鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

新大橋他

2015-12-30 | 石橋

樋脇川を訪ねたとき、支流にあった石橋を紹介します。

 

薩摩川内市入来町にある新大橋を左岸から見たものです。

 

下流右岸から見た新大橋。川は、樋脇川の支流の後川内川です。

 橋長:25.2m

 幅員:3.4m

 架設年代:明治42年4月

 

下流左岸から見たものです。

 

上流より見る。

 

左岸にある架橋記念碑と登録有形文化財の碑です。

 

登録有形文化財のプレートです。

 

同じ入来町にある松尾橋を左岸から見たものです。大馬越小学校の上流で、樋脇川左岸に注ぐ支流に架かっています。

 

下流から見た松尾橋。

 橋長:10.8m

 幅員:4.0m

 架設年代:昭和39年

割と新しい石橋です。

 

上流より見る。

 

右岸にある架橋記念碑。

 

松尾橋から上流を望む。堰があります。

今年の記事は今回で終わりです。ご覧頂き、ありがとうございました。

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樋脇川源流を訪ねて(4)

2015-12-28 | 源流を訪ねて

妙見神社を後にして上流へ行きます。

 

樋脇川右岸に広がる田園風景です。

 

元村橋を下流から見たものです。橋脚がレトロですが、昭和37年の架橋です。

 

元村橋から下流を望む。

 

元村橋から上流を望む。

 

諏訪橋から上流を望む。堰があります。

 

入来にやってきました。清色(きよしき)橋を上流から見たものです。

 

清色橋から上流を望む。右が入来麓で、奥に入来小学校が見えます。

 

入来麓を散策しました。玉石の石垣が続きます。

 

入来麓のシンボル、茅葺門に来ました。ところが門がありません。

看板に、8月25日の台風で倒壊した、と書いてありました。今年度中に復元するそうです。

 

これが以前撮影した茅葺門で、入来院氏の住宅です。

 

茅葺門の横の通り、犬ノ馬場(いんのばば)です。

樋脇川源流の旅を一休みします。

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樋脇川源流を訪ねて(3)

2015-12-26 | 源流を訪ねて

樋脇麓から上流へ行きます。

 

八幡橋を上流から見たものです。

 

八幡橋から上流を望む。川が二つに分かれており、左が樋脇川、右が市比野川です。

樋脇川を上流へ行きます。

 

樋脇川の右岸に広がる田園風景を眺めながら進みます。

 

右岸側に若宮神社があるので寄りました。

 

若宮神社社殿。小さな祠です。

 

境内の手水鉢。

 

文化八年(1811年) 二月吉日という文字が、はっきり残っています。

 

西之原橋を上流から見たものです。

 

西之原橋から上流を望む。

 

さらに上流へ行くと、右岸側に妙見神社があります。

 

前の写真の杉の下にある妙見段の弥陀三尊塔です。1741年の造立です。

 

妙見神社社殿。

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樋脇川源流を訪ねて(2)

2015-12-24 | 源流を訪ねて

戸田橋を後にして、上流へ行きます。

 

樋脇川の左岸側にある平佐東小学校です。きれいな石垣の門です。

 

平佐東小学校の近くにある橋を、下流から見たものです。小学校は右奥です。

 

橋から上流を望む。流れは穏やかです。

 

橋の右岸にある金照寺。浄土真宗のお寺です。イチョウは葉を落としていました。

 

道路沿いに流れる樋脇川を上流へ進みます。

 

左岸側に樋脇麓があるので寄りました。石垣とイヌマキの通りが続きます。

 

前の写真に見える武家門です。

 

ここにも、武家門の家がありました。

 

樋脇麓にある寺下橋から上流を見たものです。

 

樋脇小学校に寄りました。

 

庭のイチョウは葉を落としていました。

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樋脇川源流を訪ねて(1)

2015-12-22 | 源流を訪ねて

樋脇川は川内川の支流で、薩摩川内市入来町の入来峠を源流とし、薩摩川内市樋脇町で川内川左岸に合流します。

川沿いの風景や史跡などを見ていきます。

 

左が川内川、右が樋脇川です。

 

合流地点の左岸に戸田観音があるので訪ねました。

境内の古木が倒れていました。8月25日の台風による強風で倒れたのでしょうか。

 

倒木を根元から見たものです。右が戸田観音。

 

戸田観音堂です。

 

お堂の中に観音様と河童が祀られています。

1459年、祁答院徳重の娘が、川内川上流で7人の侍女と舟遊びをしていて、藤の花を折ろうとして川に落ちました。

侍女たちは助けようとしましたが探すことが出来ず、責任を取って入水自殺しました。そこを八女の瀬といいます。

 

娘の遺体は3日後に、ここ戸田の渕に浮かびました。これはガラッパ(河童)のいたずらだとして、ガラッパの像を観音様の足元に閉じ込めました。

それ以来、この付近では溺死者はいないそうです。

 

境内の戸田観音石塔群です。鎌倉末期から戦国時代にかけて造立されました。

 

石塔に彫られた像です。

 

樋脇川の最下流にある戸田橋を下流から見たものです。

 

戸田橋から下流を望む。中央の森が戸田観音です。

 

戸田橋から上流を望む。これを上流へ行きます。

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春山の岩屋観音と巨石

2015-12-20 | 史跡

鹿児島市春山町の岩屋観音を訪ねました。

 

岩屋観音入口です。ここから550mです。

 

竹林と杉林の山道を登っていきます。

 

山頂近くに、巨石が約20個積み重なっています。

 

中央の黒いところが岩屋観音です。

 

前の写真の右の岩に、文字が刻まれています。後で、岩が傾いたのでしょうか。

 山幾重 秋風に座す 観世音

鹿児島の児童文学作家、椋鳩十の句です。

 

岩屋に入っていきます。

 

巨大な岩が天井になっており、自然の洞窟になっています。

 

岩屋の奥です。石棺が二つあり、右に不動明王が、左に観音が祀られています。

 

観音様です。

 

岩屋観音から130m歩くと山頂です。途中に、二つに割れた巨石がありました。

 

山頂は開けており、展望台になっています。

 

山頂からの眺めです。桜島、錦江湾、大隅半島が見えます。

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野間神社一の鳥居他

2015-12-18 | 史跡

南さつま市笠沙の史跡を紹介します。

 

赤生木から黒瀬へ行く途中の道路脇に、野間神社一の鳥居があります。

右の山が野間岳で、その中腹に野間神社があります。

 

近くに神社もないのに、鳥居の上部だけがあります。

この鳥居は赤生木村にあったものが破損し、1830年に片浦村に移して再興しました。その後、ここに移された経緯は不明だそうです。

 

石碑に「北野間宮 南黒瀬村」と書かれています。

 

鳥居のところから野間岳を望む。野間岳がよく見えるここに移設したのかもしれません。

 

これは、以前、野間岳登山したときにお参りした野間神社です。

 

鳥居から赤生木方面へ少し行くと、田の神があります。

 

僧衣の立像で、右手にスリコギ、左手にメシゲを持っています。

建立は江戸中期頃と考えられています。

 

後姿。ワラヅトを背負って、田んぼを見つめています。

 

田の神の近くに宝塔があります。

 

宝塔は、平安時代後期から鎌倉時代に盛んに造られ、真言密教の影響を受けていると考えられています。

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山川製塩工場跡と池田火砕流堆積物

2015-12-16 | 風景

指宿市山川の、山川製塩工場跡と池田火砕流堆積物を紹介します。

 

ヘルシーランドの露天風呂の駐車場近くに、山川製塩工場跡があります。向こうは開聞岳。

 

昭和19年から約20年にわたり、温泉熱を利用した製塩が行われました。

 

昭和39年に操業を停止しました。温泉熱を利用した製塩は全国で行われましたが、最後まで操業したのは指宿地区です。

 

配管が残っています。向こうの山は竹山。

 

管の先から、蒸気が勢いよく噴出しています。

 

階段を降りて浜へ行きます。下に見えるのは山川砂蒸し温泉で、よく入りに来ます。

 

海岸の崖に、池田火砕流堆積物が露出しています。

鹿児島県指定文化財(天然記念物)です。

 

約5700年前、現在の池田湖から噴出した火砕流堆積物です。

 

中央の白いところは、上の製塩工場跡から落ちてきた蒸気です。

 

さらに先端を望む。岩峰は俣川洲(またごし)です。

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荒瀬城跡のイチイガシ

2015-12-14 | 巨樹・古木

霧島市隼人町西光寺にある荒瀬城跡のイチイガシを紹介します。

国道223号と国道504号の交差点から、国道223号を天降川上流へ少し行くと、道路脇に看板があります。

 

イチイガシ(一位樫、ブナ科)の全容。県内で最大級、最古級のイチイガシです。

 根回り:12m

 幹周り:7m

 樹高:26m

 樹齢:700~800年

 

上部。大きく枝を広げ、樹勢がいいです。

 

下部。

 

根元。

イチイガシは材質が堅く、船の櫓、農耕具の柄、槍の柄などに使われてきました。このように優れた性質があるため、カシの仲間の一位ということでこの名がつけられた、という説があるそうです。

 

前の写真の反対から見た根元。

 

表皮はゴワゴワしています。

 

根元に水神の碑があります。

 

水神の碑。

天降川右岸にあるので、近くで水害があったのでしょうか。

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岩屋寺跡

2015-12-12 | 史跡

姶良市加治木町木田の岩屋寺跡を紹介します。

 

石垣が残る岩屋寺跡。ここから奥の山の斜面にかけて、寺の遺構が残っています。

 

廃仏毀釈で破壊された仁王像が2体ありました。後ろの像は、頭と両腕がありません。

 

前の像です。両腕が欠けています。

 

斜面を登っていくと、大きな岩をくりぬいた中に頼昌法印石坐像があります。

 

岩の中の頼昌法印石坐像。頼昌法印は宝永年間の住職でした。

破壊されていません。

 

さらに斜面を登っていきます。

 

頭部が欠けた石像がありました。

 

不動明王です。

 

高さ3mです。これも破壊されていません。

 

斜面の頂部に岩壁があり、ここが奥の院跡です。

 

洞窟になっています。ここにも寺院がありました。

 

祠と石像です。

岩屋寺は、山の斜面に多くの寺院が建ち並ぶ、壮大なお寺だったことがわかります。

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