阿久根市脇本の寺島宗則記念館へ行きました。
新田川河口右岸にある寺島宗則(松木弘安)旧家です。
寺島宗則は、1832年、近くの長野家に生まれ、幼い時伯父松木宗保の養子として、この松木家に来ました。その時の名前が松木弘安で、その後寺島宗則に改名しました。
旧家は記念館になっています。
寺島は、島津斉彬が進めた集成館事業に参加し、電信実験、日本初の自家製蒸気機関搭載船「雲行丸」の実用化、大砲鋳造のための反射炉の完成などで活躍しました。
大きな手水鉢。
30歳の時、医師兼通訳として幕府遣欧使節団に同行しました。
庭から脇本浦を望む。島は改名のきっかけとなった寺島です。
その後、五代友厚と共に薩摩藩英国留学生を率いて再びヨーロッパへ行きました。
庭に養母ヤヲが建てた石像があります。
左は田の神、右は神像です。嘉永元年(1848年)、松木弘安、母などと刻まれています。
玄関を上がったところに、肖像画があります。
帰国後は、外交や電信の整備など日本の近代化に大きな足跡を残しました。
3間続きの座敷です。
寺島宗則の子孫の長野さんに案内していただきました(長野は寺島の生家の性)。
ビデオの説明もありました。風光明媚な脇本浦と寺島です。
薩摩藩英国留学生の写真。後列右から二人目が寺島宗則です。
薩英戦争(1863年)の2年後にイギリスに留学生を派遣するとは、送る薩摩も受け入れるイギリスもすごいことです。
古いトランクは、ヨーロッパで持ち歩いたものでしょうか。