学生時代、ネオン屋のアルバイトをしたことがある。
ネオンを取り付けたり、修理したりする仕事の手伝いで、仕事場は鹿児島の繁華街天文館の飲み屋街だった。
私は、キャバレーやクラブのボーイのアルバイトが長く、夜の天文館はよく知っていたが、昼間の飲み屋街は、華やかな夜とは対照的に、うら寂しく寒々としていた。
作業していると、下の道路を黒服の男が二人歩いていた。
ネオン屋の親父は
「〇〇一家の連中だよ」
と、やくざであることを教えてくれた。
仕事柄、天文館の裏社会にも詳しいようだった。
鹿児島のデパート山形屋でアルバイトをしたことがある。
仕事は、催し物会場の設営だった。
山形屋では、文化的な催しを定期的に開催するため、その設備や展示品を設営するのである。
店が閉まった夜の8時頃からの仕事だった。
出入り業者が裏口から出入りしていた。
夜のデパートは、昼間の喧騒や華やかさとは対照的に、暗くて静かだった。
私は、昼間の山形屋にもよく行ったが、この時は堂々と正面入口から入った。
エスカレーターガールが、階段の上段に立ち慇懃にお辞儀してくれた。
貧乏学生だった私は買い物することもなく、目的は催し物会場だった。
無料で、いろいろな催しを見ることができた。
今でも覚えているのは、横井庄一展である。
グァム島から帰還した元日本兵、横井さんのジャングル生活が再現され、植物の繊維で作った洋服が展示されていた。
横井さんは仕立て屋だったので、その洋服は精巧だった。
このように、学生時代は山形屋に貢献しなかった私だが、今は、妻が会員になって貢献している。