っていたが、読むことはなかった。しかし万葉集の解説を30代に読み始めたときには入門書を幾冊か読んだ。さらに安倍政権による憲法解釈変更への批判的態度に触発されて、いっそう注目するようにはなった。「国家」感は私とはかなり違うと思うが、万葉集の解釈にはおおいに勉強させてもらっている。

 


穏やかな日和

2022年02月22日 11時37分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日は夕刻から気温が低くなった。組合の会館からの帰り際、帽子がほしくなったほどである。髪を短く借り上げているのでさらにさ寒さを感じる。
 本日の朝は晴れ上がって風もなく、寒さは和らいでいる。低温注意報も解除になり、乾燥注意報のみとなった。
 朝から昨晩の編集作業の続き。昼食後は日常を取り戻すべく、横浜駅周辺の喫茶店まで出かけてコーヒータイム&読書タイムの予定。


久しぶりに充実した1日

2022年02月21日 21時06分14秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日の退職者会の幹事会でニュースの原稿などの一連の文書を点検してもらい、いくつかの修正を施すことが出来た。また空欄だった所を埋める記事も指摘してもらった。
 それを受けて、夕食後に久しぶりに充実した作業時間となった。まだまだ完成原稿までには至っていないが、明後日23日までには95パーセントは間違いなく出来そうである。25日の入稿に十分間に合う。
 見通しができると作業にも力が入るし、作業をしていても楽しくなるものである。作業時間がかかり、本日は読書タイムは確保できないと思うが、気分的にゆとりができると、落ち込むことはまれになる。

 昨日は終日夫婦でワクチン接種の「後遺症」で気分が沈んでいたが、とりあえず回復。ほっとした。


今朝の気分は爽快一歩手前

2022年02月21日 09時34分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 3回目ワクチン接種から二日目の朝。若干の頭が重いと感じる程度で、ダラダラ感はなくなっている。妻の発熱も平熱に戻っていたし、食欲も戻ったようだ。
 とりあえず、本日の予定はこなせそうである。天気も快晴、よく晴れ上がっている。日差しがまぶしい。
 眩暈(めまい)はそれほどの改善はなく、うつむいた姿勢から頭を上げたときなどに眩暈がするような気分になる。あわててゆっくりとした動作に戻すと眩暈は起こらない。動作をゆっくりとしなくてはいけなくなった、というのがまた悲しいものである。

 11時頃に家を出て、組合の会館に。昼食は途中で購入したコンビニの小さな弁当と野菜ジュースというパターンを予定している。


バリカンでカット

2022年02月20日 22時13分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 お風呂に45分も入っていた。長湯をしていたら、少し元気が出てきた。先日家電量販店で購入したバリカンを使って、頭を刈ってみる元気が出てきた。
 1ミリにセットして、初めて自分で頭を刈った。虎刈りになるかと心配したが、思ったよりはきれいに刈れたと思う。しかし1ミリにセットはしたものの、実際は2ミリ程度になっている。特に後頭部はなかなか難しい。また襟足の産毛は結局カミソリで、見えないままに剃るしかなかった。しかしそれなりにきれいに処理はできた。
 悲しいかな、排水溝にたまった髪の毛はすべて白髪。黒いのは割合にして0.1パーセントというところか。十分わかってはいるが、排水溝を掃除をするとあらためて寂しくなる。

 4500円ほどの電動のバリカンなので、1000円の理容店5回分に相当する。少なくとも半年で元は取れそうである。
 三週間後にはもう少し要領よく刈れるといいのだが。とりあえずは満足。
 


グダグダ・ダラダラ

2022年02月20日 19時43分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 ワクチンの副反応と言われる症状は皆無なのだが、一日中ダラダラ、グダグダと過ごしてしまった。倦怠感というのとは違うような気がするのだが、寝巻にも着替えず、普段着のままベッドの中で過ごした。読書も、CDをかける気力も湧かなかった。
 妻は発熱でダウン。解熱剤が効かない。食欲は熱の割にはあるようで、おかゆと梅干しとカルピスと果物少々。水分は意識的に接種するように仕向けた。私はソーメンをゆでた。おかずは缶詰のサバのみそ煮の上にキャベツを刻んで卵を載せて電子レンジで温めた。手間をかけずに、洗い物も少なくして楽をした夕ご飯。
 副反応ということであれば、今晩で治まるはずなのだが、果たしてどうなるのであろうか。
 しかしテレビはどこのチャンネルもオリンピックばかり。スポーツや勝敗にこだわる番組、芸能おバカ番組に嫌悪感しかない私には、あきらめるしかないのか。実に嫌な時期である。選択の範囲を広げるためにチャンネル数が多くあるというのではないのが現状である。私には朝の日曜美術館しか見るものがなかった。

 話はとてつもなく飛躍するが、緊迫の度合いをひたすら上げることに腐心しているとしか思えなバイデン大統領の発言、武力を背景に世界的影響力を増そうというプーチン大統領の振る舞い、どちらも二流政治であるが、一番の被害者は末端の民衆である。
 事態はウクライナ東部のロシア人居住地域の「ロシア人の安全確保」なる虚言に絞られつつあるようだ。昔からの火種くすぶる地域である。柔軟な外交戦略としたたかさを持ち合わせた世界政治が真価を発揮するのか、このまま戦争の惨禍に突入するのか、予断を許さない。戦争を勇ましく賛美する言質が溢れれば、戦争の惨禍は免れない。あまりにきな臭い事態である。
 交戦権を持たない日本だからこその役割が、日本の政治に求められているはずだ。グダグダ・ダラダラの日本の政治家は役に立たないのが情けない。

 さて、明日の退職者会の幹事会のための私の提出すべき資料を6枚これから打ち出してから、早めの入浴予定。こんな日はいくらでも寝られる。寝るに限る。


不思議な感覚

2022年02月20日 11時28分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 3回目ワクチン接種の二日目。幸いにも熱も出ず、接種部位の痛みや腫れもなく、赤くもなっていない。少しだけ接種部位にこわばりを感じるが生活に影響が出るようなものではない。
 しかしどこか凝り固まったごく小さい「黒っぽい芯」のようなものを感じる。左半身の奥でしんどい何かを画策されているような感覚である。2回目の時もそんな感覚が本日よりも強めにあったが、二日目の夕方にはその感覚は消えてなくなった。多分今回も夕方には消えるであろう。不思議な感覚である。


オンライン講座「メトロポリタン美術館」展

2022年02月19日 22時20分41秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日はzoomを使ったオンライン講座。「学んでから行く展覧会」ということで、「メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年」(国立新美術館にて5月30日(月)まで)の解説。26ページに及ぶ図版と解説の資料を送ってもらった。
 1時間半の予定を大幅に延長して、2時間の講座。楽しく勉強させてもらった。

 コロナ禍で都内の美術館には2020年以来ずっとご無沙汰である。3回目のワクチンも接種したので、そろそろ美術展に出かけてみたいのだが、コロナ禍以外にもいろいろなことが重なり、なかなか行く機会を創れていないのも事実である。
 億劫になってしまわないうちに、思い切って出かけたいものである。
 


ワクチン3回目

2022年02月19日 18時27分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昼直前に家を出て買い物の後、かかりつけの病院で3回目のワクチン接種。1回目、2回目の集団接種とは違いすいている待合室でゆったりと接種を受けることが出来た。15分後に接種券を戻してもらって帰宅。
 昼から降るという予報の雨は、15時半まではパラパラ程度で傘無しでも歩けた。途中サイフォンで淹れてくれるお気に入りのコーヒーを飲んで一服。家に着いて10分もしないうちに本降りの雨に変わった。

 18時過ぎの時点では痛みも発熱もない。赤くもなっていない。本日は風呂もОKとのことであった。反応が出てくるとしたら今晩から明日ということなので、本日と明日は静かにしていたほうがいいようだ。

 帰宅後1時間ほど「万葉の歌びとたち」の読書タイム。

 本日の夜はオンラインでの美術の鑑賞講座。久しぶりの講座である。資料を先ほど打ち出した。


本日は3回目のワクチン接種

2022年02月19日 10時05分52秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 明日は14時過ぎから3回目のワクチン接種の予約である。歩いて15分ほどのいつものかかりつけの内科。
 天気予報では午後から雨の予報になってしまった。午後の降水確率は70%、ほぼ間違いなく雨が降ると思われる。
 頭を急に動かすと発症しやすい眩暈(めまい)のことを考えると杖があったほうがいい。眩暈はほんの15秒から30秒程度である。しかし眩暈が歩いているときに発症した場合、特に歩車道の区別のない道路の場合、杖があったほうが体を支えやすい。車道にでも倒れこんでしまったらきわめて危険である。
 膝の負担を軽くする杖がこんな眩暈の場合に役に経つとは考えもしなかった。だが、杖を突いていても傘を差しながら歩くのは怖い。できればバスで近くまで行きたいものである。

 ただし、妻も一緒に接種するので、一人で行くわけではない。一人よりはずっと安全である。


明日からは「万葉の歌びとたち」

2022年02月18日 23時23分36秒 | 読書

 明日から読む本は「万葉読本Ⅱ 新装版 万葉の歌びとたち」(中西進、角川選書)。ⅠとⅢは神奈川大学の生協ですでに購入済みだったにもかかわらず、有隣堂でも神奈川大学生協でもこのⅡは「売り切れ」「再版の予定なし」といわれたもの。といっても2017年5月初版のもの。。家電量販店の書籍販売で何とか手に入った。
 Ⅰは昨年12月24日に読み終わったので、だいぶ時間が経ってしまった。


読了「スペイン史10講」

2022年02月18日 22時28分18秒 | 読書

   

 ようやく「スペイン史10講」(立石博高、岩波新書)を読み終わった。教科書的な通史は、本当はもっと以前に読んでおくべきであったと思うが、致し方ない。
 特にフランコ以降の歴史についてはほとんど知らないに等しく、また現状についても伝わってくる報道はあまりない。
 筆者が最後にしるしているスペインの今後についてのまとめは覚書として、記しておきたい。

「いまやスペインは自治州国家体制を城、事実婚や同性婚を認めるなどヨーロッパ諸国の中でもマイノリティ保護の厚さを誇る民主主義国家となっている。しかし、さまざまな問題を抱えているのも事実である。」
「スペインにおけるフランコ主義の残存が云々されることがある。しかしナショナル・カトリシズムを基軸としたフランコしゅきぱ、もはや社会的影響力をもちない。「カトリック・スペイン」は各地のに凝る協会の多さから抱きやすいイメージだが、実際にミサに通うカトリック信者の数はここ民の二割に過ぎない。右翼的ナショナリズムの台頭は、現代の問題として分析されなければならない。」
「自治州国家体制のあり方も揺らいでいる。歴史的自治州が自治権限を強化するなかで、自治州間の相違は憲法改正の是非を含めて議論しなくてはならないだろう。‥歴史的自治州内部もまた均質的ではなく、言語権を含めて固有言語話者以外の人々の諸権利に関する議論も必要だろう。」
「歴史的記憶法についても課題がある。内戦と独裁期に行われた弾圧や不当行為の実態ははっきりしない。独裁期の反人権行為を歴史的事実として暴くことは、民主主義の徹底にとって不可欠である。‥しかし反乱軍支持者を極右ファシストとして描くだけでは十分ではない。」

 


夜の読書タイム

2022年02月18日 21時10分00秒 | 読書

 午前中の1時間ほどは読書タイムと出来た。「スペイン史10講」(立石博高、岩波新書)の第9講「フランコの独裁体制 1939年~1975年」を読み終えてから、横浜駅まで出かけた。所用を済ませてから、前述のように医者を3軒「はしご」。

 体に特に異常がないことがわかり、これより「スペイン10講」の最終の第10講「民主化の進展と自治州国家体制 1970年代~現在」を読むことにした。ほっとすると読書も進むような気がする。