鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

揖宿神社のクスノキ他

2018-04-30 | 巨樹・古木

指宿市にある揖宿神社のクスノキを紹介します。

 

鳥居の両側にクスノキが見えます。ここにはクスノキの巨木が8本あります。

 

揖宿神社社殿。

 

代表的なクスノキを見ていきます。これは、鳥居をくぐって右にあるものです(最初の写真の右の木)。

 

根元。

 

別の角度から見たものです。

 

社殿に向かって左にあるクスノキです。

 

根元。

 

社殿の奥にあるクスノキです(2枚目の写真の右の木)。

 

根元。データはありませんが、これが一番根回りが大きいようです。

これらのクスノキは、開聞岳噴火の時、開聞岳から3本を植栽したと伝えられています。それからすると樹齢千年以上ですが、実際は700~800年と推定されています。

 

神社の前にあるムクノキです。

幹周り:3.1m 樹高:21.1m 樹齢:300年

 

別の角度から見る。

 

根元。補修跡があります。

 

奥に、忠魂碑などの石碑があります。

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姶良町歴史民俗資料館

2018-04-28 | 施設

姶良市の姶良町歴史民俗資料館に行きました。

 

庭に展示物があります。

 

前の写真の右のお地蔵さん。

 

木津志の城野神社の社殿に使われていた鬼瓦です。

 

石風呂。

 

石風呂の内部。焚口の金属が残っているのは珍しいです。

 

資料館の内部です。昭和の部屋が再現されています。

 

古い農具です。これは千歯脱穀機。

 

唐箕(とうみ)。穀物を脱穀した後、籾殻や葉屑を風で除去するものです。子供のころ、実家にもありました。

 

カマスを編む道具です。

 

田の神が4体あります。

 

古墳時代の萩原遺跡から出土した甕。

 

帖佐人形。土人形で、最盛期の大正時代には40窯を超えましたが、昭和の初めに途絶えました。その後、復活されました。

 

薩摩焼の西餅田系です。

 

帖佐納屋町船の模型です。

地方のこのような資料館はどこも入場者が少ないですが、料金が安く(ここは210円)、勉強にもなるので、たまに訪ねるのもいいです。

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平川動物公園

2018-04-26 | 生きもの

鹿児島市の平川動物公園は、動物と触れ合って癒され、広大な敷地で運動にもなるので、たまに訪れます。

 

入口を入って正面にあるアフリカの草原ゾーン。キリン、シマウマ、サイなどがいます。

 

近くで餌を食べるキリン。

 

カバの竜馬とナナミです。

 

ホワイトタイガー。ここで赤ちゃんが生まれました。

 

パタスザル。中央アジアにいます。

 

ラマ。運搬用のほか、肉や毛が利用されます。

 

ブラジルバク。

 

カンガルー。

 

コアラ。ここで人気のある動物です。顔をうずめて寝ていることが多いですが、この時は顔を上げていました。

 

サル山のサル。

 

白クジャク。貴婦人のようです。

 

ミーアキャット。立ち上がって見張りをします。

 

エゾヒグマ。日本で最大の陸に住む哺乳類です。

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篤姫ゆかりの地(3)

2018-04-24 | 史跡

田の神から今和泉島津家の墓地へ向かいます。

 

JR指宿枕崎線の横を通っていきます。

 

今和泉島津家の墓地です。初代忠郷から6代忠冬までの五輪塔、宝篋印塔(ほうきょういんとう)などの形の墓があります。

 

五輪塔の形の5代忠剛の墓。篤姫の父です。

 

宝篋印塔の形の2代忠温の墓。

 

宝塔。

 

近くに、六地蔵塔が3基あります。

 

真ん中の六地蔵塔。

 

上部の六地蔵です。

 

石像、石灯籠、磨崖仏などがあります。

 

石像と石灯籠です。

 

石像(不動明王?)。

 

五輪塔の磨崖仏です。

 

この後、指宿駅前の青葉という店で、温たまらん丼を食べました。温泉卵が乗った丼で、指宿のいろいろな店で提供しています。

「鶴瓶の家族に乾杯」でも、青葉の温たまらん丼が出ました。

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篤姫ゆかりの地(2)

2018-04-23 | 史跡

今和泉小学校(今和泉島津家屋敷跡)から、国道を渡って進みます。

 

今和泉校区公民館の庭に、孝女袈裟子の碑があります。

 

1780年、岩本に生まれた袈裟子は、生まれつき話すことができず、妹を早くになくし、一人で両親の世話をしました。昼は仕事に励み、夜は寝ずの看病をするなど、大変な親孝行でした。それを知った今和泉の殿様から、51歳でなくなるまでお金や米を賜りました。

 

踏切を渡って進みます。

 

豊玉媛神社です。

 

鳥居の前に対の仁王像があります。

 

阿像。

 

吽像。

 

彦玉神社。海神で海幸彦とも言われ、豊玉姫の父です。

 

豊玉媛神社社殿。1695年の棟札に、当主の無事と地元民の繁栄を祈るため、鳥居と仁王を建てた、と書かれているそうです。

 

社殿から見た境内。

 

近くに田の神があります。

 

両手でメシゲを持った田の神。女性でしょうか。

次回は、今和泉島津家の墓へ行きます。

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篤姫ゆかりの地(1)

2018-04-22 | 史跡

篤姫の生家、今和泉島津家跡がある指宿市今和泉を散策しました。

ここは大河ドラマ「篤姫」で脚光を浴びましたが、その後ブームは去っていました。今の大河ドラマ「西郷(せご)どん」で再び訪れる人が増えているようです。

 

今和泉漁港。駐車場があり、ここからスタートです。右に穴の開いたドームのようなものがありますが、漁礁でしょうか。

 

岸壁にこのようなものがありますが、何でしょうか。

 

麓の町割りを通って、今和泉小学校へ向かいます。

 

小学校の前にある隼人松原です。

 

石垣の横を歩いていきます。熟年カップルを何組か見かけました。

 

篤姫の少女像です。背後に桜島が見えますが、この時はかすんで見えませんでした。

 

芯の強そうな少女時代の篤姫の顔。

 

像の近くに手水鉢があります。新しいもののようです。

 

今和泉小学校(海側)。今和泉島津家の屋敷があったところです。

 

小学校の前の隼人松原。右にはすぐ浜辺があります。

 

切った幹から松の芽が出ていました。

 

松原から浜辺へ下りる階段。NHKテレビの「鶴瓶の家族に乾杯」で、篤姫役の北川景子さんがここを訪れ、浜辺へ下りたのがこの階段と思われます。

篤姫も屋敷から階段を下りて浜辺へ行き、桜島を眺めたことでしょう。

 

小学校の裏庭(海側)にある井戸。

庭仕事をしていた若い女性(用務員さん?)が、「手水鉢をご覧になりませんか」と案内してくれました。立ち入り禁止の小学校が多い中、ここは観光客が多いと見えて、職員の対応が親切です。

 

正面玄関(校庭側)の前に手水鉢があります。右の木はクロガネモチです。

 

今和泉島津家伝来の手水鉢。篤姫も使ったかもしれません。

 

これも、その女性が案内してくれました。屋敷にあったクロガネモチの一部です。

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重富海岸

2018-04-20 | 水辺の風景

姶良市の重富海岸を紹介します。

 

思川河口と桜島。重富海岸は、この左にあります。

 

重富海岸は広大な干潟です。ちょうど潮が引いていました。

 

霧島錦江湾国立公園の一部です。向こうは大隅半島。

 

錦江湾の奥を望む。

 

島は隼人三島(別名神造島)です。

 

浜辺を散歩する人や休憩する人がいました。

 

松林があります。

 

なぎさミュージアム。環境省の施設です。

 

中に入りました。入場無料です。

 

干潟の生き物が展示されています。

 

ボラです。

 

ひげのある魚がいました。

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日吉散策(3)

2018-04-19 | 史跡

桂山寺跡を後にして進みます。

 

桂山寺跡から100m位進むと、大河ドラマ西郷どんに出てきた赤山靭負(ゆきえ)の墓があります。

 

赤山靭負の墓。

赤山靭負は薩摩藩の要職にありましたが、斉彬と久光の家督相続をめぐるお家騒動(お由羅騒動)で、1849年、斉彬派の赤山は切腹を命じられました。赤山家に出入りしていた西郷隆盛の父に、切腹の際の血染めの肩衣を形見に遺したとされ、西郷隆盛にも大きな影響を与えました。

 

溜池の堤防を歩いていきます。

 

堤防から下流の田園風景を望む。

 

堤防を渡り、山道を歩いていきます。

 

熊野神社があります。

 

階段を上がったところに、変わった形の狛犬がありました。

 

落ち葉が敷き詰められた境内。

 

熊野神社社殿。島津家初代忠久公が薩摩下向の時、嵐にあい、紀伊の熊野神社に嵐を鎮めるよう祈願したところ、暴風が静まり無事上陸できたので、この地に熊野神社を分祀したそうです。

 

隣に、高野山49番札所剣山寺があります。

 

子育て観音です。

 

観音様と地蔵様。

 

五重塔。

 

洞窟にお不動さんがあります。

 

お不動さん。

 

剣山寺を後にして歩くと、小正醸造があります。

 

近くにある権現様の井戸。権現様とは、先ほどの熊野神社です。昔から銘水として知られ、神社の祭事に清めの水として使われました。

小正醸造は銘水の近くに工場を建設し、この地下水が焼酎造りに使われているそうです。

 

井戸の隣にある池。

 

明信寺です。

この後、スタート地点に戻りました。3時間半(昼食休憩含む)のウォーキングでした。

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日吉散策(2)

2018-04-18 | 史跡

八幡神社を後にして進みます。

 

レンゲソウの田んぼを見ながら歩きます。

 

大乗寺跡です。大乗寺は、雪窓院(本家15代島津貴久夫人)が開山しました。

1595年、日置島津家3代常久が、初代歳久の冥福を祈る寺として再興、後に日置島津家の菩提寺となりました。

 

亀の背中に乗った祠です。

 

龍の像が刻まれた石灯籠。

 

神社の前の狛犬。焼き物のようです。

 

対の仁王像があります。

 

阿像。左腕が欠けています。

 

吽像。

 

島津歳久の墓です。

 

一刀彫りの見事な龍の手水鉢。1738年、藤原久辰(赤山家祖)が寄進しました。

 

諏訪公民館入口の道路脇に田の神があります。

 

舟形に彫られた中の田の神です。

 

田植えが終わったばかりの田んぼを見ながら歩きます。

 

諏訪神社に寄りました。

 

諏訪神社社殿。

 

田園風景が広がっています。

 

国道を渡って進むと、桂山寺跡と赤山靭負の墓の案内板があります。

 

桂山寺跡です。元は霊徳寺でしたが、1595年、日置島津家3代常久が桂山寺と改め、父忠隣の菩提寺としました。

対の仁王像があります。

 

阿像。

 

吽像。

 

供養庚申塔です。

 

上部の六地蔵。

 

手押しポンプがありました。現役のようです。

 

島津忠隣(ただちか)の墓です。

次回は、近くにある赤山靭負の墓を訪ねます。

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日吉散策(1)

2018-04-17 | 史跡

4月初め、日置市日吉町を散策しました。今回のコースに、大河ドラマ西郷どんに出てきた赤山靭負(ゆきえ)の墓があります。

 

Aコープの前にある若宮神社からスタートしました。

 

若宮神社社殿。

 

田園風景を眺めながら歩きます。早いところでは、田植えが終わっていました。

 

国道を渡って日吉小学校へ行きました。3月まで日置小学校でしたが、4つの小学校が統合され、4月から日吉小学校になりました。

 

センダンの木。葉が茂ったら見事でしょう。

 

光禅寺跡です。日置初代島津歳久公婦人は、1602年、この地に寺院を建立しました。

仁王像は1672年に建てられたものです。

 

阿像。

 

吽像。廃仏毀釈で破壊されました。

 

階段を上がります。

 

招魂塚。西南戦争の戦死者38名を祀ったものです。

 

歳久公婦人の墓でしょうか。

 

五輪塔や宝塔が並んでいます。

 

墓から日吉の町を望む。左上の白い建物が日吉支所(旧日吉町役場)。

これから、写真の方向に歩いていきます。

 

八幡神社です。

 

八幡神社社殿。6月第1日曜日に、お田植際「せっぺとべ」が奉納されます。

 

境内に、ナギの古木が数本あります。よく神社に植えられています。

 

ナギの下部。

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