鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

カリン

2012-11-30 | 食べ物

今年も、庭のカリンの実が熟れました。

 

 

4月。カリンの花です。

 

青いカリンの実。ヘチマの蔓が延びて、カリンと同居しました。

 

11月下旬。黄色く色づきました。

 

黄金色のカリンの実。

 

カリンの木の根元には、ツワブキの花が咲いています。

 

収穫です。今年は24個採れ、おすそ分けしました。

 

玄関に置いて、香りを楽しみました。

 

カリンジュースを作りました。

皮を剥かずにカットし、種も一緒にビンに入れて、氷砂糖を入れます。数ヶ月冷暗所に置くとジュースができます。のどにいいので、風邪を引いたときなどに飲むといいです。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鶴丸麓

2012-11-28 | 史跡

日置市東市来町の鶴丸麓を訪れました。

 

鶴丸小学校の前の通りです。立派な石垣があります。

 

お城の門のような正門です。

 

前の写真に見えるイチョウ。葉は、散りかけていました。

 

根元。イチョウの葉のじゅうたんです。

 

鶴丸小学校。背後の山が東市来鶴丸城跡です。

 

小学校の隣にある春日神社。

 

前の写真のイチョウを反対から見たもの。

 

春日神社の隣にある護国神社です。

 

護国神社の紅葉。

 

鶴丸城の麓にあるフランシスコ・ザビエルの像。

ザビエルと鶴丸城の関係は、家老のミゲル(洗礼名、日本名不詳)が、ザビエルをこの城に案内したことに始まります。
城主、新納伊勢守康久は、厚くもてなして城内での布教を許しました。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

徳之島の西郷隆盛謫居跡

2012-11-26 | 史跡

西郷隆盛が、奄美大島と沖永良部島に2回流されたことは、割と知られていますが、徳之島にも流されています。

 

徳之島空港の南にある湾屋港。

沖永良部島に流される途中、ここに上陸し、徳之島で2ヵ月半滞在しました。

 

港にある「西郷南洲翁上陸記念碑」。

 

案内板。

 

岡前にある西郷隆盛謫居(たっきょ)跡。

ここの松田勝伝方に69日間滞在しました。西郷さん36歳のときです。

 

「西郷南洲先生謫居之跡」の碑。

 

力石。

西郷さんが、村の青年たちと力比べをした石です。重い石で66kgあります。

 

隣にあるアコウの木。

 

北に見える寝姿山。巨人が寝ている姿に似ています。

西郷さんも、この山を眺めたことでしょう。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鈴連滝

2012-11-24 | 水辺の風景

薩摩川内市祁答院町の鈴連滝を紹介します。

県道堂山宮之城線の小牧バス停から、南の城北方面へ行くと最初の川を渡り、橋の下流(右側)にあります。

 

橋の下流に滝の上部が見えます。

 

道路から見た滝。

 

橋から滝を見下ろしたものです。

 

下流側から見た滝。木が邪魔をして、全景が見えるところがありません。

河床に降りるのも、少し難しいです。

 

近景。岩盤を滑り落ちる滝で、レースのようです。

 

別の角度から。

この滝は、看板もなく滝見台もありません。道路から近く、簡単に見ることができる滝だから、環境を整備すれば観光資源になると思うのですが。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

成木田橋他

2012-11-22 | 石橋

薩摩川内市祁答院町の石橋を3つ紹介します。

 

右岸から見た成木田橋。地域の幹線道路です。

 

上流から見た成木田橋。

 橋長:14.8m

 幅員:3.51m

 架設年代:明治36年

 

上流から見た近景。

 

下流より。

 

左岸から見た中山橋。右のガードレールのところが橋です。

 

下流から見た中山橋。上の木は桜です。

写真を撮っていると隣のおばあさんが出てきて、桜の花と石橋の写真が山形屋(デパート)に飾られた、と教えてくれました。

桜の頃の石橋もいいでしょうね。

 

下流から見た近景。

 橋長:3.75m

 幅員:7.25m

 架設年代:大正15年3月

 

上流より。

 

下流から見た地蔵橋です。

草に覆われてアーチがよく見えません。河床に降りることもできません。

 橋長:3.6m

 幅員:2.7m

 架設年代:不詳

 

上流から、かろうじてアーチの一部が見えました。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熊野神社の仁王像とイスノキ

2012-11-20 | 巨樹・古木

日置市伊集院町飯牟礼の熊野神社を訪ねました。

 

熊野神社。鳥居のところに対の仁王像があります。

 

左の阿像。左腕が欠けています。

 

右の吽像。こちらは破損していません。

 

社殿。

 

神社に向かって右にイスノキがあります。

 

イスノキ(柞の木、マンサク科)の全容。日置市指定保存樹です。

 幹周り:2.40m

 樹高:20m

 推定樹齢:500年

 

中部。

幹はやや赤味がかり、葉は光沢があります。材質が硬く、そろばん玉や櫛などに利用されます。

 

根元。それほど巨木というわけではありませんが、樹齢を重ねた風格があります。

葉や枝に「虫えい」という球ができ、これを笛にして鳴らすことができます。その音から、イスノキのことをヒョンノキとも言います。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮脇の田の神他

2012-11-18 | 田の神

薩摩川内市祁答院町の田の神の続きです。

 

黒木小学校から南東へ行ったところにある宮脇の田の神です。

 

鮮やかな赤色に彩色されています。

 

稲刈りが終わった田んぼの脇に建っていました。

 

上手小学校から県道を挟んで南にある田の神です。向こうに見えるのが上手小学校。

 

自然石に彫られ、大きなシキを被り、赤く彩色されています。

 

稲刈りが終わった田んぼを見つめています。

 

藺牟田池口バス停の近くにある田の神です。

記念碑の石の間にあります。

 

微笑んだ表情で、右手にメシゲを持っています。

 

2枚前の写真の道路を進むと、右側の田んぼの中に田の神がありました。

 

顔はやや風化していますが、体の彫りは新鮮です。

 

大村麓の近くに八幡神社があり、その参道にある田の神です。

 

自然石に彫られ、シキを被っています。

 

小牧バス停から城北へ行く途中の道路脇にありました。

 

表情らしいのが見えますが、体ははっきりしません。これも田の神でしょうか。

祁答院には多くの田の神がありますが、多くは説明看板もなく、名称や建造年代はわかりません。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒木麓

2012-11-16 | 史跡

薩摩川内市祁答院町の黒木麓を訪ねました。

 

黒木小学校。御仮屋跡です。

手前の木はセンダンです。

 

小学校の隣の、階段を上ったところが黒木村役場跡です。

昭和30年まで黒木村がありましたが、その後、祁答院町、薩摩川内市に合併されました。

 

役場跡にある円明院仁王像。

 

右の阿像。

 

左の吽像。珍しく破壊されていません。

廃仏毀釈のとき地中に埋められ、後で掘り出したそうです。

 

農協の駐車場に、「黒木村産業組合倉庫」という古めかしい石の看板がありました。

 

農協駐車場から道路を挟んで反対に愛宕神社跡があり、そこに対の仁王像があります。

 

右の仁王像。頭部が変わっています。

 

左の仁王像。

 

隣にある「島津豊州家関係石塔群」です。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バイトの思い出(3)

2012-11-14 | エッセイ

学生時代は、貧乏学生だったのでアルバイトに明け暮れ、経験した仕事は20を超える。

学生アルバイトでは、その職業を理解したなどとは言えないが、一断面を覗くことくらいはできた。

 

鹿児島市郊外にある花火工場でアルバイトをしたことがある。

工場内では、打ち上げ花火用に、球状の入れ物に丸い火薬を詰める仕事をしていたが、アルバイトにはそんな難しい仕事はやらせない。

私がしたのは、仕掛け花火作りだった。

仕掛け花火は、さまざまな形を表現する花火であり、ナイヤガラの滝や富士山などというのがあった。

木枠に、決められたとおりに火薬の入った線を張り巡らせ、固定していく。

真夏の炎天下に、工場の庭で作業した。

 

湯之元温泉の花火大会に行った。

今は、打ち上げ花火は電気で点火し、間隔をコンピューターで制御するそうだが、当時は花火師が打ち上げ用の筒に次々と火をつけていった。

私が作った仕掛け花火も、さまざまな形をきれいに浮き上がらせていた。

自分が作った花火を眺めるという、貴重な体験をしたのだった。

 

その後しばらくして、その花火工場で爆発事故があり、死者が何人か出た。

私は、「自分がアルバイトしているとき爆発があったら・・・」と、思わずぞっとしたものだった。

 

霧島の牧場で、泊り込みのアルバイトをしたことがある。

草刈りの手伝いだった。

草刈りと、草を束ねるのは機械で行い、それをトラックに積み込む仕事だった。

これも真夏の仕事だったが、高原のため頬に当たる風が気持ちよかった。

この牧場では、競走馬を飼育しており広い馬場があった。

夕方仕事が終わってから、乗馬をさせてもらったが、広大な馬場を駆けるのは実に爽快だった(当時、私は馬術部にいて乗馬ができたのだ)。

 

夜は、牧場主の奥さんの手作りの食事をご馳走になった。

このとき、生まれて初めて食べたものに、鶏の刺身があった。

当時、種子島の実家では、鶏を生で食べる習慣がなかったのだ。

生で食べることに抵抗があり、このときはあまりおいしいと思わなかった。今は大好きである。

食事が終わり、庭に積まれた干草の上に寝転んだ。

高原の澄み切った夜空に満天の星が輝いていた。

乾燥した草の香りが心地よく、昼間の疲れと焼酎の酔いで、いつしか眠りに落ちていった。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金見ソテツトンネルと山のガジュマル

2012-11-12 | 巨樹・古木

徳之島の北東端に金見という集落があり、そこにあるソテツトンネルを紹介します。

 

ソテツトンネルの入口。

 

両側からソテツが覆いかぶさり、トンネルになっています。

 

全てのソテツが斜めになっているのは、人工的なものだと思われます。

 

こんなトンネルがずっと続きます。

 

赤いソテツの実。昔は食べたそうです。

♪ 赤いソテツの実も熟れる頃・・・

という歌がありますね。

 

ソテツトンネルから南へ行くと、山という集落があり、道路脇にガジュマルの大木があります。

 樹齢:約160年

 幹周り:20m

嘉永の頃、防風林として植えたものだそうです。

 

前の写真の右から見たもの。

 

根元。無数の気根が下がっています。

 

ガジュマルの隣にある村井戸(むらちんぎょ)。

19世紀頃まで、浜で唯一の井戸で、人々はこの井戸の恩恵を受けてきたそうです。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする