宮崎県日南市の東郷のクスを紹介します。
大宮神社境内にあるクスノキ。
大宮神社社殿。
クスノキの全容。
幹周り:8.8m
樹高:27m
樹齢:700年
下部。
国指定天然記念物です。また、宮崎の巨樹百選に選ばれています。
上部。樹勢はいいです。
根元。空洞化しています。
前の写真の反対から見た根元。
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宮崎県日南市の東郷のクスを紹介します。
大宮神社境内にあるクスノキ。
大宮神社社殿。
クスノキの全容。
幹周り:8.8m
樹高:27m
樹齢:700年
下部。
国指定天然記念物です。また、宮崎の巨樹百選に選ばれています。
上部。樹勢はいいです。
根元。空洞化しています。
前の写真の反対から見た根元。
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宮崎県日南市油津にある、堀川運河と堀川橋を紹介します。
運河の左岸にある堀川資料館。運河に関する資料が展示されています。
運河に架かる石橋の堀川橋。向こうは乙姫神社。
堀川橋から堀川運河(上流)を望む。右側の2軒向こうの家が、先ほどの資料館です。
この運河は、飫肥藩主伊東祐実の命により建設され、1685年に完成しました。
堀川橋から下流の運河を望む。この先に油津港があります。
運河は広渡川と油津港を結び、木材を運搬しました。全長約1kmです。
下流側の運河。
堀川橋を上流から望む。明治36年完成です。
上流から見た近景。
下流から見た堀川橋。
堀川運河と堀川橋は、映画「男はつらいよ」第45作のロケ地になりました。
下流から見た近景。
南九州市川辺町の田んぼアートを紹介します。
国道225号の、田部田信号の南にあります。
アートがある田んぼ。左が見学台です。
下から見た田んぼアート。下からでは、よくわかりません。
見学台から見た田んぼアートの全容。
地平線が丸くなっているのは、写真を合成したためです。
稲の色の違いによって、アートが描かれています。
何のキャラクターでしょうか。
「日本ガンバレ」の文字。
近景。普通の稲の中に、黒っぽい稲と黄緑の稲を使って描いています。
薩摩川内市入来町の田の神を3体紹介します。
堂園にある堂園の田の神です。田園地帯の道路脇にあります。
像立は1836年です。
石の中に彫られた田の神です。
鹿子田にある田の神です。
民家の横の土手にあります。
やや小さな田の神です。シキを被り、右手にメシゲを持っています。
田んぼを見つめています。
国道328号と県道川内加治木線の交差点から、県道を西へ少し行った所にある竹原田の田の神です。
田んぼの脇にあります。
大きな丸いシキを目深に被っています。
日置市伊集院町の史跡を紹介します。
以前、西郷隆盛が碑の文字を書いた大渡橋を紹介しましたが、他にも西郷さんが書いた碑があります。
伊集院の市街地にある永平橋を上流から見たものです。
左岸に「永平橋」と書いた碑があります。
この橋は石橋の眼鏡橋でした。碑の文字は、若き日の西郷隆盛が書いたものだといわれています。
なかなか立派で力強い文字です。
永平橋から下流を望む。川は神之川で、大渡橋の上流です。
永平橋から妙円寺団地へ向かうと、トンネルの手前に千秋山雪窓院跡の史跡があります。
対の仁王像の頭。
島津義久公剃髪石。
豊臣秀吉が薩摩に攻めてきたとき、島津義久は雪窓院の境内にあったこの座禅石に座って髪をそり、川内で秀吉に謁見して降伏しました。
近くにある護国神社。
満州支那事変 大東亜戦争 従軍記念碑。
近くに、日露戦争従軍記念碑もあります。
南大隅町の雄川の河口付近にある、南蛮船係留の大くすを紹介します。
河口付近の右岸側にある大くす。
前の写真と反対から見たもの。向こうの橋が雄川に架かる塩入橋。
500年前、この付近は天然の良港で、唐、南蛮、琉球との貿易で栄えていました。
異国船は、このクスノキにとも綱を結び、貿易品を荷揚げしていました。
この付近には唐人町ができ、港は栄えたそうです。
下部。樹齢千年です。
根元。空洞化しています。
塩入橋を下流から見る。
塩入橋から下流を望む。橋のすぐ向こうが河口です。
鵜戸神宮の南の海岸に鵜戸千畳敷奇岩があります。
鵜戸千畳敷奇岩。
このような岩は、鬼の洗濯岩とも言われ、青島が有名です。
今から約1200万年前、川から運ばれた土砂が海底に堆積し、地震で乱泥流となって、砂と泥が繰り返して堆積しました。
その後海底が隆起し、地層が傾いて、硬い砂岩が突き出て、このような奇岩を作りました。
道の駅南郷の庭から見た日南海岸。
洞窟のある奇岩。
日南海岸には、このような奇岩がたくさん見られます。
飫肥城のあと、日南市の鵜戸神宮を訪れました。
お盆休みで、多くの参拝者がいました。
朱塗りの門。
すぐ右は太平洋で、奇岩があります。
下に降りて行くと、洞窟に本殿があります。
本殿の鳥居です。
鵜戸神宮本殿。山幸彦と豊玉姫伝説の神社です。
本殿の横。
本殿の裏にある御乳岩。
神社の御祭神の母「豊玉姫命」が産屋で出産の折、父がのぞいてしまい、母は故郷の海の国へ帰らなければならなくなり、その際自分の乳を岩にくっつけて行ったそうです。
清水が湧き出る御乳の水。
本殿の前の岩です。岩の上の丸に向かって何か投げていました。
宮崎県日南市飫肥を訪れました。
城下町の雰囲気が漂う飫肥の町並み。先の矢印を右に行くと飫肥城跡です。
飫肥城の門。
門を入ったところです。
城跡の石垣。
飫肥城歴史資料館。飫肥藩と伊東家ゆかりの品が展示されています。
松尾の丸。飫肥杉の100年杉を使用して、江戸時代初期の書院造りの御殿を再現したものです。
城下を散策しました。
これは豫章館の門。明治2年に造られた藩主伊東家の住まいです。
明治の外交官、小村寿太郎の記念館です。ポーツマス条約に調印し、日露戦争を終結に導きました。
旧山本猪平家。飫肥の豪商だった山本猪平が明治40年に建てた家です。
山本猪平家の中です。
小村寿太郎誕生の地。
今日の絵手紙。
残暑お見舞い、申し上げます。
前回紹介した入来麓の旧増田家住宅を出て左へ行くと、赤城神社があり、ここに古石塔があります。
玉石通りの入来麓。赤城神社は分かれ道の正面です。
赤城神社。
ここに、多くの石塔が残されています。
六地蔵塔。
六地蔵塔の上部です。像立は1524年です。
多くの石塔があります。
五輪塔。
赤城神社。社殿はなく、碑があるだけです。
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