高校生のとき、友達と二人で「湖の琴」(うみのこと)という映画を観にいったことがある。
水上勉原作の文芸作品映画だった。
若狭の貧農の娘、栂尾(とがのお)さくは、琵琶湖の北にある余呉湖のほとりに、糸とり女としてやってきた。
そこは三味線糸や琴糸の産地で、糸は余呉湖の水で洗われるから、いい音色を出すといわれていた。
さくは、宇吉という同郷の同僚と将来を誓う仲になっていたが、宇吉は兵役にとられていった。
そこへ、桐屋紋左衛門という長唄の師匠が糸とり見学に来て、観音様のようなさくの美しさに打たれ、三味線の弟子として京都に連れて行くことになるのだが、それが悲劇の始まりだった・・・
主人公のさくを演じたのは佐久間良子であり、彼女の美しさに魅せられた友達は、しばらく「さくちゃん、さくちゃん」と言っていた。
私は原作も読み、宇吉がさくの亡骸を背負って沈んだという余呉湖を、いつか観てみたいものだと思った。
その機会は、意外に早くやってきた。
就職して最初の赴任地は滋賀県だった。
私は、琵琶湖の東岸にある美しい城下町彦根に住んだ。
ある年の晩秋、私は余呉湖を訪れた。
当時つきあっていた女性と一緒だった。
余呉湖は、広大な湖である琵琶湖の陰に隠れたような、ひっそりとした小さな湖だった。
周囲の山を水面に映したその湖は、小説や映画の印象があるせいか、いくぶん陰鬱に見えた。
湖畔を歩きながら、私は彼女に「湖の琴」の小説や映画について話をした。
彼女は彦根に住んでいたが、石川県七尾の生まれで、さくと同じ北陸の女性だった。
私がまだ見たことのない七尾や能登半島の話をしてくれた。
その後曲折があって、彼女とは別れた。
まもなく、私は転勤を命じられた。
転勤先は石川県だった。
しかも、最初に与えられたのが七尾の仕事であり、金沢から七尾に通う日々が続いた。
私は、人生の巡り合わせの妙というものを感じないわけにはいかなかった。