撮り溜めていた写真から種子島の風景と植物をいくつか紹介します。
種子島の東海岸に海蝕洞がいくつかありますが、有名なものは千座(ちくら)の岩屋と、犬城海岸にある馬立(またて)の岩屋です。
中でも千座の岩屋は、アクセスがいいこと(観光バスから歩いて5分くらいで行ける)、規模が大ききことから、種子島の代表的な観光地のひとつです。
南種子町の東海岸 浜田海岸にあります。
洞窟入り口。
入り口はこの他にもいくつかあります。
洞窟内(海岸側)から洞窟の奥を眺めたもの。
千座の岩屋という名前は、千人が座れるくらい広いことから名づけられたものです。
満潮時は、ここに海水が入ってきますが、この時は干潮で中に入れました。
洞窟内から海側を眺めたもの。
奇岩が浮かぶ太平洋が広がっています。
種子島の東海岸に海蝕洞がいくつかありますが、有名なものは千座(ちくら)の岩屋と、犬城海岸にある馬立(またて)の岩屋です。
中でも千座の岩屋は、アクセスがいいこと(観光バスから歩いて5分くらいで行ける)、規模が大ききことから、種子島の代表的な観光地のひとつです。
南種子町の東海岸 浜田海岸にあります。
洞窟入り口。
入り口はこの他にもいくつかあります。
洞窟内(海岸側)から洞窟の奥を眺めたもの。
千座の岩屋という名前は、千人が座れるくらい広いことから名づけられたものです。
満潮時は、ここに海水が入ってきますが、この時は干潮で中に入れました。
洞窟内から海側を眺めたもの。
奇岩が浮かぶ太平洋が広がっています。
皆既月食
2007-08-29 | 風景
昨夜は皆既月食でした。
観察したり、写真を撮ったりした人も多かったのではないでしょうか。
鹿児島は、ときおり薄雲は出たものの、まずまずの天気で、見事な皆既月食を眺めることができました。
私も写真を撮ってみました。
天体写真といえば、一眼レフカメラ、望遠レンズですが、持っていないので、コンパクトデジカメで撮影したものです。
皆既状態が終わり、左下から明るくなったところ。
影の部分は赤黒く見えます。
満月状態に近づいたところ。
観察したり、写真を撮ったりした人も多かったのではないでしょうか。
鹿児島は、ときおり薄雲は出たものの、まずまずの天気で、見事な皆既月食を眺めることができました。
私も写真を撮ってみました。
天体写真といえば、一眼レフカメラ、望遠レンズですが、持っていないので、コンパクトデジカメで撮影したものです。
皆既状態が終わり、左下から明るくなったところ。
影の部分は赤黒く見えます。
満月状態に近づいたところ。
薩摩川内市入来町の、武家屋敷近くの国道沿いに、寿昌寺の仁王石像があります。
寿昌寺という寺は今はありません。
鳥居の両側に仁王石像が並んでいます。
金剛力士像で、向かって右のこの像は口を開けた阿金剛で、現実の世界を現すとされています。
向かって左のこの像は、口を閉じた吽金剛で、理想の世界を現すとされています。
両方合わせて、阿吽(アウン)の像です。
江戸時代初期のものではないかといわれています。
寿昌寺という寺は今はありません。
鳥居の両側に仁王石像が並んでいます。
金剛力士像で、向かって右のこの像は口を開けた阿金剛で、現実の世界を現すとされています。
向かって左のこの像は、口を閉じた吽金剛で、理想の世界を現すとされています。
両方合わせて、阿吽(アウン)の像です。
江戸時代初期のものではないかといわれています。
たまには庭の花を・・・
庭の甕でメダカを飼っており、そこにハスやホテイアオイを植えているのですが、ハスが花を咲かせました。
何という種類のハスかわかりませんが、直径10cm位の小柄な花です。
ところで、昨日のクモとハスから連想されるものといえば・・・?
そう、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」です。
意図して掲載したわけではありませんが。
バラ
四季咲きバラで、思い出したころに花を咲かせます。
この他に、いろいろな花が咲いています。
庭の甕でメダカを飼っており、そこにハスやホテイアオイを植えているのですが、ハスが花を咲かせました。
何という種類のハスかわかりませんが、直径10cm位の小柄な花です。
ところで、昨日のクモとハスから連想されるものといえば・・・?
そう、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」です。
意図して掲載したわけではありませんが。
バラ
四季咲きバラで、思い出したころに花を咲かせます。
この他に、いろいろな花が咲いています。
自宅の軒下に、コガネグモが巣を張っていました。
頭を下にし、足先にはWやらVやらNの字が・・・
金色の筋が美しいクモです。
子供のころ、初夏になると山にコガネグモを捕りに行き、家の庭木で飼っていました(子供のころは野生児だった。といっても、山と海しかなく、野生児になるしかなかったのだが)。
何のためかというと、大きくしてクモ合戦をするためです。
細長い棒上でクモを戦わせ、糸で絡まれたり、逃げ出したほうが負けです。
鹿児島は昔からクモ合戦が盛んで、特に加治木のクモ合戦は有名です。
島津義弘の朝鮮出兵のとき、兵士の士気を高めるために始めたのが始まりだそうです。
頭を下にし、足先にはWやらVやらNの字が・・・
金色の筋が美しいクモです。
子供のころ、初夏になると山にコガネグモを捕りに行き、家の庭木で飼っていました(子供のころは野生児だった。といっても、山と海しかなく、野生児になるしかなかったのだが)。
何のためかというと、大きくしてクモ合戦をするためです。
細長い棒上でクモを戦わせ、糸で絡まれたり、逃げ出したほうが負けです。
鹿児島は昔からクモ合戦が盛んで、特に加治木のクモ合戦は有名です。
島津義弘の朝鮮出兵のとき、兵士の士気を高めるために始めたのが始まりだそうです。
宮之城から紫尾神社に向かうと、紫尾小学校を過ぎてまもなく、道路左上の斜面に古めかしい墓石群があります。
案内板によると、神興寺僧侶の墓石群といいます。
紫尾山祁答院神興寺の歴代の僧侶の墓石群です。
最も古いものは、応永22(1415)年のものだそうです。
墓石は、上段、下段、北側合わせて60基あります。
さつま町指定の記念物(史跡)になっています。
案内板によると、神興寺僧侶の墓石群といいます。
紫尾山祁答院神興寺の歴代の僧侶の墓石群です。
最も古いものは、応永22(1415)年のものだそうです。
墓石は、上段、下段、北側合わせて60基あります。
さつま町指定の記念物(史跡)になっています。
小鹿倉橋
2007-08-24 | 石橋
宮之城の町から県道紫尾虎居線を紫尾神社に向かい、紫尾小学校を過ぎて約1.4km行くと、右の保育所に行く三叉路があり、これを右に曲がってすぐ石橋の小鹿倉橋(こかくらばし)が架かっています。
上流から見た小鹿倉橋。県道は右側。
この橋の諸元は次のとおりです。
所在地 :さつま町鶴田紫尾門前
橋長 :6.1m
幅員 :4m
支間数 :1連アーチ
架設年代:大正12年
川は、川内川の支流の夜星川の、そのまた支流の紫尾川です。
交通量は多くありませんが、現役の橋として使用されています。
上流から見た小鹿倉橋。県道は右側。
この橋の諸元は次のとおりです。
所在地 :さつま町鶴田紫尾門前
橋長 :6.1m
幅員 :4m
支間数 :1連アーチ
架設年代:大正12年
川は、川内川の支流の夜星川の、そのまた支流の紫尾川です。
交通量は多くありませんが、現役の橋として使用されています。
紫尾神社は、紫尾山の東 さつま町紫尾にある神社です。
1500年前、空覚上人により創建されたという由緒ある神社です。
藩政時代は島津氏により、明治時代は県社として祭典が営まれていました。
永野金山をはじめとする鉱山関係者の参拝が多かったそうです。
紫尾神社に隣接して紫尾温泉があります(神社は温泉の裏)。
この温泉で有名なものは「あおし柿」です。
渋柿を温泉に浸けておくと、渋が抜けるというものです。
温泉の温度と成分が微妙に作用するのでしょう。
秋になると渋柿を持ち込む人の様子が新聞やテレビに出ます。
1500年前、空覚上人により創建されたという由緒ある神社です。
藩政時代は島津氏により、明治時代は県社として祭典が営まれていました。
永野金山をはじめとする鉱山関係者の参拝が多かったそうです。
紫尾神社に隣接して紫尾温泉があります(神社は温泉の裏)。
この温泉で有名なものは「あおし柿」です。
渋柿を温泉に浸けておくと、渋が抜けるというものです。
温泉の温度と成分が微妙に作用するのでしょう。
秋になると渋柿を持ち込む人の様子が新聞やテレビに出ます。
鹿児島市春山に岩屋観音があります。
彦山神社近くの三叉路に案内板があるので、これに従って行きます。
車を止めてから山道を550m、約10分歩くと岩屋観音に着きます。
岩屋観音。
広さ7~8畳程度の洞窟です。
間口6m、奥行き7m、厚さ3m程度の天井岩が、同じような大きさの支柱岩に支えられています。
まるで、古墳の巨大な石室のようです。
このような洞窟がどうしてできたのでしょうか。
岩盤の割れ目に沿って風化が進み、巨大な転石状の岩となり、これらが偶然組み合わさって洞窟になったものと考えられます。
(風化した岩が転石状になるのは、屋久島の尾根に巨大な転石状の花崗岩があることからわかると思います。)
奥には石棺が2つあり、左には観音像が、右には不動明王が安置されています。
これは左の石棺の観音像。
安産祈願や交通安全祈願でお参りする人が多いそうです。
岩屋観音からさらに山道を130m登ると尾根に着き、ここから鹿児島市街地を展望することができます。
彦山神社近くの三叉路に案内板があるので、これに従って行きます。
車を止めてから山道を550m、約10分歩くと岩屋観音に着きます。
岩屋観音。
広さ7~8畳程度の洞窟です。
間口6m、奥行き7m、厚さ3m程度の天井岩が、同じような大きさの支柱岩に支えられています。
まるで、古墳の巨大な石室のようです。
このような洞窟がどうしてできたのでしょうか。
岩盤の割れ目に沿って風化が進み、巨大な転石状の岩となり、これらが偶然組み合わさって洞窟になったものと考えられます。
(風化した岩が転石状になるのは、屋久島の尾根に巨大な転石状の花崗岩があることからわかると思います。)
奥には石棺が2つあり、左には観音像が、右には不動明王が安置されています。
これは左の石棺の観音像。
安産祈願や交通安全祈願でお参りする人が多いそうです。
岩屋観音からさらに山道を130m登ると尾根に着き、ここから鹿児島市街地を展望することができます。