学生時代は、貧乏学生だったのでアルバイトに明け暮れ、経験した仕事は20を超える。
学生アルバイトでは、その職業を理解したなどとは言えないが、一断面を覗くことくらいはできた。
鹿児島市郊外にある花火工場でアルバイトをしたことがある。
工場内では、打ち上げ花火用に、球状の入れ物に丸い火薬を詰める仕事をしていたが、アルバイトにはそんな難しい仕事はやらせない。
私がしたのは、仕掛け花火作りだった。
仕掛け花火は、さまざまな形を表現する花火であり、ナイヤガラの滝や富士山などというのがあった。
木枠に、決められたとおりに火薬の入った線を張り巡らせ、固定していく。
真夏の炎天下に、工場の庭で作業した。
湯之元温泉の花火大会に行った。
今は、打ち上げ花火は電気で点火し、間隔をコンピューターで制御するそうだが、当時は花火師が打ち上げ用の筒に次々と火をつけていった。
私が作った仕掛け花火も、さまざまな形をきれいに浮き上がらせていた。
自分が作った花火を眺めるという、貴重な体験をしたのだった。
その後しばらくして、その花火工場で爆発事故があり、死者が何人か出た。
私は、「自分がアルバイトしているとき爆発があったら・・・」と、思わずぞっとしたものだった。
霧島の牧場で、泊り込みのアルバイトをしたことがある。
草刈りの手伝いだった。
草刈りと、草を束ねるのは機械で行い、それをトラックに積み込む仕事だった。
これも真夏の仕事だったが、高原のため頬に当たる風が気持ちよかった。
この牧場では、競走馬を飼育しており広い馬場があった。
夕方仕事が終わってから、乗馬をさせてもらったが、広大な馬場を駆けるのは実に爽快だった(当時、私は馬術部にいて乗馬ができたのだ)。
夜は、牧場主の奥さんの手作りの食事をご馳走になった。
このとき、生まれて初めて食べたものに、鶏の刺身があった。
当時、種子島の実家では、鶏を生で食べる習慣がなかったのだ。
生で食べることに抵抗があり、このときはあまりおいしいと思わなかった。今は大好きである。
食事が終わり、庭に積まれた干草の上に寝転んだ。
高原の澄み切った夜空に満天の星が輝いていた。
乾燥した草の香りが心地よく、昼間の疲れと焼酎の酔いで、いつしか眠りに落ちていった。