出水麓の続きです。竹添邸を後にして歩きます。
玉石の三原小路。
武家門の家を見ながら歩きます。
少し下がったところに、立派な石垣がありました。
諏訪神社です。
境内に、イチョウの古木があります。
幹周り:8.4m
樹高:15m
根元はかなり傷んでいます。
諏訪神社社殿。
子宝犬です。
武家門の家。
大きな木に囲まれた武家門がありました。玉石も立派です。
コメント欄は閉じています。
出水麓の続きです。竹添邸を後にして歩きます。
玉石の三原小路。
武家門の家を見ながら歩きます。
少し下がったところに、立派な石垣がありました。
諏訪神社です。
境内に、イチョウの古木があります。
幹周り:8.4m
樹高:15m
根元はかなり傷んでいます。
諏訪神社社殿。
子宝犬です。
武家門の家。
大きな木に囲まれた武家門がありました。玉石も立派です。
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出水麓(武家屋敷跡)を散策しました。
鹿児島の武家屋敷は知覧が有名ですが、規模は出水のほうが大きいです。
五万石溝。米ノ津川から導水した延長20kmの用水路です。石橋(桁橋)が架かっています。
出水小学校の御仮屋門です。
この門は、姶良市帖佐にあった島津義弘の居館の門を移築したものです。
玉石とイヌマキの通りを歩きます。
護国神社です。
護国神社社殿。
境内に、観光牛車がありました。土日祝日営業で、料金は大人1000円です。
竹添邸です。大河ドラマ「篤姫」のロケ地になりました。
庭から見た竹添邸。見学は無料です。
庭にある野太刀自顕流(じげんりゅう)の稽古場。相手を一撃で倒す剣術の流派です。
竹添邸の内部。ガイドの方に、詳しく説明していただきました。武家屋敷ならではのしきたりがいろいろあったそうです。
立派な梁の天井。
長島の行人岳に行った後、伊唐島に渡りました。
長島側に伊唐大橋公園があり、そこから見た伊唐大橋と伊唐島です。
長さ675mの斜長橋です。平成8年に完成しました。
通る車は、ほとんどありません。完成当時は、税金の無駄遣いとの声もありましたが、島の人の暮らしはずいぶん便利になったでしょう。
橋から南東を望む。左が伊唐島。
橋から北西を望む。長島の薄井漁港です。
伊唐島の港の風景です。
蛸漁が盛んなのか、蛸壺がありました。
反対側の入り江の風景です。
島に観光施設などはなく、のどかな畑の風景が広がっているだけです。
畑は赤い色をしています。ジャガイモ栽培が盛んで、赤土馬鈴薯の産地です。
長島の行人岳を紹介します。
長島と黒之瀬戸。橋は黒之瀬戸大橋です。
行人岳(393.6m)の山頂近くの駐車場。歌碑は、昭和53年の宮中歌会始め入選作です。
花嫁の母とよばれて拍手わく中に花束うけつつゐたり 波戸内美佐保
駐車場からの眺め。八代海と天草の島々です。
手前の島は伊唐島、その向こうは獅子島、その右奥は御所浦島です。
このあと、伊唐島に渡りました。
右に目を移した風景で、八代海の向こうは出水や熊本県です。
駐車場から少し登った所に、石灯籠と不動明王があります。行人岳は山岳信仰の山で、修験道の聖地です。
前の写真の不動明王。憤怒の形相です。
石灯籠の道を山頂へ行きます。
鐘楼。
聖観音像。
山頂に石が積まれ、行人岳の看板があります。
次回は、伊唐島を紹介します。
伊佐市大口の忠元神社を紹介します。
忠元神社社殿。島津家の家臣、新納忠元(にいろただもと)を祀る神社です。地頭として大口を治めました。
境内の狭野杉。宮崎の狭野神社から奉納されました。
文禄慶長の役の際、島津義弘が、新納忠元を狭野神社に遣わして、杉を植栽させたという縁があります。
忠元神社創建時(1844年)の本殿鬼瓦です。
創建時に、薩摩藩家老、調所笑左衛門が奉納した手水鉢です。
石灯籠が二つあります。島津家の家紋、丸に十の字が二重になっています。
反対側が少し変わっています。こちらは満月です。
もう一つは三日月です。何かいわれがあるのでしょうか。
忠元公が定めた「二才咄格式定目」。
青少年が守るべき決まりを定めたもので、一番は「まず武道を修練せよ」です。
隣にある忠元公園の桜。鹿児島の桜の名所です。
隣はサッカー場です。熟年カップルが木陰でくつろいでいました。
指宿市山川のフラワーパークかごしまは、年間会員になっているので、定期的に訪れます。
入ってすぐのところにあるミスト噴水の池。
オオタニワタリの中に、ソテツを植えています。
別の池には、ハスの花が残っていました。
鯉に餌やりをしました。
花を見ながら歩きます。これはベンガルヤハズカズラ。インド原産です。
屋内庭園に入りました。噴水とブーゲンビレア。
クワズイモの実がなっていました。同じサトイモ科なので、マムシグサの実に似ています。
地湧金蓮(チユウキンレン) バショウ科。中国雲南省からインドシナ半島の高山に自生ます。
ブラックキャット。猫の顔に似ているそうです。
蝶の館のオオゴマダラ。さなぎは金色です。
展望回廊のサンゴのアーチの中の竹山。
展望台から見た伏目海岸と竹山。
ジャカランダ(ノウゼンカズラ科)。アルゼンチン原産です。
暑かったですが、きれいな花と風景に癒されました。
湧水町吉松の国道268号を走っていたら、「日本一のタブの原生林」の案内板があったので、観に行きました。
案内板に従って行ってもタブがわからないので、湧水町役場吉松庁舎に行って聞きました。
役場の方が、上床牧場(アンの家)のご主人に電話してくれてわかりました。
案内板に従って、国道から沢原高原へ進むと、このような三差路があります。
前の写真の看板。これに従って左へ行きます。
しばらく進むと、このような三差路があります。右は上床牧場、左は自衛隊演習場へ行く道です。
三差路のところにある案内板。
三差路から100mほど戻り(三差路は向こう側)、電柱の反対側から斜面を登ります。
ここに案内板はなく、国道の案内板を見て来ても、タブに着くことはできません。案内板を設置したら最後まで案内してほしいものです。
広葉樹の緩やかな斜面を登ります。木に目印があるので、これに従って進みます。
近くには、このような巨木の株があり、この辺が巨木の森だということがわかります。
道路から200m位進むと、木々の向こうに、ひときわ大きな木が見えてきました。タブです。
さらに近づきます。
前の写真の右から見たものです。確かに、今まで見たことのない大きなタブです。
幹周り:6.5m
根回り:14.8m
樹高:28m
樹齢:500年
人と比べて大きさがわかると思います。上床牧場のご主人の話によると、この辺には多くのタブの巨木があり、これはその中で一番か二番目に大きいそうです。
上部。樹勢がいいです。
真下から見上げたものです。
多くの植物が寄生しています。
湧水町の沢原(さわら)高原へ行きました。
途中にある木原展望台です。
展望台から吉松の町を望む。川は川内川です。右の小高いところ(山に囲まれた施設)は鹿児島刑務所。
向こうの高原(木のないところ)が沢原高原です。山は飯盛山。
栗野岳方面を望む。
正面に見えるのは木原牧場です。さらに山の上に行くと、上床牧場があります。
木原牧場を過ぎて行くと、このような看板があります。陸上自衛隊霧島演習場です。
上床牧場はこの先にあり、さらに進むことができます。
前の写真から少し進んだところからの眺め。上の道は上床牧場、下の道は自衛隊演習場に行く道です。
沢原高原の風景です。道は、自衛隊の演習場の道で、立ち入り禁止です。
九州では、阿蘇に次いで広大な草原が広がっています。
さらに進むと、上床牧場の「アンの家」に着きます。レストランとカフェになっており、予約すると利用できるそうですが、このときは予約していませんでした。
私は、アルプスの少女ハイジを連想しました。
アンの家の近くに咲いていたカノコユリ。
アンの家については、下のHPに載っています。
https://www.daiwahouse.co.jp/shinrin/kirishima/contents/topics/2009/20090901.htm
石橋を二つ紹介します。
伊佐市大口の轟(とどろ)橋を左岸から見たものです。
轟橋から上流を望む。川は川内川水系の平出水川です。
上流から見た轟橋。
橋長:14.65m
幅員:3.93m
架設年代:嘉永末・安政頃
江戸時代の石橋ですが、大きくて立派です。コンクリート部は、その後補修したものです。
上流の早瀬。
堰です。山は鳥神岡(とがめおか)で、別名伊佐富士です。
出水市の馬流(まながれ)橋を左岸から見たものです。
上流から見た馬流橋。
近景。
橋長:8.2m
幅員:3.7m
架設年代:明治36年
アーチ部。
馬流橋から上流を望む。
二つとも、地域の生活道路です。
伊佐市大口の十曽池から少し下ったところにある、小木原のオガタマノキを紹介します。
小木原の道路脇にあります。伊佐市指定文化財です。
道路側より見る。支柱で支えられています。
オガタマノキ(招霊木、モクレン科)。
幹周り:6.4m
根回り:9m
樹高:15.5m
上部。霊を招く木と書き、昔は神事に使用したため、神社に植えられることが多かったです。
ここには神社はありません。以前はJAがあったそうですが、今はありません。
下部。避けた幹が痛々しいです。
根元は空洞化しており、金網で保護されています。かなりの老木で、台風などで倒壊しないか心配です。
金網越しに見る。
空洞内部です。下には水が流れています。