学生時代のアルバイトのうち、一番多い職種は、喫茶店やレストランのウェイター、キャバレーやクラブのボーイだった。
金がなくなると、これらの店で1~2ヶ月働き、少し溜まると辞める、ということを繰り返した。
今回は、クラブの思い出である。
クラブは、ママさん、マネージャー、ホステス10人位、バーテン、厨房の女性、ボーイで構成されていた。
ホステスの出勤時間は6時半だったが、遅刻には厳しく、1分100円の罰金制度があった。
ただし、同伴出勤といって、お客と一緒に出勤するときは遅れてもよかった。
仕事の前に、黒服のマネージャーがホステスに接客態度などの訓辞をした。
新人ホステスが入ることもあったが、ピチピチの若い女というわけではなく、離婚した子持ちの女だったりした。
何の特技も資格もない女が、子供を抱えて一人で生きていくには、水商売しかなかったのだろう。
たまに、ホステス同士の喧嘩もあった。
客の前ではにこにこしていたが、店が終わると、涙を流して言い争っていることがあり、夜の蝶の厳しさを垣間見た。
ある晩、なじみの客であるホテルのオーナーが、私を席に呼んだ。
「君は接客態度がいい。私のホテルのフロントマンとして来てくれないか」
という誘いだった。
私は、自分が接客業に向いているなどとは思ってもいなかったので、これは意外だった。
もちろん、丁寧にご辞退した。
有名人が来ることもあった。
大相撲鹿児島巡業の夜、先代貴ノ花(後の藤島親方。若貴のお父さん)が、他の力士と一緒に、クラブのオーナーに連れられて来た。
貴ノ花は初代若乃花の弟であり、人気絶頂で角界のプリンスだった。
小兵といわれていたが、一般人と比べるとずいぶん大男だった。
寡黙であり、他の力士が酒を飲んで騒いでいる中で、黙って酒を飲んでいた。
その横顔は、どこかさびしげに見えた。
晩年の貴ノ花は、子供同士の確執、自分の離婚騒動などで、幸せそうには見えなかった。
そんな騒動を聞くにつけ、若い日のさびしそうな表情を思い出すのだった。