鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

福岡城跡(3)

2008-07-31 | 
福岡城跡の最終回です。
大手門から、六号濠に向かいました。


途中、道路の右側に名島門(なじまもん)があります。
この門は、小早川隆景が多々良川口の名島に築いた名島城の脇門でした。
門をくぐって左に、舞鶴中学校があります。


城の南にある六号濠。
橋は、木橋の多聞橋です。


多聞橋を前の写真の反対側から望む。


多聞橋を渡って城内に行きました。
多聞櫓があるところの石垣です。
この付近は、大手門などの表と異なり、城の裏手に当たるためか、石垣は隅石を除いて自然石を積んでいます。
きれいに整形された石垣もいいですが、これはこれで、素朴で自然な感じでいいです。


近くには、クスノキの大木が鬱蒼と茂っています。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福岡城跡(2)

2008-07-29 | 
福岡城の天守台を下りて、大手門へ向かいました。
大手門は、裁判所脇の入口と同じ通りに面したところにあります。


堀と大手門。
堀に架かる石橋は、汐見橋です。


汐見橋を正面から望む。


堀は、ハスで覆いつくされています。
ちょうど、ハスの花がたくさん咲いていました。


城外から見た大手門。
残念ながら、修復工事中でバリケードが張ってあり、中に入ることができません。


城内側から見た大手門。
ここからも、バリケードでよく見ることができません。


大手門の横にある、潮見櫓。
この櫓は、福岡城47の櫓の一つで、博多湾や玄界灘の形勢を望み、海上防御のため築かれたものです。
もともと福岡城の西北隅にありましたが、大正の初め、浜の町の黒田家別邸に移され、その後、昭和31年ここに復元されました。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福岡城跡(1)

2008-07-28 | 
福岡市に行ってきました。
市内で、いい観光地はないかと思っていたら、momomamaさんが福岡城跡を紹介していたことを思い出し、行ってみることにしました。

福岡城は、初代藩主黒田長政によって、慶長6年(1601年)から7年をかけて築かれました。
丘陵地にあり、城内に陸上競技場や平和台球場跡のある広大な敷地です。


裁判所脇からの入り口。


本丸に行く途中の石垣。


本丸跡。
桜園となっています。
春は桜の名所となるそうです。


本丸の北東隅にある祈念櫓。
鬼門封じのために建立された二層の櫓です。


本丸跡にある井戸。
九州大学が、地震研究のため、地下水観測を行っていました。


天守台。
天守閣はありません。


天守台からの眺め。
大濠公園側を見たものです。
ここからは、福岡市内を一望できます。

次回は、大手門付近を紹介します。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いずろの石灯籠

2008-07-24 | 史跡
鹿児島市の天文館の近くに、いずろという交差点があり、ここに3基の石灯籠があります。


いずろ交差点。
海側から天文館側を眺めたものです。


天文館側、南の角にある石灯籠。


海側、南の角にある石灯籠。
道路の向こうにも石灯籠が見えます。


海側、北の角にある石灯籠。
大国主神社の前にあります。


大国主神社。

この石灯籠は、南林寺(現在の松原神社)の参道に並んでいたものであるという説と、屋久島に通う船の航路の標識として、波止場にあったものだという説があります。

ところで、いずろという地名ですが、石灯籠がなまったものだとされています。
鹿児島では、言葉を短く言う特徴があり
 いしどうろう→いっどろ→いずろ
となったものです。
とすると、タイトルの「いずろの石灯籠」は、「石灯籠の石灯籠」になるわけです。

*明日から3日間、留守にするため、ブログの更新を休みます。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

屋久島

2008-07-23 | 風景
所用で、屋久島に行ってきました。


白谷雲水峡に行く道路から眺めた宮之浦の町。
宮之浦は、屋久島の表玄関で、高速船やフェリーが着く港町です。
海の向こうに、種子島が見えるのですが、かすんで見えませんでした。


森に入ると、杉の倒木がありました。
一面、コケに覆われています。
右側に、小さな木が芽を出しているのがわかるでしょうか。
倒木を栄養源として、この木が大きく育っていくのです。
植物の輪廻です。


帰りの空港にて。
海の向こうに細長く種子島が見えます。
種子島と屋久島は、隣にあって、一方は細長く平坦な島、一方は丸くて高い山、と対照的な島です。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ケータイ

2008-07-22 | エッセイ
携帯電話のことを、ケータイと言ったり書いたりする。
ケイタイではなくケータイである。
最初は、わざとくだけて言っているのかと、違和感があった。
そうではなく、エ列の後にイが来る場合は、延ばして言う傾向があるのだそうだ。
先生をセンセー、関係をカンケーと言うように・・・
その方が言いやすいからだろう。
この傾向は全国的らしいが、九州は、きちんとケイタイ、センセイと発音する傾向があるそうだ。
私もそう発音するし、周りの人もそういう人が多い。
だからといって、九州人が性格的にきちんとしているというわけではない。

スーパーのダイエーの、英語の表記はDaieiである。
もともとはダイエイ(大栄薬品工業株式会社が前身)なのだが、ダイエーの方が言いやすいから、社名がダイエーになったものだろう。
ダイエーは正式な社名なので、私ももちろんダイエーと発音する。

ところで、最近の携帯電話は、電話という範疇を大きく超えて、さまざまな機能がついている。
従って、携帯電話という呼び名はふさわしくなくて、むしろケータイでいいのかも知れない。
携帯電話が進化して、ケータイという新種になったと考えれば、違和感はなくなる。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

坂本龍馬新婚の旅碑

2008-07-20 | 史跡
鹿児島市の、甲突川河口付近の右岸に天保山公園があり、その近くに「坂本龍馬新婚の旅碑」があります。
天保山公園には、島津斉彬が築かせた砲台跡があります。


坂本龍馬新婚の旅碑。

薩長同盟を成立させた龍馬は、慶応2年(1866年)、宿舎の寺田屋で幕府の手先の襲撃を受け負傷しました。
西郷隆盛の勧めで、鹿児島に湯治旅行に来ました。
西郷のほか、小松帯刀、龍馬の妻お龍も一緒でした。
大坂を出帆し、3月10日鹿児島に到着しました。
龍馬夫婦は、日当山温泉、塩浸温泉、高千穂峰登山と、まさにハネムーンを満喫しました。
これが、日本最初の新婚旅行といわれます。


牧園町の天降川沿いに塩浸温泉があり、ここにも龍馬夫婦の像があります。


塩浸温泉の坂本龍馬新婚旅行の像。
鹿児島市のものとポーズが似ており、お龍さんが傍らに座って龍馬を見ています。

この平和な鹿児島旅行から1年半後、龍馬は京都近江屋で暗殺され、33歳の短い生涯を閉じるのです。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天文館跡の碑

2008-07-19 | 史跡
昨日紹介した「俊寛之碑」から、天文館のアーケード街へ向かいます。


鹿児島一の繁華街、天文館のアーケード街(天文館本通)。
電車通りから、照国神社に向かう通りです。
いつも人通りでいっぱいです。
ここに、天文館跡の碑があります。


アーケード街の道路脇にある天文館跡の碑。

1779年、第25代島津重豪は、天文観測や研究のため、ここに明時館を建てました。
藩内の暦は、全てこの明時館から配布し、薩摩暦とか鹿児島暦と言われました。
明時館は別名天文館と呼ばれ、今の天文館の地名の由来となりました。

この付近は、鶴丸城からも近く、石垣をめぐらせた武家屋敷や、迎賓館に当たる御着屋や花岡屋敷などがあったところです。
今はネオンきらめくこの場所も、当時は天文観測ができるほど暗かったわけです。


天文館跡のプレート。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

俊寛の史跡

2008-07-18 | 史跡
鹿児島市の天文館近くの中町に、俊寛の碑があります。
平安時代末期、俊寛は平家を倒すため、京都の鹿ケ谷で会合をしていたことが発覚し、平清盛に捕らわれました。
治承元年(1177年)、鹿児島県の南の島、硫黄島(鬼界島)に流されました。


中町のビルの谷間にある「俊寛之碑」。
そのとき船出したのが、この辺りなのです。
明治31年ごろ埋め立てられるまでは堀があって、俊寛堀と呼ばれていました。


俊寛が流された硫黄島の港。
恋人岬から眺めたものです。
集落は、この港周辺だけです。


俊寛が住んでいたお堂。
港から離れたところにあり、当時は地の果てに流された心境だったでしょう。


港にある俊寛の像。
一人だけ赦免が許されず、船を追いすがる姿です。
前の写真とこの写真は、以前「硫黄島」という記事でUPしました。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田上のレンガ橋

2008-07-17 | 石橋
鹿児島市田上町にある、JR鹿児島本線のレンガ橋を紹介します。
鹿児島市街地から田上を通り、星ヶ峯に向かうと、脇田川を渡ります。
ここから、脇田川を上流に向かいます。


すぐ右手に、このレンガ橋が見えます。
橋というより、雨のとき、沢水を排水する暗渠といったほうがよく、普段は水が流れていません。


さらに上流に行くと、道が2つに分かれており、左の道を線路沿いに行くと、このレンガ橋があります。
これも暗渠といってよく、普段は水が流れていません。


前方に行くと、脇田川にぶつかります。
脇田川に架かるJR線のレンガ橋です。
 幅員:37m
 径間:4.6m
 架設年代:大正2年頃


脇田川をさらに上流に行くと、このレンガ橋があります。
 幅員:54m
 径間:4.6m
 架設年代:大正2年頃

石橋とはまた違った、楕円形のアーチが美しいJR線のレンガ橋です。
(データは、niemonさんのHPに依りました)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする