日置市吹上町の薩摩湖へ行きました。
薩摩湖のほとりにある、南薩鉄道薩摩湖駅跡です。
駅跡から薩摩湖を望む。吹上砂丘により、砂丘の陸側に形成された湖です。
右を見る。湖面から木が生えています。
桟橋があります。
湖面を散策する桟橋です。
湖面の水草。
桟橋から奥(陸側)を望む。
向こうの山は金峯山です。コイ、フナ、ブラックバスなどが生息しているそうです。
桟橋から海側を望む。
正面の建物が吹上高校で、その向こうに東シナ海があります。
日置市吹上町の薩摩湖へ行きました。
薩摩湖のほとりにある、南薩鉄道薩摩湖駅跡です。
駅跡から薩摩湖を望む。吹上砂丘により、砂丘の陸側に形成された湖です。
右を見る。湖面から木が生えています。
桟橋があります。
湖面を散策する桟橋です。
湖面の水草。
桟橋から奥(陸側)を望む。
向こうの山は金峯山です。コイ、フナ、ブラックバスなどが生息しているそうです。
桟橋から海側を望む。
正面の建物が吹上高校で、その向こうに東シナ海があります。
金沢から仙台に転勤したのは、結婚した次の年だった。
転勤して間もなく、郵便局の保険係が自宅に来て妻と雑談をした。
妻が種子島出身だと言うと、その人が「自分のお客さんに、種子島出身の人がいる」と言ったそうだ。
何日かして、その種子島出身の人から電話があった。
なんと、高校の同窓生のS子だった。
次の休日、私と妻はS子の自宅を訪ねた。
S子は高校卒業後関東に就職し、宮城県出身のご主人と結婚して私の近所に住んでいたのだ。
妻は、誰一人知り合いがいない仙台で、同郷の人と出会ったので親しくなり、家族ぐるみの付き合いが始まった。
しばらくして、もう一人、種子島出身者との出会いがあった。
実家の近くに住んでいた2歳年上のT江である。
母から、T江が仙台に住んでいることを聞き、会いに行ったのだ。
T江も宮城県の人と結婚し、私の近所に住んでいた。
高校時代のT江は、ミス〇〇といわれる美少女だったが、再会した時は匂うような若奥さんになっていた。
こうして、よく知っている二人と再会し、ミニ種子島会ができて、私たち夫婦の仙台生活は急ににぎやかなものになった。
S子は、結婚してしばらくは、宮城県の山あいにある主人の実家で暮らし、種子島とあまりに違う寒さと雪、言葉や風習の違いに、それはそれは苦労したと言った。
彼女もまた、私たちと出会って心強かったのだ。
種子島の海辺の集落で育ったS子は海が好きで、一緒に海水浴に行ったり、貝拾いに行ったりした。
だが親潮が流れるその海は、種子島の暖かい海と異なり、夏でも冷たいことが多かった。
運動神経抜群のS子は、高校時代陸上部に所属しており、運動会の短距離走ではいつも先頭を走っていた。
仙台ではママさんバレーをやっており、宮城県代表として全国大会へ出場した。
私はそれをテレビで観戦したが、画面の中で躍動する姿は、普段会っているS子より輝いて見え、誇らしくもあった。
私の転勤が決まり、仙台を離れることを告げた時、S子はとてもつらそうな顔をした。
仙台を去ってからは、会うこともめったになくなったが、S子が種子島に帰省する途中、鹿児島の我が家に泊まったりした。
ふるさとから遠く離れた仙台で6年間を共に過ごし、彼女の苦労もそばで見てきた私には、戦友のような思いがする。
S子が鹿児島に来た時の記事はこちらです。
入来の道の駅で、干し柿用の柿を買ってきました。
愛媛県産の立派な渋柿です。
皮をむきます。
ひもを通します。
軒下に下げて乾燥させます。
鹿児島は暖かいので、うまくできないことがありますが、できるでしょうか。
皮も乾燥させて、漬物などに入れて使います。
同じ店で、ツガニ(山太郎ガニ)も買ってきました。川にいるカニで、まだ生きています。
一晩水に入れて泥を吐かせます。
かわいそうですが、生きたまま茹でます。
赤く茹で上がったツガニ。
カニ味噌たっぷりの中です。
味噌汁に丸ごと入れました。いい出汁が出ます。
子供のころ食べた懐かしい味です。
伊佐市大口の曽木の滝へ行きました。
滝の下流の新曽木大橋です。
橋から上流の曽木の滝を望む。
近景。
下流を望む。鶴田ダムのダム湖になっています。
紅葉と曽木の滝上流部。紅葉は5~6分くらいでした。
展望台から見たものです。
別のところより見る。紅葉見物の客で、すごい人出でした。
右岸側の滝です。取水用の堰があります。
取水設備。
横から見た滝。
下流より見る。
中央部の滝です。
近景。これがメインの滝です。
柳原白蓮の歌碑があります。
もののふの 昔がたりを 曽木の滝 水のしぶきに ぬれつつぞ聞く
滝を下流から見る船上体験の船が運行しています。
紫尾温泉に入って帰りました。
紫尾神社の下から湧いている温泉で、神の湯と言われます。肌がスベスベする美肌の湯です。
鶴丸城跡へ行きました。
石垣と堀です。ハスは枯れています。
鶴丸城跡の碑と石橋と御楼門(ごろうもん)。
石橋です。1810年に板橋から石橋に架け替えられました。
御楼門です。令和2年に復元されました。
門の前から右の石垣を望む。
左の石垣です。
天井は大きな梁で支えられています。
門の奥の石垣には、西南戦争の時の無数の銃弾・砲弾跡があります。
城跡から見た御楼門。
城跡には、歴史資料センター黎明館があります。
七高ゆかりの竜舌蘭。この地にあった第七高等学校にも竜舌蘭がありました。
クスノキの古木。根元は空洞化しており、植物が寄生しています。
家庭菜園の野菜は少ない時期ですが、まだ少しあります。
夏野菜のピーマン。
ピーマンは小さい実や花があり、まだなりそうです。
シシトウ。赤くなったものは乾燥させて、保存して使います。
黄色いパプリカ。
緑のパプリカ。
ピーマン、シシトウ、パプリカは、毎年、夏から初冬までなり続けます。
オカワカメ。バナナとジュースにしたり、炒め物などにします。繁殖力が強く、冬以外は収穫できます。
バジルは香味野菜として使います。花が咲きました。
レモン。汁を焼き魚にかけたり、焼酎に入れたりしています。
冬野菜も育っています。これはサラダかぶ。
ブロッコリー。
他に、スナップエンドウなどを植えています。
鹿児島市の錦江湾公園へ行きました。
バラ園です。盛りは過ぎていましたが、まだ咲いていました。
上品な紫の「しのぶれど」(日本)。
名前は、平兼盛の和歌「しのぶれど 色にいでにけり わが恋は 物や思ふと 人のとふまで」からとったものです。
美しい黄色のレヨン ドゥ ソレイユ(フランス)。
リラ トロプフェン(ドイツ)。
アップ。上品なピンクです。
深紅のスカーレット ポニカ(フランス)。
薄いピンクのG.Dルイーズ(ドイツ)。
斜面の上から見たバラ園。
赤くてやや小ぶりな「岳の夢」(ドイツ)。
アダージョ(ドイツ)。
キバナコスモス園です。盛りは過ぎていました。向こうは平川動物公園。
オレンジ色のコスモス。これが一番多いです。
黄色いコスモス。
鹿児島市の慈眼寺公園へ行きました。
コスモス園です。
コスモス園の間を散策しました。
混合種です。盛りは過ぎていました。
それでも、多くの人が見に来ていました。
ピンクのコスモス。
白いコスモス。
赤いコスモス。ミツバチが蜜を吸っていました。
白にピンクの筋が入ったコスモス。
日置市吹上町の伊作郷お仮屋跡と武家門を紹介します。
お仮屋跡の門です。
門から吹上の町を望む。
門の左に金峯山が見えます。
伊作郷の地頭仮屋(現在の役場)跡です。その後、伊作小学校、県立伊作高等女学校などになり、今は中央公園になっています。
最初の写真の門は、学校時代のものと思われます。
向こうに武家門の家があるので行ってみます。
白壁の蔵があります。
武家門と白壁の蔵。絵になる風景です。
立派な武家門です。今にも侍が出てきそうな雰囲気があります。
武家門とお屋敷。
庭や生垣に立派なイヌマキがあります。
反対から見たイヌマキ。
日置市吹上町の海蔵院跡から参道を進みます。
参道の正面に南方神社があります。
鳥居の右に、クスノキの巨木が2本あります。
クスノキの全容。
根元。
上部。
ここで伊作太鼓踊が奉納されます。赤い鳥居の前に、杉の巨木があります。
階段横に巨木の切り株があります。杉でしょうか。
南方神社(諏訪神社)社殿。鹿児島5社の第1で、島津氏の氏神として崇敬されました。
石祠の中の像です。
杉の巨木です。
根元。
上部。