鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

鹿大の風景

2012-03-31 | 風景

鹿児島市郡元の、鹿児島大学の風景です。

 

南国の雰囲気が漂う鹿児島大学のキャンパス。

 

玉利池。

鹿児島大学農学部の全身、鹿児島高等農林学校が設立された明治42年当時校内にあった湧水池を庭園化したものです。

 

前の写真の左に見える桁橋。

 

もうひとつの桁橋です。

 

玉利池のほとりに田の神があります。

形がちょっとユニークです。

 

終戦直後の宗教追放により地下に埋められていましたが、昭和38年に見つかり、ここに安置されました。

 

玉利池の隣にある林。

 

農学部の農場です。市街地にあるキャンパスですが、広大な農場があります。

 

大学の農場らしく、さまざまな種類の麦と説明板がありました。

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人形岩

2012-03-30 | 水辺の風景

前回、薩摩川内市西方の白津橋を紹介しましたが、その近くの海岸にある人形岩を紹介します。

 

国道3号から見た人形岩。

 

右に目を移したものです。奇岩の小島が点在する風光明媚な海岸です。

 

最初の写真の左の岩山。

 

親子の人形のようです。夕日が当たる光景は絶景です。

 

海辺で亡くなった母親が、人形岩の父子に会いに行くという伝説があるそうです。

 

近づいてみました。岩はもろく、今にも波で崩れそうですが、よく落ちないものです。

 

近くの岩。

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上湯田橋他

2012-03-28 | 石橋

薩摩川内市の石橋を二つ紹介します。

 

湯田小学校から、湯田川を少し上流へ行くと、上湯田橋があります。

 

 

下流から見た近景。

 橋長:12.6m

 幅員:3.3m

 架設年代:大正8年8月

 

上流より。

 

左岸から見た上部。幹線道路で現役として使用されています。

 

上湯田橋の近くに、桁橋もありました。

 

西方にある白津橋です。人形岩の近くで、左寄りに小さく見えています。

 

上流から見た近景。向こうの橋は、国道3号の橋。

 

国道3号の橋の下から見る。上流の橋は肥薩おれんじ鉄道の橋です。

 

左岸から見た上部。左の橋が国道3号です。

 

親柱の白津橋の文字。欄干の石材がはずされています。

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幼児は言葉の天才

2012-03-26 | エッセイ

自分の子供が2~3歳のとき、私は英会話の勉強を始めた。

NHKラジオの英会話講座をテープにとって聴く、というものだった。

子供が言葉を話し始めた頃であり、内心、この子と私とどちらが上達が早いか、競争するという気持ちもあった。

私は、中学、高校と6年間英語を習っており、一応の基礎はあるのだ。

 

自分が語学を勉強していることもあって、幼児がどのようにして言葉を習得していくか、図らずも観察することが出来た。

最初簡単な単語を覚え、その後「食べる」とか「飲む」とかの動詞を覚えて、その活用をするようになった。

中学で習う終止形とか未然形とかの5段活用である。

「飲む」、「飲まない」、「飲みたい」と、その5段活用は正確であり、「飲むない」とか「飲むたい」とかは言わなかった。

動詞の数が増えても、それは同じだった。

まるで、文法を理解しているかのようだった。

どの民族のどの言語でも、幼児が言葉を習得するのは、天才的といっていい。

 

それについてはこんな説がある。

一般に、幼児が言葉を覚えるのは、周りの大人、特に母親の言葉を学習すると考えられているが、母親の言葉はそれほど語彙が多いわけでもなく、きちんと文法どおり話すわけでもない。

また、言葉の環境や学習能力には個人差があるが、ほとんどの幼児はあまりにも短期間に正確な言葉を習得する。

このため、最初から遺伝子に言語能力が備わっているという説である。

日本人の子供だったら日本語の言語能力が、と考えてはいけない。

日本人でも英語圏で育てば正確な英語を話すようになるからだ。

最初に触れた言葉に触発されて、その言語能力が開発されていくのだという。

 

私の子供はたちまち会話が出来るようになり、それに比べて、私の英会話は一向に上達しなかった。

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栗下の磨崖仏他

2012-03-24 | 史跡

薩摩川内市入来町にある栗下の磨崖仏を紹介します。

国道328号の大馬越バス停近くの、国道脇にあります。

 

国道から階段を登ると、磨崖仏があります。

 

この磨崖仏は、1687年2月、栗下に住む谷口平兵衛が亡くなった子供の供養のために造らせたものです。

 

岩を掘り込んで、庇があります。

谷口家では、代々早死にする子供が多かったそうですが、この阿弥陀如来を祭ったら6人の子供に恵まれたそうです。そのため、子供のいない婦人の信心を集めるようになりました。

 

廃仏毀釈で、多くの仏像が破壊されましたが、この磨崖仏は谷口家が粘土で塗りつぶして難を免れたそうです。

325年間、風化もせず鮮明に残っています。横の「谷口平兵衛」の文字もはっきり残っています。

 

薩摩川内市樋脇町藤本にある阿弥陀殿の岩仏です。

藤本小学校から市比野に行く道路脇にあります。

 

自然石に、梵字、仏像、灯籠などを彫っています。この岩全体を仏として、人々の信仰を集めていたと考えられています。

彫られたのは1716年以前だそうです。

 

はっきりしませんが仏像が彫られています。左下は灯籠。

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神之川源流を訪ねて(4)

2012-03-22 | 源流を訪ねて

大田発電所の堰を後にして上流へ行きます。

 

大渡橋を下流から見る。

ここには、かつて岩永三五郎が架けた石橋がありました。

 

大渡橋の碑。この文字は、西郷隆盛が書いたものだそうです。

 

説明文。

岩永三五郎に西郷隆盛、この石橋は残してほしかったですね。

 

大渡橋から上流を望む。

 

少し上流へ行くと、伊集院町大田に報恩寺橋があります。

 

左岸から見た報恩寺橋。

 

報恩寺橋から下流を望む。田園風景が広がります。

 

伊集院の町から妙円寺団地に行く途中にある神之川大橋です。

 

神之川大橋から上流を望む。伊集院の町が見えています。

 

橋のたもとに、平野二郎国臣の歌碑があります。

平野国臣は福岡藩士で、西郷隆盛と親交がありました。幕府に追われる僧月照を薩摩まで連れてきます。

西郷、平野、月照は日向へ行くため錦江湾に舟を出し、西郷と月照が身を投げて心中を図り、平野の助けで西郷は息を吹き返しましたが、月照は亡くなりました。

 

我胸の 燃ゆる思ひにくらぶれば 煙はうすし桜島山

恋の歌と思っている人もいるようですが、平野の国を思う歌です。

今回は、西郷隆盛に関する史跡が二つありました。

 

神之川源流の旅を一休みします。

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神之川源流を訪ねて(3)大田発電所

2012-03-20 | 源流を訪ねて

川の左岸の道路を上流へ行きます。

 

早瀬です。

 

早瀬の上流に大田発電所が見えてきました。

 

大田発電所(旧名:島津発電所)。

明治41年、島津家の発電所として運転を開始し、串木野神岡鉱山に送電していました。今は、九州電力へ引き継がれています。

 

大田発電所本館。石造建築物で、切妻屋根の母屋に六角塔が接続した全国でも珍しい構造だそうです。

国登録有形文化財で、土木学会選奨土木遺産です。

 

発電所に水を落とすための貯水池です。

 

貯水池の出口にある轟隧道。上に、島津家の家紋である丸に十の字があります。

 

隧道のアーチ部。

 

貯水池に導水する水路です。

 

少し上流に、貯水池に水を引くための堰と、取水施設があります。

堰は湾曲しています。

 

堰から上流を望む。

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神之川源流を訪ねて(2)

2012-03-18 | 源流を訪ねて

青剣神社を後にして上流へ行きます。

 

川宮橋を下流から見る。

この橋を渡って左岸へ行きました。

 

川宮橋から上流を望む。

 

川は早瀬になりました。

川の左岸に、温泉施設の花水木があります。ここに立ち寄ってみました。

 

「せせらぎの湯 花水木」です。

 

隣にある食事処「四季庵」です。

 

四季庵の隣に吊り橋がかかっています。

 

吊り橋から下流を望む。

名前のとおり、せせらぎの音を聞きながら温泉に入れそうです。

 

吊り橋から上流を望む。

 

花水木を後にして、左岸を上流へ行きます。

これは、南九州自動車道の神之川橋です。

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神之川源流を訪ねて(1)

2012-03-16 | 源流を訪ねて

源流を訪ねるシリーズの第8弾です。今回は神之川を訪ねました。

神之川は、鹿児島市郡山町と薩摩川内市入来町の境にある三方塚山と八重山の南麓を源流とし、日置市東市来町神之川の東シナ海に注ぐ川です。

川沿いの風景、史跡、河川構造物などを下流から観て行きます。

 

神之川河口。向こうは東シナ海です。

 

河口の海岸に咲いていました。名前はわかりません。

追)ナルトサワギク(鳴門沢菊)ではないかと思います。特定外来生物に指定されており、家畜や草食動物が食べると中毒を起こすそうです。

 

国道270号に架かる神之川橋を下流から見る。

 

神之川橋の近くから上流を望む。

 

前の写真の橋の近くから上流を望む。右岸(写真左)に田園風景が広がります。

この付近は、河口に近いため川幅も広くゆったりした流れです。

 

田園地帯の道路脇に、水田整備の完工記念碑があります。

左端は田の神、右端は水神の碑です。

 

田の神。田んぼを見つめ、右手にメシゲ、左手に椀を持っています。

頭の被り物(シキ)は欠けているようです。

 

さらに上流へ向かうと青剣神社があり、入口に対の仁王像があります。

 

右の阿像。腕が欠けています。

 

左の吽像。下半身はありません。

 

青剣神社。1625年の創建です。

 

境内にある石像。頭がなく、代わりにみかんを載せていました。

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加世田小湊

2012-03-14 | 水辺の風景

南さつま市加世田の小湊を散策しました。

加世田の町から国道226号を笠沙へ行く途中にあります。

 

小湊という地名だけあって、良港があります。

 

港の近くに小高い丘があり、麓にコンクリートブロックが並んでいました。

 

岸壁と漁協の建物。

 

浮き桟橋と、後ろの山は南さつまの霊峰、金峯山(636.3m)です。

 

舟揚場。後ろの山は宇土山(63m)。

 

港の一角は、漁船の舟溜りになっています。水は鏡のように穏やかでした。

 

近くにある小湊寄木八幡神社を訪れました。

1514年、小湊に漂着した流木を八幡像に刻んで祀ったのが始まりとされています。その木は、宇佐八幡から流れ着いた霊木だそうです。 

 

本殿。新しい社殿です。

 

拝殿の前にあるソテツの古木。上に伸びており、勢いがあります。

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