鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

伊集院まち歩き(2)

2019-01-31 | 史跡

日置市伊集院のまち歩きを続けます。

 

伊集院駅から神之川に架かる徳重橋を渡ります。

 

徳重橋から上流を望む。

 

妙円寺団地に行くトンネル近くの交差点に、千秋山雪窓院跡があります。

 

破壊された仁王像の頭部。

 

島津義久公剃髪石。

1587年、豊臣秀吉が大軍を率いて川内に上陸し、義久(島津四兄弟の長男)は鹿児島を立って川内に行く途中雪窓院に寄り、座禅石で髪を剃りました。僧体となって、川内の泰平寺で秀吉に謁見し降伏しました。

 

街を流れる水路。鯉がたくさん泳いでいます。

 

えびす神社。

 

神之川に架かる永平橋。1851年に完成した石橋でしたが、当時25歳で「郡方書役」という役人だった西郷隆盛が、建設に従事しました。

 

永平橋という字は、西郷さんが書いたと言われています。

 

これは以前撮影したものですが、力強い文字がはっきり見えます。

 

永平橋から下流を望む。

 

麓の通りを歩きます。

 

武家門の家がありました。

 

高台に有馬新七の墓の案内板があり、これを進みます。

 

無量寿院竜泉寺跡。ここに有馬新七の墓があります。

 

有馬新七先生墓。

有馬新七は1825年、伊集院に生まれました。新七と尊王攘夷派の仲間は、1862年、幕府や朝廷の重臣を討つため京都の寺田屋に集まりましたが、これを阻止しようとした薩摩藩の藩士と切りあいになり、新七の他7名が死亡しました(寺田屋事件)。

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伊集院まち歩き(1)

2019-01-30 | 史跡

日置市伊集院のまち歩きをしました。

島津貴久とその子供(義久、義弘、歳久、家久の島津四兄弟)や、幕末の史跡が多いです。

 

島津義弘を祀る徳重神社です。ここに妙円寺がありましたが、廃仏毀釈で破壊されました。

義弘は2歳から16歳まで伊集院で育ちました。

 

社殿。

島津義弘は、関ケ原の戦いで徳川軍を敵中突破し、鹿児島まで帰り着きました。それを偲んで、鹿児島からここまで行進する妙円寺詣りが行われます。

 

丸に十の字の石灯籠。

 

島津義弘公殉死者13名の地蔵塔です。

 

上部の地蔵。

 

徳重神社の近くに島津義弘の菩提寺妙円寺があり、対の仁王像があります。

 

阿像。

 

吽像。

 

子育て地蔵菩薩と水子地蔵菩薩です。

 

妙円寺の近くに、古いレンガトンネルがあります。これは伊集院駅側坑口。

左に新しい道ができており、トンネルは通行禁止です。

 

これは以前鉄道(鹿児島本線)のトンネルでしたが、昭和52年廃線となりました。今の鹿児島本線は左側を通っています。

 

反対側坑口。

 

以前撮影したレンガトンネル内部です。

 

伊集院駅です。

 

駅前の島津義弘公の像。

 

関ケ原の戦いの雄姿。中村晋也さん制作です。

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金沢の女

2019-01-28 | エッセイ

金沢に住んでいた時のことである。

ゴールデンウイークに、兄の結婚式で種子島へ帰省するため、金沢駅から特急列車に乗った。

大阪まで行き、そこから種子島まで飛行機で行くのだ。

車内は自由席で、空席がたくさんあった。

若い女性が乗り込んできたが、

「ここ空いていますか」

と言って、私の隣に座った。

私は本を読んでいたが、

「空席はたくさんあるのに、わざわざ私の隣に座ったということは、話がしたいのではないだろうか」

と思い、本を閉じて

「どちらまで行くんですか」

と話しかけた。

彼女は、待っていましたとばかりに話し出した。

 

彼女は、金沢の和菓子屋の娘で、この春、市内の進学校を卒業したばかりだった。

金沢大学と京都外国語大学に合格したが、後者を選んだと言った。

連休で帰省して、京都へ帰るところだったのだ。

高校時代や、始まったばかりの大学生活について話をした。

そして、将来は語学を生かして、マスコミで仕事がしたいと言った。

 

私が、兄の結婚式で種子島へ帰省する、と言うと

「次はあなたの番ですね」

と笑いながら、年上の私をからかうように言った。

おしゃべりは、彼女が降りる京都駅まで続いた。

私は、聡明で明るく、社交的で物おじせず、キラキラした目で夢を語る彼女なら、将来はきっと、テレビ局、新聞社、出版界などのマスコミで活躍する女性になるだろう、と思いながら彼女と別れたのだった。

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永吉ダム

2019-01-26 | 水辺の風景

前回の日置市吹上町永吉の西郷隆盛開地の碑から、永吉川を上流へ行くと、永吉ダムがあります。

 

下流右岸から見た永吉ダムです。

 

右岸から見た堤体。洪水防止とかんがい用ダムです。

 ダム型式:傾斜コア型ロックフィルダム

 堤高:37.0m

 堤長:148.0m

 竣工:1979年

 

堤体から下流を望む。

 

右岸の洪水吐。洪水時に、ここを水が流れます。

 

ダム湖を望む。

 

ダム湖に架かる永吉ダム大橋です。

 

右岸の管理棟。

 

永吉ダム大橋を左岸から見たものです。

 

橋からダム湖と堤体を望む。

 

橋から上流を望む。

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西郷隆盛開地の碑

2019-01-24 | 史跡

前回の天昌寺跡から永吉川を上流へ行くと、日置市吹上町永吉坊野があります。

 

坊野小学校跡。今は公民館です。

 

校庭の横のケヤキ。大正14年、坊野小学校に高等科が併設され、それに伴い運動場を拡張した記念に植えられました。

 

小学校跡の近くに、西郷隆盛開地の碑と手水鉢があります。

西郷さんは、官職をやめて鹿児島に帰ってから、たびたびここを訪れています。

 

坊野仁太の妻与志は、かつて西郷家に奉公していた縁で、西郷さんは坊野家に泊まりました。

 

最初は日当たりの悪い家でしたが、西郷さんがお金を贈り、坊野家は日当たりのいいこの土地を開拓し、家を新築しました。

 

西南戦争の時は、西郷さんの妻イトら家族が一時ここに避難しました。当時の屋敷は移築され、今は残っていません。

 

西郷隆盛開地之碑。

 

西郷さんが手作りしたと伝えられる手水鉢です。

 

さらに上流へ行くと、西郷隆盛御座石があります。

 

林の中にある西郷隆盛御座石。

 

西郷さんは狩りの後ここに座って休み、村人に東京や鹿児島の話をしたそうです。

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天昌寺跡

2019-01-22 | 史跡

前回紹介した日置市吹上町の永吉川に架かる浜田橋から上流へ行くと、永吉川右岸に天昌寺跡があります。

 

天昌寺跡入口。

 

天昌寺は永吉島津家の菩提寺でした。初代は島津本家の「島津四兄弟」の末弟、家久公です。

 

前の写真の仁王像。

 

もう1体は上半身がありません。

 

上半身の代わりに、六地蔵が置かれています。

 

島津豊久公顕彰碑。

二代目豊久は、関ケ原の戦いで伯父の義弘公と敵中突破を敢行しましたが、徳川方と戦い、31歳で戦死しました。

 

墓地です。

 

石仏。

 

歴代領主や奥方などの立派な墓が並んでいます。

 

豊久公の墓です。

 

三代目忠栄公夫婦の墓。夫婦で同じ墓に入っているのは珍しいです。

 

天昌寺跡から上流へ行くと永吉麓があり、そこにある六地蔵塔です。1533年の南郷城の戦いで戦死した人の霊を慰めるため、日新公が建てました。

 

上部の六地蔵。

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浜田橋と南薩鉄道橋脚

2019-01-20 | 石橋

日置市吹上町の永吉川に、石橋の浜田橋があります。

 

右岸から見た浜田橋。左は国道270号の現道橋です。

 

下流右岸から見たものです。

 橋長:44m

 幅員:4.6m

 架設年代:大正2年

 

左岸より見る。現役の石橋で、鹿児島県で使用されている石橋では最長です。

 

下流左岸より見る。元は永吉橋と呼ばれ、明治17年以前に架けられた2連の石橋でした。

 

上流の現道橋の下から見る。石工は小山田、加世田、永吉の人でした。

 

浜田橋から下流を見ると、旧南薩鉄道(昭和59年廃線)の橋脚が残っています。

向こうに、前回紹介した久多島神社が見えます。

 

石造りの橋脚です。

 

右岸の橋台。この上はサイクリングロードになっています。

 

右岸から見た橋脚。浜田橋と共に、南薩の大動脈でした。

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吹上浜と久多島神社

2019-01-18 | 水辺の風景

日置市吹上町永吉の吹上浜と永吉川河口を訪ねました。

 

永吉川河口右岸の吹上砂丘です。

 

前の写真に見えるハートのオブジェ。

 

海亀もあります。

 

砂丘の上から北を望む。

 

沖を望む。小さな島は久多島(高さ36m、周囲1380m)です。

 

南を望む。中央に薄く見えるのが野間岳。

 

ナルトサワギク(鳴門沢菊)が咲いていました。外来種で、吹上砂丘でよく見られます。

 

砂丘の上から永吉川河口を望む。

 

右岸から河口を見たものです。

 

上流を望む。石橋の浜田橋が見えます。

 

右岸側に久多島神社があり、対の仁王像があります。

天智天皇の妃が沖合で皇女を死産され、死体を船に乗せて流したところ、船が沈み大岩が湧きだしました。これが久多島で、皇女の霊を慰めるためこの神社を建てたそうです。

 

阿像。

 

吽像。右腕が欠けています。

 

久多島神社社殿。

次回は浜田橋を訪ねます。

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吉野公園の水仙

2019-01-16 | 植物

鹿児島市の吉野公園へ、水仙を見に行きました。

 

吉野公園です。

 

池があります。

 

池の周囲の斜面に、水仙があります。

 

見ごろを迎えていました。

 

梅林の中にあります。

 

いい香りを漂わせています。

 

紅梅も咲いていました。

 

青空に映える紅梅。

 

アップ。

 

凧揚げの親子。天気が良く、多くの人が来ていました。

 

展望台から桜島を望む。

 

北の霧島連山を望む。左が韓国岳、右が高千穂峰、その間に新燃岳があります。右下の島が隼人三島です。

 

南を望む。中央が開聞岳です。

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かごしま水族館

2019-01-14 | 生きもの

正月に、かごしま水族館へ行きました。

 

北埠頭にあるかごしま水族館。

 

イルカのショーです。高いボールに向かってジャンプ。

 

水のアーチを飛び越えます。

 

黒潮大水槽で泳ぐジンベエザメ。

 

チンアナゴ。体の半分以上は砂の中です。

 

サンゴの海です。

 

エラブウミヘビ。小宝島では素手で捕まえて、燻製にして食べるそうです。

 

大きな魚が悠々と泳いでいます。

 

ギヤマンクラゲ。

 

アメリカヤナギクラゲ。

他にも多くの種類のクラゲがいます。

 

水族館から桜島を望む。

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