鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

照島

2019-02-28 | 水辺の風景

いちき串木野市の照島は、これまでも紹介しましたが、再訪しました。

 

照島橋を渡って行きます。

 

前の写真に見える石の鳥居。

 

薩摩焼開祖着船上陸記念碑。秀吉の朝鮮出兵の時連れて来られた陶工が上陸したところです。

 

本土の浜を望む。ここで浜競馬が行われます。

 

参道を通って照島神社へ行きます。

 

照島神社です。

 

五重の石塔。

 

巨石が積み重なっています。

 

岩場の海岸を進みます。

 

釣り人がいました。鯛を狙っているが、なかなか釣れないそうです。

 

淵が二つあります。これは小さな雌淵。

 

雌淵の奥を望む。

 

大きな雄淵。

 

雄淵の奥です。

 

驪龍巖(りりょうがん)の文字が刻まれた岩。島津斉宣が雄淵、雌淵を見て「玉を抱いてうずくまる龍の姿である」といい、この文字を彫らせました。

 

ヨットハーバーを望む。

 

方士徐福登陸の地。

秦の始皇帝の使いであった徐福が、不老不死の薬を求めて上陸したという伝説の地です。徐福が訪れたという冠岳が近くにあります。

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江口蓬莱館

2019-02-26 | 食べ物

日置市東市来町の江口蓬莱館へ行きました。鹿児島の物産館、道の駅で人気の高いところです。

 

江口蓬莱館からの眺め。左はシラスの崖で、海ではサーフィンが盛んです。

 

江口蓬莱館です。

 

農産物もありますが、漁協がやっているので、魚コーナーが充実しています。

 

ホシガツオ。

 

イシガキダイ。

 

ヒラメ。

 

ナマコ。

 

食堂は、いつ行っても満席で、すんなり入れたことがありません。

 

あんかけ定食(1010円)。鯛の刺身もついています。

 

カリっと揚げた魚に、トロっとしたあんがかかっています。

 

にぎり寿司定食(1080円)。

新鮮な魚料理が、リーズナブルな値段で食べられます。

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苔画「昭和レトロロード」

2019-02-24 | 風景

鹿児島市小山田町の苔画「昭和レトロロード」を紹介します。懐かしいアニメ、映画スター、作家などがあります。

 

小山田小学校の前です。順番に見ていきます。

 

鉄腕アトム。

 

ドラえもんとエイトマン。

 

魔法使いサリー。

 

おばけのQ太郎。

 

鉄人28号。

 

坂道を登ったところです。

 

王貞治と長嶋茂雄。

 

大鵬と玉子焼き。子どもの好きな「巨人、大鵬、玉子焼き」というわけです。

 

さらに進むと、映画スターなどがあります。

 

吉永小百合と加山雄三。

 

美空ひばりと力道山。

 

渥美清(寅さん)と倍賞千恵子(さくら)。男はつらいよです。

 

高倉健と西郷輝彦。

 

夏目漱石と太宰治。

 

芥川龍之介。

 

左はスバル360、右はダイハツミゼット。

維新ロードというのもあり、同じ作者の作品です。

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安良神社の杉

2019-02-22 | 巨樹・古木

山ケ野金山跡を歩いてから、霧島市横川町の安良(やすら)神社へ行きました。

 

安良神社です。

 

参道を進みます。

 

安良神社社殿。安良姫命(ヤスラヒメノミコト)を祀る神社です。

 

本殿。

安良姫は内裏(だいり)の官女でしたが、川辺で直垂(ひたたれ)を洗っていたところ、白鷺がたくさん飛んできて、仰ぎ見たら思わず直垂の片袖を流しました。重罪に処せられ、難を逃れて安良岳の頂上に行き、自殺しました。

 

祠。

 

安良天満神社。菅原道真を祀る祠です。

 

境内には、杉の古木が多いです。

 

斜面に御神木の杉があります。

 幹周り:5m

 樹齢:400年

 

下部。

 

上部。まだまだ樹勢がいいです。

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都市農業センターの梅

2019-02-21 | 植物

鹿児島市犬迫町の都市農業センターへ、梅を見に行きました。

 

菜の花畑。花はまだです。

 

スズカケの木です。

 

梅園に白梅が咲いています。5分咲くらいでした。

 

向こうに見えるのが、都市農業センターの建物です。

 

南高です。実を収穫するのでしょう。

 

馥郁とした香りの梅の花。

 

鶯宿。他に玉英があります。

 

青空に映える白梅。

 

梅の根元には、ホトケノザ(仏の座、シソ科)の群落があります。花の下の葉を、仏の蓮華座に見立てたものです。

(撮影日:2月17日)

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山ケ野金山跡(5)

2019-02-20 | 史跡

徳源社から夢想谷へ歩いていきます。

 

夢想谷坑の看板があります。

 

夢想谷坑の坑口。

 

内部。水が流れています。

 

料理屋跡。陶器の破片がありました。

 

料理屋跡の山側に、たて坑があります。

 

フェンスに囲まれたところが、たて坑です。

 

垂直のたて坑。

 

近くにある自稼掘坑跡です。

 

自稼掘坑内部。狭い坑道です。

 

台々鼻(ででんはな)へ行きます。

 

金山発見伝説の地です。探鉱の一行がここで野宿をした時、夢の中で、近くに金鉱石があるというお告げがあり、そこで金鉱石を発見しました。夢のお告げがあったことから、この付近を夢想谷といいます。

 

高木小学校跡。センダンの巨木があります。

 

校舎の一部が残っており、公民館になっています。明治24年創立で、昭和38年に閉校しました。

 

校庭。向こうの家の人が出てきて話を聞きました。この小学校に通い、昔は運動会など、にぎわったそうです。

 

廃屋がたくさんあります。

 

晒(さらし)坑跡へ向かいます。

 

晒坑跡です。

 

内部。割と大きな坑道で、水が溜まっています。

 

自稼掘坑跡が3つあります。

 

薩摩大隅国境木跡。隣はさつま町の永野金山です。

山ケ野金山跡を終わります。なお、3月3日に山ケ野ウォーキング大会が開催されます。

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山ケ野金山跡(4)

2019-02-19 | 史跡

住居跡の石垣から坂道を登っていきます。

 

右が夢想谷に行く道、左下が火入れ坑に行く道です。

 

火入れ坑です。硬い岩盤は火を焚いてもろくして掘り進んだため、この名があります。

 

坑口。この辺一帯が、一番金の産出したところです。

 

中には水が溜まっています。少し進むと、たて坑があり、永野からの大坑道につながっているそうです。

 

元の道に戻って進むと、右に賽の神があります。

 

賽の神(道祖神)です。

 

夢想谷に行く峠近くに、とじ山坑があります。写真左にも2つの坑道があり、計4つの坑道があります。

 

前の写真の右の坑口です。

 

中をのぞくとたて坑があり、垂直の坑道が見えます。

 

正面の横坑。

 

さらに進むと二つの坑道が見えます。

 

前の写真の右の坑口。

 

内部。4つの中で一番大きいです。

 

峠から左下の道を進むと、夢想谷へ行きます。

 

右の広場は江戸ケ谷千軒跡です。千軒とは鉱夫の住居で、山ケ野金山に5か所あったそうです。

 

前の写真に見える坑口。

 

内部。

 

徳源社です。山ケ野金山の創業主、島津久通(徳源公)を祀る神社です。

 

碑が建っています。

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山ケ野金山跡(3)

2019-02-18 | 史跡

御座所跡から山ケ野小学校跡へ行きます。

 

普請方跡です。

 

石風呂と五右衛門風呂がありました。

 

石風呂の中です。焚口の金属が残っています。

 

石橋を渡って山ケ野小学校跡へ行きます。

 

下流から見た石橋。

 橋長:4.63m 

 幅員:2.42m

 架設年代:不詳

 

上流より見る。

 

山ケ野小学校跡の石垣。お城の石垣のように立派です。

 

山ケ野小学校跡です。

 

校舎の一部が残っています。明治12年創立で、昭和46年閉校です。

 

校庭の横のセンダンの巨木。山ケ野の歴史を見てきたことでしょう。

 

校庭から山ケ野集落を望む。

 

御座所後に戻り、石垣の集落を山側へ行きます。

 

石塀がありますが中は廃屋です。

 

フランス人鉱山技師ポール・オジェ宅跡。明治10年に招かれましたが、いろいろ困難な問題があって明治13年に解雇しました。

 

精錬所跡。広い敷地で石垣などが残っています。蒸気で杵を動かして精錬していました。

明治40年、永野に電力による精錬所が完成し、ここは操業を停止しました。

 

自稼掘坑跡。近代的な坑道が整備されるまで、鉱脈を掘り進めるたぬき掘りが行われ、運搬、排水、通風に苦労しました。このような小さな坑道が千以上あるそうです。

 

斜面に立派な石垣が残っています。

 

住居跡です。中は荒れており、井戸が残っていました。

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山ケ野金山跡(2)

2019-02-17 | 史跡

山神社を後にして歩きます。

 

紅白の椿が咲いていました。

 

石垣の道を進みます。

 

山先役宅跡です。山先役は、山の操業や町の運営に携わった人です。

 

武家門。

 

門の屋根のしゃちほこ。風格があります。

 

立派な石蔵があります。

 

山ケ野金山奉行所跡です。

 

御座所(御仮屋)跡。島津藩主が来たとき、御座所となったところです。

 

門を進むと、右にモミの木の巨木があります。

 

モミの木の巨木。

 

イヌマキの古木もあります。樹齢300年以上だそうです。

 

山ケ野ふれあい交流館です。ここで、金山の歴史に詳しい地元の方に会って、案内していただきました。

 

中に、郷土資料展示室があります。

 

昔の写真などが展示されています。

 

トロッコ電車。薩摩坑口というのは、隣のさつま町の永野金山のことで、山ケ野金山と坑道でつながっていました。

 

金鉱石です。昔の掘削ズリには、金が入っているものがあるそうです。金鉱石を一ついただきました。

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山ケ野金山跡(1)

2019-02-16 | 史跡

霧島市横川町の山ケ野金山跡を散策しました。

山ケ野金山は、1640年、宮之城領主島津久通によって発見され、昭和28年(1953年)に閉山されました。多い時は2万人が住んでいたそうです。

 

金山口屋(関所)跡。無手形のもの、金の密売、キリシタンなどを取り締まりました。

 

刑所(牢屋)跡。

 

田町遊郭跡。九州三大遊郭と言われ、6軒の遊女屋があったそうです。今は田んぼになっています。

 

右は石橋、中央はえびす堂です。

 

えびす堂。

 

石橋の夷橋です。

 橋長:6.42m

 幅員:3.35m

 架設年代:不詳

 

上流から見た夷橋。

 

夷橋から上流を望む。川は、天降川の源流になります。

 

堰から落ちる滝です。

 

立派な門とイヌマキのある家があります。

 

郷士門です。中の家は廃屋になっています。

 

2枚前の写真に見える山ケ野橋です。

 橋長:4.26m

 幅員:2.06m

 架設年代:不詳

 

右岸から見た山ケ野橋。

 

山ケ野橋を渡ったところが護念寺跡です。

 

石塔などが残っています。

 

さらに上流へ行くと、山神社があります。

 

山神社社殿。

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