源流を訪ねる旅は、今まで脇田川と甲突川で行いましたが、今回は第3弾として永田川源流を訪ねました。
永田川は、鹿児島市春山町を源流とし、谷山を河口とする、鹿児島市第二の川です(第一は甲突川)。
なお、今まで単独で紹介しているものもありますが、あえてダブって紹介します。
永田川河口。
橋は谷山臨海大橋。
木之下川との合流地点の上流右岸にある谷山漁港。
永田川は港の向こうを流れている。
小松原2丁目の、永田川左岸の堤防にある煙硝倉跡之碑。
島津斉彬は、安政5(1858)年、この付近一帯に煙硝倉(火薬製造所)を建設した。
谷山の市街地を流れる永田川。
橋は、国道225号線の清見橋。
橋の右岸(写真左)にあるのが鹿児島情報高校。
清見橋の上流左岸にある石碑。
「波平刀匠 清見寺遺蹟」と書いてある。
波之平は、薩摩の名刀波之平を生んだ刀匠である。
案内板がないのでわからないが、清見寺は波之平の菩提寺だったのだろうか。
JR線谷山駅の裏手にある水道橋と堰。
県道鹿児島加世田線の新永田橋を下流から望む。
河川敷の藪に鴨がいた。
と思ったのだが、バードウォッチングをしている人に聞いたら、アヒルとのことだった。
永田川は、鹿児島市春山町を源流とし、谷山を河口とする、鹿児島市第二の川です(第一は甲突川)。
なお、今まで単独で紹介しているものもありますが、あえてダブって紹介します。
永田川河口。
橋は谷山臨海大橋。
木之下川との合流地点の上流右岸にある谷山漁港。
永田川は港の向こうを流れている。
小松原2丁目の、永田川左岸の堤防にある煙硝倉跡之碑。
島津斉彬は、安政5(1858)年、この付近一帯に煙硝倉(火薬製造所)を建設した。
谷山の市街地を流れる永田川。
橋は、国道225号線の清見橋。
橋の右岸(写真左)にあるのが鹿児島情報高校。
清見橋の上流左岸にある石碑。
「波平刀匠 清見寺遺蹟」と書いてある。
波之平は、薩摩の名刀波之平を生んだ刀匠である。
案内板がないのでわからないが、清見寺は波之平の菩提寺だったのだろうか。
JR線谷山駅の裏手にある水道橋と堰。
県道鹿児島加世田線の新永田橋を下流から望む。
河川敷の藪に鴨がいた。
と思ったのだが、バードウォッチングをしている人に聞いたら、アヒルとのことだった。