鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

宇曽木川渓谷

2009-03-31 | 水辺の風景
2月9日に、加治木町の宇曽木川にある獺貫(うそぬき)の滝を紹介しました。
その上流にある渓谷を訪ねました。


滝の上流に、さえずりの森という森林公園があります。
ここにある、河鹿(かじか)の橋という吊り橋です。
この付近から、河床に下りることができます。
河床をいったん下流に向かいます。


渓谷が狭まっており、滝があります。



上流から見た滝。
これ以上進むことはできません。
ここから上流を目指します。


小さな滝や早瀬が流れています。


さらに滝と早瀬が続きます。


右岸の岩は、面白い形をしています。
規則正しい割れ目があり、風化して上部が丸くなっています。


先ほどの吊り橋を下流から見たものです。


穏やかな流れもあり、木々の緑を映して静まり返っています。


やがて、堰がありました。
獺貫の滝の下流にある発電所に導水するための堰です。
宇曽木川渓谷の探訪は、ここまでとします。
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千手観音坐像

2009-03-29 | 史跡
指宿市の小田集落にある千手観音坐像を紹介します。


指宿駅の西、国道226号の少し西に小田集落があり、その一角にあるお堂に安置されています。
今から五百数十年前、山川まで来た虎森和尚は、正龍寺を建て開山しました。
隠退して、小田集落に大円寺を建て、ここに住みました。
この像は、虎森和尚の作と伝えられ、大円寺に安置されていました。
明治初年の廃仏毀釈のとき、集落の有志が山中に隠し、難を逃れて今に伝わっています。


木造千手観音坐像の全身。


上部のアップ。
ガラスケースの中にあり、白い線は反射跡です。
「子安の観音」として、遠方からの参拝者も多いそうです。
史的にも由緒があり、また工芸品としても優れているため、指宿市の文化財に指定されています。
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龍門司坂

2009-03-27 | 史跡
前回紹介した、加治木町の龍門滝の近くに、歴史街道「大口筋、龍門司坂(たつもんじざか)」があります。
江戸時代の街道のうち、鹿児島を基点とし、加治木から宮崎へ向かう街道を「日向筋」、加治木で分岐し大口を経由して熊本に向かう街道を「大口筋」といいます。
この大口筋の龍門司坂は、寛永12年(1635年)に造られました。
明治10年の西南戦争のとき、西郷軍がこの街道を通って熊本へ向かいました。
また、NHKの大河ドラマ「翔ぶが如く」のロケ地になりました。

全長約1500mのうち、約500mが当時のまま保存されています。
この街道を歩いてみました。


龍門司坂入り口。


苔むした石畳の坂が続きます。
段差をつけない道となっています。
すべりやすいので、注意が必要です。


坂の中間地点付近。
これは石畳ではなく、岩盤が露出した道です。


杉木立に木漏れ日が漏れる街道。


終点です。
静寂の中で、歴史を感じる旧街道歩きでした。
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龍門滝

2009-03-25 | 水辺の風景
加治木町にある龍門滝は以前紹介しましたが、いろいろな角度からの滝を紹介します。


滝見台から見た龍門滝。
一般の観光客は、この滝見台から見ることになります。
 高さ:46m
 幅:43m
日本の滝百選に選ばれています。
川は、網掛川です。


右岸側に道路があり、滝の上部に展望台があります。
展望台から滝の下流と加治木の町を見たものです。


この展望台から、木々の向こうに滝の上部を見ることができます。


滝の上流の河床に下りました。
この向こうで滝が落ちています。
迫力があります。


前の写真を撮った位置から上流を見たものです。
この上流に、1月20日に紹介した川蝉の滝と蛍の滝があります。


滝の落ち口の右岸から見た滝上部です。


同じ場所から見た滝の下部と滝つぼ。
絶壁のふちに立っており、怖いです。
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報国神社のアコウ

2009-03-22 | 巨樹・古木
前回紹介した指宿市の湊川橋の近くに報国神社があり、ここに日本一のアコウの木があります。
このアコウは以前紹介しましたが、再訪したので再び掲載します。


報国神社とアコウの木。
アコウ(榕)クワ科


アコウの全容。
 幹周り:14.6m
 樹高:20m
 幅:20m
 樹齢:300年
幹周り14.6mは、アコウの中で日本一だそうです。


近づくと、1枚に収まりませんので、3枚に分けて撮影しました。
根元。


中部。


上部。
多くの木が寄生しています。
このアコウは、海上からよく見えるため、昔から航行の目安にしていたそうです。

これまで3回に分けて紹介した、宮ケ浜港の石造り防波堤、湊川橋、このアコウは、すぐ近くにあり、宮ケ浜地区の名所になっています。
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湊川橋他

2009-03-21 | 石橋
前回紹介した、指宿市の宮ケ浜港の少し南に、湊川が流れています。
ここに、甲突川五石橋を建造した岩永三五郎が架けた湊川橋があります。
国道226号の橋のすぐ上流です。


上流から見た湊川橋。
 橋長:19.28m
 幅員:3.68m
 架設年代:天保15年
島津斉興が、家老調所笑左衛門に命じて架けさせたといわれています。


下流から見たもの。


下流左岸より。


右岸アーチ部。


上部は平成14年10月に修復され、新しくなっています。


湊川橋を上流に行くと狩集橋があります。
県道頴娃宮ケ浜線の橋のすぐ上流です。


上流から見た狩集橋(かりやずまりばし)。
 橋長:11.12m
 幅員:3.95m
 架設年代:不詳


下流から見たもの。
下流側は拡幅されています。

今回の石橋は、いずれも地域の重要な道路として現役で活躍しています。
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宮ケ浜港の石堤

2009-03-19 | 史跡
指宿市にある、宮ケ浜港の石造り防波堤を紹介します。


宮ケ浜港と石造り防波堤。
この防波堤は、天保5(1834)年、藩主島津斉興公の命によって建造されました。
延長215mあります。
防波堤建造前は、大風のたびに船が転覆していましたが、建造後は多くの船舶が停泊できるようになり、宮ケ浜港はたいそう賑わったそうです。


防波堤の上にある石灯籠。


最初の写真の防波堤を反対から見たものです。


防波堤先端部。
石積みの防波堤が美しい。


港の南には石造り護岸があり、公園として整備されています。
向こうが宮ケ浜港です。
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豊臣秀頼の墓

2009-03-17 | 史跡
豊臣秀頼と母淀君は、大阪夏の陣で自害しました。
その秀頼が、薩摩に逃れたという伝説があり、墓もあります。
場所は、鹿児島市谷山4丁目の木之下(木之下公民館近く)です。
秀頼の父秀吉の、木之下藤吉郎の木之下と関係があるのかどうかわかりません。


墓の案内板。
「伝」というのが怪しいことを示している。


秀頼の墓。
人家の庭にあります。
初代谷山氏の供養塔という説もあります。


隣の石塔。

秀頼とその妻千姫は、信長、秀吉、家康の三人と密接な関係があります。
秀頼は、信長の妹お市の長女淀君(茶々)の子。
千姫は、お市の三女お江の子。
二人はいとこ同士で、二人から見て信長は祖母の兄になります。

秀頼の父が秀吉(そうでないという説もある)。
千姫の義理の父が秀吉。

千姫の祖父(父秀忠の父)が家康。
秀頼の義理の祖父が家康。

つまり秀頼、千姫とも、信長、秀吉、家康の三人のうち二人と血縁関係にあり、残り一人と縁戚関係になるわけです。
政略結婚とはいえ、戦国時代のサラブレッドですね。
ちなみに、千姫は大阪夏の陣から救出され、その後長く生きました。
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かからん団子

2009-03-15 | 食べ物
鹿児島の郷土菓子に、かからん団子があります。
種子島から、かからん団子が送られてきました。


かからん団子は、サルトリイバラの葉で包むのが一般的で、左上の丸い団子がそうです。
「かからん」とは、触らない、という意味で、とげがあるため触らない、ということから、サルトリイバラの葉をかからん葉といいます。
これで包む団子だから、かからん団子というわけです。
それ以外の葉で包むこともあり、写真のその他の団子は、ゲットウ(シャニン)の葉で包んだものです。


団子。
ゲットウの葉は、おにぎりを包んだりするのに用いられ、いい香りがします。
団子に香りが移っており、私は、かからん葉で包んだものより好きです。
また、ニッケイ(肉桂)の葉で包んだものは、けせん団子といいます。

かからん団子の作り方。
材料は、団子の粉(もち米粉、米粉を1:1で混ぜたもの)、よもぎ(湯がいてすったもの)、砂糖・塩少々で、これらを混ぜて水を加えて練り、丸めます。
かからん葉、あるいはゲットウの葉に包み、蒸し器に入れて約20分蒸します。
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日木山里の田の神他

2009-03-13 | 田の神
加治木町の、九州自動車道加治木ジャンクションの近くに、蔵王岳があります。


急峻な岩峰の蔵王岳(153.7m)。
この山は、火山岩頸(がんけい)といい、マグマが軟らかい岩に貫入し、冷えて固まった後、周囲の岩が浸食され、残ってできたものです。


この山の南麓の日木山里に、田の神があります。
民家の前にあり、左のイヌマキの古木もなかなか立派です。


田の神の全容。


アップ。
この田の神は、天保年間(1830~1843年)ころの石工名島喜六の作といわれています。
左手は頭のシキを支え、右手はメシゲを膝の前に持って、今にも踊りだしそうな田の神舞の一こまです。
なんとも豊かな表情です。
この田の神は、昭和59年、東京で開催された「ほほえみの石仏展」で会場正面に飾られたそうです。



前の田の神から、隼人道路をくぐって南へ行くと、日木山川に吉原橋があり、これを渡った右側に、この田の神があります。


アップ。
両手でメシゲを抱えています。
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