メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

notes and movies(1994.5~ part1)

2013-01-18 15:20:13 | notes and movies
過去のノートにある映画感想メモシリーズ。
今回は紺色のノートからご紹介。

  

photo1:基本形。
photo2:マドンナのMVを観て衝撃を受けたレポw
photo3:1994.5.6。母が会社の上司から柴犬をもらってきた!それがみーちゃん
    私はGWで帰省中のラストの日で、1晩仔犬と過ごしたけど一睡も出来なかったってゆう

若かりし頃のメモなので、不適切な表現、勘違い等はお詫び申し上げます/謝罪
なお、あらすじはなるべく省略しています。


『嵐が丘』(1992)
監督:ピーター・コズミンスキー 出演:ジュリエット・ビノシュ ほか
映画化はこれまでも何度かあったけど、これはまさしく完全版だ。
ブロンテ本人らしき女性を登場させ、あれだけ複雑に入り組んだ、暗くなりがちな長編も
これほどロマンティックに、荒野にそびえ建つ館、吹き荒れる風、夜明けの壮大な自然の
美しさも随所に見せて、キャシー役のビノシュが中世のドラマを奥深く、激しく演じている。

ヒースクリフ役の男優は『ラスト・オブ・モヒカン』を思い出させる野性味あるルックスで、
全身全霊でキャシーを愛するが故の1つ1つのセリフは重く、難しい役を見事に演じている。
原作を読んだのは6年ほど前。読後はものすごいショックと感動を受けたことも
すっかり忘れていたけど、今回映画を観て改めて蘇った気がした。


『ミセス・ダウト』(1993)(劇場にて

監督:クリス・コロンバス 出演:ロビン・ウィリアムズ ほか
5月6日、観客10人ほどで観た今作。ありふれたコメディと思いきや、
アイデアは『トッツィ』と同じだけど、芸達者なロビンのコロコロ変わる七変化、
七不思議みたいな演技にとにかくビックリ
両親の離婚とその間で揺れる3人の子どもの心というハートフルな感動も交えて、
笑いすぎて泣いちゃうし、感動でも泣けてくる、期待以上の作品だった。

それもそのはず、メイク、衣装、カメラ、編集等々、すべてヒット作の製作スタッフが揃った、
ウィリアムズ夫妻経営のプロダクションの第1作目で気合いが入っている
アメリカで相変わらず増え続ける離婚問題、子どもたちはそれぞれの年齢で対処して、
親子愛は強くても、夫婦間の価値観の違いで別居せざるを得ない状況。
この大きな問題をコメディとして大いに楽しませながら、私たちに問いかけている。


『スコーキー』(1981)
監督:ハーバート・ワイズ 出演:ダニー・ケイ ほか
最近にわかにナチズム、ユダヤ人大虐殺の歴史を再考する主旨の番組が増えている気がする。
今作もナチズムに対する賛否両論一色の硬いもの。映画の娯楽性は望めないが、
あのダニー・ケイの'80年代の老齢な演技が観れるというひとつの理由だけが大いに興味をひいた。
ミュージカルじゃないし、どうして今作を選び、あすこまで真剣に役に入れ込んでいるのかは分からない。
かつての溌剌とした面影は去り、両足は軽やかなステップを踏むことはなかったが、
ガッシリした身体つき、力強い足運びはフツーのおじさんとは全然違う。

実話を基にした映画だが、同じユダヤ系でも、若い世代との考え方のギャップも浮き上がらせている。
過去の歴史の一部として葬り去られようとする中、ガス室の生き残り、家族を殺され、
強制重労働をして生き延びた者らが生き証人となって、
あの時代に一体何が行われたか、そして未来永劫二度と同じ事が繰り返されないよう、
今度は被害者としてガマンすることなく、言論の自由から決して許さないという叫びもある。
立ち上がって戦えるのだということを今作は語っている。
硬い作品だけど、それぞれの立場、意見をとりあげて、助演陣も訴えるものがある。


『レディ・プリズナー』(1986)
監督:トム・デ・シモーネ 出演:リンダ・キャロル ほか
根気よく作られ続け、影ながら根強い人気がある女囚もの。
とくに「木曜ゴールデン洋画劇場」は、女性映画評論家・木村奈保子さんの選別なのか、
女囚ものを逐次やっている。そのショッキングさと、妙にポルノ女優風ギャルばかりを
集めたセクシーさが売りだけど、同性としては前編は屈辱感、まさに女性が日々受けている
精神的、肉体的抑圧、ハラスメント、恐怖の縮図のようで共感、同情し、悪を憎み、
後編ではヒロインが勇ましく立ち向かい、見事に悪は打ち砕かれ、
女性らが解放を得るところに満足する―このあたりに人気の秘密がありそう。

今作ではヒロインのジェニファーが父親からの性的虐待を受けているという設定ほか、
救い出してくれる相手も男で、支配されなければならないという設定が悲しくて象徴的。
実際アメリカでも刑務所内での陰湿な暴行が起こっているであろうという現実味がある。


『アニメ短編傑作集』(1974~1987)
【木を植えた男】

監督:フレデリック・バック
児童書の棚に並んでいて、いつか読みたいと思っていたこのアカデミー短編賞受賞作品に
初めて接することできたことはとても幸運だった。
「人の手で森を創る」なんて思いもよらなかった。
森は自然条件のいいところで自然と出来上がるものと思っていた。
作者の友人が老人のことを「ずっと幸せでいられる方法を見つけたのだ」という。
人間のエゴとは逆に、この老人の無欲で純粋な夢が達成され、
それを自慢するわけでもなく、誰にも真実は分からないまま。その功績は神のみぞ知る。

無数の点の集まりで描かれている独特のタッチは、『スノーマン』とも似ている。
柔らかい色使いが主だが、人々が争う場面の赤、老人の力強い褐色の肌、
ちょっとのぞく青い空などの強調されるシーンが印象的。
いつでも回っているような画面はアニメの特性を利用してるのか、
神の眼の高さから見ている演出なのか、目が回りそうになってくる。
自然謳歌の心安らぐ感動の1作。


【クラック!】
監督:フレデリック・バック
うって変わってちょっとユニークな物語り。以前、物に感情を与えて擬人化した
CGの驚異の映像があったが、CGはリアルで立体的動きの迫力、
アニメは作者の丹念で、物凄い忍耐の上に出来あがってて素晴らしく、
人の手のあたたか味、人情味がそこにある。
ここにも、人工の工場や車 で自然が開発され、失われ、汚され、
人情も使い古せば捨てられてしまうというメッセージがこめられている。
物にも友人のような親しみを持つことがあるけれど、
彼らもちゃんとそれを分かっているんじゃないかな?


【TARATATA】
なにかの壮大なパレード。次々と出てくる華やかな出し物。
まるでシャガールの絵のように馬が空を飛んだりしている。
ストーリーのテーマはよく分からないが、メルヘンティックなアニメ。


【ILLUSION?】
良い意味でのプロパガンダ。自然を愛せよ、自然に勝る遊び場はない、喜びはない。
とくに子どもらの声にほんとに子どもを起用しているのがリアルで温かい。
きっと今都心に住む、まるでこの話の中のベルトコンベアの流れ作業に組み込まれて
死んだような子どもらのシーンのように暮らしている彼らは、
優しい母親のような太陽の下で、緑と自然の生命に囲まれた、
自由で幸福な暮らしをどれだけうらやむことだろうか。


【トゥ・リエン】
どの話よりも余分なセリフを一切省いた、音楽とパントマイム形式なのがイイ。
これはまた『天地創造』『人類創世』のようなスケールの大きい話。
SF物語りは、人々に便利で楽な生活を提供する未来図を描いたものだ。
より便利に、高速になるにつれ、空にはパイプ、ビル、電線がはびこってゆく。
そこに一体本質的な安らぎがあるだろうか?
ファッション等の文化は確かに人々の精神を高揚させ、幸福も与え得るけれど、
あるがままの緑、原生林、野生動物、自然にたちかえって、自然から恵みを受け取り、
また与えてゆくシンプルさを私たちはもう到底思い出せないでいる。

今回、ノルシュテインのインタビュー、バックが絵を描いているところなどが見れたのはとても貴重
彼自身、妻とともに山奥の1軒のロッジ(ほとんど周囲の自然に溶け込んでいる)で暮らし、
木を植えたり、野菜や花を栽培して静かに暮らしている様子。
自然を目の前にして、実際触れ合っていることが、絵に生命力、躍動感を吹き込んでいる。
かなりの老人だけど、2歳から絵を描き始め、フランスの画家の弟子につき、
自然や動物を描いたことが今につながっているという。
仲むつまじく夫婦で歩く姿や、そのポートレイトはほほえましい。


【話の話】
監督:ユーリ・ノルシュテイン
赤ん坊が無心で母の乳を吸っている。なんとも強烈な絵で始まる。
信じられないくらい静かに降り積もってゆく雪など。
この話を通して出てくる2本足で歩く、なんとも愛らしい灰色の犬の表情
犬が焚き火をして、熱くてフウフウいいながら食べる、
その声の入れ方がまた自然でいじらしくてリアリティあり。
全体に流れるかすれた古いメロディがなんともノスタルジックで幻想的。退廃的な魅力さえ醸し出している。
作者にとって自然から離れた、人工的な文化・生活は、退廃としか映らないのかもしれない。
アニメも立派なアートだなあ。


【霧に包まれたハリネズミ】
監督:ユーリ・ノルシュテイン
短いけれど、霧と夜の描写がとても幻想的。
時々、実際の川や、人形のハリネズミの映像(多分)が混ざって、話をよりリアルにしている。


【あおさぎと鶴】
監督:ユーリ・ノルシュテイン
ああ!途中で録画が切れて、これでおしまい。分かってたんだよ、最後まで録れてないだろうってことは!

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notes and movies(1994.5~ part2)

2013-01-18 15:20:12 | notes and movies
過去のノートにある映画感想メモシリーズ。
part1からのつづき。
若かりし頃のメモなので、不適切な表現、勘違い等はお詫び申し上げます/謝罪
なお、あらすじはなるべく省略しています。


『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1942)
監督:ルキノ・ヴィスコンティ 出演:マッシモ・ジロッティ、クララ・カラマイ ほか
ルキノ・ヴィスコンティの処女作。これは後に、ジャック・ニコルソンとジェシカ・ラングで'81にリメイクされ、
より過激な性描写で話題を呼んだが、その元ネタとあって微妙な違いが興味深い。
ヴィスコンティ作品には常に目も覚めるような若い美男子が登場するけれども、ジーノ役の俳優もなかなかハンサム。
クララはクールな美貌で妻の複雑な心情を見事に演じている。

保険金目当ての殺人とは直接的に描いていないにせよ、不幸な女が企てた冷酷な殺人計画として観られても不思議じゃない。
印象に残るのは、ジーノを逃がすために商売女のフリをしなければならなかった女性の哀しげな後ろ姿。
女が男を利用する場合のほうがより冷酷でずるがしこい女狐だと思われるのに、
男にもて遊ばれ捨てられる女は、まるで当然のごとく忘れられてしまう存在だ。
ヴィスコンティの眼はその点も見逃してはいないのだけれど。
金もなく、頼るあてもない女の悲しい姿。若い男をつかまえても絶えず疑念や嫉妬、不安がつきまとう。
根無し草の男と、家に執着する女の象徴的な姿が描かれている。


『スウィーテイー 悪魔のような姉』(1989)
監督:ジェーン・カンピオン
複雑な心理劇。大した芸でもないのにすごい才能があると信じて疑わない父と、
その夢をほとんど強制的なプレッシャーとして追い続け、現実逃避し、幻を見るしかなかったスウィーティ。
姉のエゴ。家庭不和で自閉症気味のケイ。ラストのテロップ"for my sister"というのも意味ありげ。
どこかデヴィッド・リンチ風の映像トリップ、アブノーマルな登場人物たち。
今作がオーストラリアの女性監督によって作られたというのも変わっている。

タイトルの響きが妙に気に入った。スウィーティー役の女優はキョーレツな個性で、神経質そうなケイと対照的。
瞑想のインストラクター?をしているルイは、女子の憧れの的として甘いルックス。
社内で男女関係のことしか頭にない群集化した女性社員って世界中どこにでもいるのね
指輪1個にヒステリックに一喜一憂して、そうでないコは「考えが古い」で仲間はずれにされちゃう。
「結婚で救われる」って考えのほうがよっぽど古いのに。
ケイは木恐怖症。根がいつか家まで傾けて、自分を襲うのではと心配している。
天に伸び、地にしっかり根をはる木は、健全な精神の象徴でもあるのに。
「君は木を生かすこともできないのか?」「現実ってなんなのか、それは難しい問題だよ」


『SOUL TO SOUL 魂の詩』(1971)
出演:ウィルソン・ピケット、アイク&ティナ・ターナー、サンタナ、ロバータ・フラック、ステイプル・シンガーズ ほか
'70年代の香りプンプン ブラック・ミュージック、ソウルに改めて体中が惹かれる感じ。
奴隷制度の暗い歴史とは裏腹に、町中あらゆる場面で音楽が生き、踊りがある。
本場アフリカのフィーリングに合うもの合わないもの。
サンタナが意外に反応が少なかったのは、唯一白人の多いグループだったから?
ステージに上がって一緒に踊る者もいて、熱気ムンムンのサイコーなショー。ティナのパフォーマンスもイイ。
「ソウルって何だ?」「それは感覚的なものさ」
「どんな風にだ?」「そうだな。手がこう勝手に動くのさ、足が動き出す者もいる」


『ルナ』(1979)
監督:ベルナルド・ベルトルッチ 出演:ジル・クレイバーグ ほか
ほかのベルトルッチ作品に負けず劣らず長い時間も忘れる、
異国を舞台にした壮大で感動的なオペラにのせて展開する悲しいほど深い愛情。
それは親子として、また時に人間=動物であるがゆえに男女の微妙なあやを見せて、
1シーンごとにベルトルッチの特別な想いが込められている。
最初の月明かりに守られて親子でたわむれるシーン、自転車を走らせるシーンからどことなくセクシーで
誰一人、第三者が立ち入れない絆が見える。

ちょっとダイアン・キートンみたいな雰囲気の女優。
オペラの声は吹き替えだろうけど、妙に気張ったり、有名人にありがちな高飛車なところがないだけに
傷ついた息子から離れられずにいる母親を時にユーモラスに、時に素直な女性として見事に演じている。
ジョー役のコも愛に飢えた現代っ子、麻薬に溺れながらも頭はハッキリしている堂々たる俳優ぶり。
ラストちらっと顔を見せるだけの父親役も複雑な立場を口数少なく重い存在感で印象強い。
1つの迷路のような家族愛を神秘的な月と美しいオペラ、その裏方劇に絡めたあたりは
さすがベルトルッチの確かで鋭い感覚が感じられる。
エグい描写が多いかと思いきや、なんとも悲しく感動的なロマンティックストーリー。


『MADONNA "THE GIRLIE SHOW LIVE DOWN UNDER"』(1993)
いやあスゴイという噂は聞いてたけど予想以上 この間観た米米のステージが派手だと思っていたら、
なんのその、さすがに世界を渡り歩いて長いキャリアを持つ、これぞまさにスーパースター!という貫禄。
単に豪華ってだけじゃなく、デビュー当時ははみ出し娘の元気一杯さ~大人の女の艶やかなもの~
今回はあの『ロッキーホラーショー』に負けず劣らずのセンセーショナルな肉感+黒人差別+エイズを
分かりやすいダンスパフォーマンスで魅せる。
シンディとスタイルは違っても、ともに女性解放者として、かなり辛らつな表現、直接男を侮辱し丸め込むシーンがあるのは見逃せない。

その性描写をモロに表現したダンス等でライヴを断った場所もあったそうだけど、
表面だけじゃなく、ちょっと気をつけて見れば、マドンナがスターの座を利用して訴えているメッセージが届くはず。
ブラのファッションで挑発する過激さだけでない、寸分の狂いもなく計算し尽くされたステージング、
2時間びっちりダンサーと肩を並べても決して劣らないダンス+崩れない表情+歌は、
それに見合うかなりの練習量、持っている才能以上を発揮させる日々の肉体作り、努力なしでは完成されない
彼女のパワー、行動力、成功を掴み取る強さ、野望を感じさせる
本当にこのメチャクチャハードなショーで何十日にも渡って世界をツアーして回ることなど可能なんだろうか
途中、字幕がないからよく把握できなかった部分もあるけけど、サルティンバンコ顔負けのこのスケールで
進歩し続けるマドンナのライヴ。ここまできたからには次はどうなることやら。


『カーペンターズ・ストーリー』(1988)
出演:シンシア・ギブ ほか
実家にある何十枚もの洋楽のレコードの中にあったカーペンターズの1枚のレコード。
カレンの透き通ったぬくもりある女性的な美しい歌声とやわらかなリズム、感動的な詩。
それからずっと今まで聴き続け、今回改めて'70に占めていた彼らの位置を知り、
今でも世界中のあらゆる人々に聴きつがれているヒットソングを聴き直し、
兄妹のたどった道のり、噂に聞いたカレンの拒食症からの悲劇的な死が、
兄リチャードをはじめ、カレンをよく知り、愛してきた人間が製作に関わって
ヒット曲をちりばめてとても丁寧に作られているのがヒシヒシと伝わってくる。

カレンが救急車で運ばれ、その脇を10代の彼女自身が通るなんともショッキングな冒頭から
ファンにとっては痛ましいかぎりであるとともに、一気にスターダムに上りながら、常に健康に怯え続け、
歌声や姿からまったく想像もできない悩みを抱えていたのは予想もしなかった。
近年、若い女子に増えていて社会問題となっている、精神の病からくる拒食症。
当時はまだ研究中で、あれほど温かい家庭のどこに原因があるのかとても疑問に思えるが、
度々カレンが自分の意見がまったく皆に通じていないと怒るシーンが重要な鍵ではないか

当時すでにカウンセリングが一般的だったアメリカで、なぜ誰も専門医を紹介し、
根本から原因をただし、時間をかけて休息をとらせなかったのか。
一番身近に暮らしている家族であるからこそ、問題点を見逃してしまう。
母親が「女は結婚し、夫に寄り添っていれば絶対幸せになれるものだ」と言うシーンは心が痛んだ。
愛情も身近にいすぎるとかえって表現することが難しい。

気になったのは、兄妹の仲がよすぎるほどだったという噂。
2人は深いコンビネーションで互いを支えあってスターの座を築き、
離れて活動することは不可能だったのかもしれない。
兄も不眠によって薬を飲みすぎて倒れるが、彼らは知らなかったのだろうか?
多くの貴重なアーティストが大衆の過剰な期待、プレッシャー、ストレス、疲労で
どれだけ未来を見失い、ドラッグやアルコール等で自らの命を縮めていったかを。

リチャード「夜になると、これからどうなるのかって頭がいっぱいになる」
いつか見捨てられるのではという不安は、成功のステップを急に上り詰めた者にしか分からないだろう。
彼らは確かで稀な才能を持ち、それは大衆の移り気な判断で測られるものではなかったのに。


『MADONNA THE IMMACULATE CORRECTION』(1990)
デビュー当時からのMVをまとめたもの。でもこうして見ると、やっぱりライヴ映像のほうが面白い。
彼女は常に女優業にも関わり続けていて、それも才能あるけど、あの鍛え上げられた肉体を
惜しげもなく披露して、ダンサー顔負けに歌って踊るサーカスの世界、
次に何が起こるのかなってワクワクするし、彼女ならやってくれる。
ビデオのほうは女優の顔が強くて、ちょっと肩透かしを食らった感じ。
変幻自在の変わり様、どんどん進歩してゆく彼女の様子をこうして年代順に振り返るのも一興か。
脂がのりまくったこれからのマドンナは、どう私たちをビックリさせるのか、まだまだ目が離せない。


『THE WHO LIVE FEATURING THE ROCK OPERA TOMMY』(1989)
噂のロックオペラ映画『トミー』を観た後だけど、今作はまたちょっと違ったストーリーをもったロックコンサート。
ほとんど同じ出演者が集まって再演したってことか?状況がよく分からないのが残念。
ザ・フーの個性は、そのまま個性的なメンバとつながっている。
彼らに必要なのは、何百万単位の観客と自由に飛びまわれる大きなステージだ。
不思議なのは、強烈なライトをドビューっと浴びても、どこか素人臭いところがかえって
自由奔放な男の子がまんま大人になってしまったロックミュージシャンといった感じで
まさに'70年代を感じさせる無軌道さ、繊細さ、純粋さまで感じる。名曲ぞろい。
偉大なバンドだけど、なぜか笑えるセサミに出てくるマペットのロックバンドみたい。
ロジャーはしきりにポーズを決めて、青い眼は信じがたいほどクールだし、
しきりにジャンプするピートは、すごくイイ声の持ち主で、その表情からは奥が読めない深さがある。
ビックリ箱みたいなバンドだな。時代の若者の心をとらえ、表現したパワーとサウンド、
フィーリングには時間の経過はあまり関係していないようだ。


『勝手にしやがれ』(1959)

監督:ジャン・リュック・ゴダール 出演:ジャン・ポール・ベルモンド、ジーン・セバーグ ほか
もっと『俺たちに明日はない』式に2人の若い男女が無軌道に大人に反発して暴れまわる話かと思いきや、
今や伝説的なこのゴダール作品は、やはりフランス映画の永遠のテーマ「男と女」を意外に冷静に見つめて描いている。
あふれだす言葉、言葉、言葉。それが即興というのは驚かされた。
何か言葉にすればするほど、真実から遠ざかってゆくようだ。
「幸福な愛などない。不幸な愛すらないんだ」
「どうして記者になったんだ」「男から自由になれるからよ」
スカートをめくられて、ミシェルの頬にバシっと一発ビンタを食らわせるシーンは快感。
「一発ヤラせるなら車に乗せてやるよ」って男なんだもの。


『THE LATE SHOW "LIVE AT MONTEREY"』

ウッドストックもモンタレーもその全員の演奏が録画されたはずなのにどうして完全版をビデオ化しないのかしら?
年代は同じなのに、ここまで対照的なブラックミュージシャンを1つにまとめた勇気は偉い。
もっとオーティスのライブを長く見ていたかった。思い出すのはジャニスの言葉 "OTIS? Oh, my man!"
この2人は若くして死んだから伝説的なのではなく、若くして才能その他をはるかに超えてしまったからかも知れない。

▼参加アーティスト
OTIS REDDING ♪SHAKE, RESPECT, SATISFACTIO!、JIMI HENDRIX、BOB DYLAN

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notes and movies(1994.5~ part3)

2013-01-18 15:20:11 | notes and movies
過去のノートにある映画感想メモシリーズ。
part2からのつづきで紺色のノートでラスト。
若かりし頃のメモなので、不適切な表現、勘違い等はお詫び申し上げます/謝罪
なお、あらすじはなるべく省略しています。


『気狂いピエロ』(1965)

監督:ジャン=リュック・ゴダール 出演:アンナ・カリーナ、ジャン=ポール・ベルモンド ほか

「見つかった?」「なにが?」「永遠が。海が。太陽に溶けこむ」

ストーリーの細部はよく分からない。どのみち仏映は、ストーリーより流れる詩だ。
「私の運命線を見て。短いわ」「僕は君の腰の曲線が好きだ。僕の愛撫する線が」
ミュージカル映画にでもなったような長く歌うシーンはイイ。
逆に車を炎上させ、黒い煙が空気や空をいやおうなく汚してゆき、
気にもかけない男女のシーンには我慢ならなかった。

途中、画面全体を「人生」「シネマ」「ラスベガス」などとテロップでその場面を象徴させたり、
主人公の俳優にベトナム戦争でのアメリカ軍兵とベトナム女性の狂言を演らせるなど、
映画全体がとても新鮮で自由な作りになっているのがイイ。
まるで作品を貫いている純粋に美しい海と空の青さと同じ。

「信じるよ、嘘つきめ」

ここでも自由を得ようとする女は、誘惑をうながす魔女か何かのように翼をもがれるしかなかった。


『ルシアンの青春』(1973)
監督:ルイ・マル 出演:ピエール・ブレーズ ほか
ゲシュタポ
1933年、反ナチス運動の取り締まりを目的として創設された。ナチス‐ドイツの国家秘密警察。親衛隊の統轄下に置かれた。

ヌーヴェルバーグの傑作と言われる今作。『さよなら子供たち』では、
学校の子どもたちに焦点を当てた同じくナチ下のフランスを舞台にした作品だったが、
これはもっと当事者に近い若者の複雑な状況での恋愛を描いたもの。
関係が複雑で登場人物も立場上語らないため、なおのこと緊張感が伝わるが
政治や歴史に詳しくない者にはちょっと説明しにくい。
粗野ではあるが若さと無知のために嘘をつく口を持たず、悪に染まりきっていない主人公は、
最初、鳥をパチンコで殺すシーンでは好きになれなかったが、どこか憎めないところがある。
この時代もやはり女は犠牲者で、戦利品、虐げられている民族と同じく、言う口を持たず、考える意志も持てない。
特別な言葉も要らず、国境や人種の違いもない恋する男女の世界を純粋に真っ直ぐ描けるのは、
ルイ・マル自身が若く、そういう感覚をいつまでも保ち続けているためだろう。


『蘭の肉体』(1987)
監督:パトリス・シェロー 出演:シャーロット・ランプリング、ブルーノ・クレマー ほか
フランスのサスペンス映画で、ランプリングが主演だからなおのこと一筋縄じゃいかない。かなり込み入った話。
元サーカス団員で、今はプロの殺し屋の兄弟とは、仏映じゃ殺人鬼ですらどこか味わい深い。
暗い過去と謎を山ほど抱えた役を演らせればランプリングはまさにピッタリ。
男女の切羽詰ったギリギリの状況での短い関係が緊迫感たっぷりに描かれている。


『ポセイドン・アドベンチャー』(1972)

監督:ロナルド・ニーム 出演:ジーン・ハックマン、アーネスト・ボーグナイン ほか
パニック映画絶頂期のアメリカならではのスケールの大きさ、迫力、おそらく相当の費用と特殊技術、
フィルムが回っていないところでも、もう1つのストーリー(撮影、裏方等もろもろ)が存在しただろう。
かの『タワーリング・インフェルノ』と並ぶパニック映画の金字塔
これはもう娯楽以上に観客を引きこみ、心を動かし考えさせられるものがある。

背後から魔の手のごとくのびてくる海水、緊張の連続、素晴らしいパニック映画を観た後は
人間の生き残ろうとするすごいパワーと命の大切さ、人と人との愛情や憎しみ、
普段の生活では忘れかけていることが思い起こされる。

「神は忙しい。だから自分の力、自分の内なる神を信じ、自分で戦うことだ」
「いつか誰かが助けてくれるだろう」「祈ってさえいれば神は助けてくれる」
という人々は死を待つのみで最初から生命に対して負けていた。
助かった人々は誰かの助けより、自分たちの力で、時に補い合いながら自力で生き残ったのだといえる。
それぞれの愛する者を失い、その後の人生を続けてゆくのは生き残るゲームよりもっと大変なことだろうが。

牧師役のハックマンの役割は特に素晴らしく、この映画にしてこの俳優
作品中に何度も訪れる選択肢。それは生か死か自分が決める選択であって、
もし自分が同じ船に乗り合わせていたら・・・
きっと最初に船が逆さになったショックで死んじゃってるだろうなあ・・・


『SOSタイタニック』(1956)
監督:ロイ・ベーカー 出演:ケネス・モア、ロレンス・ネイスミス ほか
世界中にショックを与えた豪華客船の処女航海における沈没事故。
確かな原因はいまだに不明だけど、生存者の証言等の協力を得て、極力事実に忠実に再現したのが今作。
なんといっても印象に残ったのは、階級の差がなんとも大きいことだ。
労働者、富豪らの船室の違い、応対もまるで天と地の差がある。イギリスという国の縮図そのものだったわけだ。
生と死の瀬戸際にも上流階級が先、ボートに乗った婦人は「これ以上乗せないでくれ。我慢出来ない」と言った。

「人には上も下もない。命の尊さに貧富の差はない」というメッセージも強く訴えている。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』にあらわれる牧師と子どものシーンを思い出さずにはいられない。
海水面に対して船首から垂直になるまで船にしがみつく者、凍るような海水に落ち、
なにか浮くものにつかまり、他人をおしのけて自分だけ助かろうと必死になる様子などはまさに地獄絵だ。
2千人中、約半数しか生き延びることができなかったという事実。
この悲劇は教訓とさまざまな思いを後世にずっと残し伝えてゆくことだろう。


『美しき諍い女』(1991)
監督:ジャック・リベット 出演:ミシェル・ピコリ、エマニュエル・ベアール ほか
1時間版を観たけど、やはり4時間版もチェックすべき。時間の工面に勇気がいるけど
諍い女=ケンカっ早い女という意味らしい。
マリアンヌに「顔を描かせるのは断ったほうがイイ」と忠告するが断られる。
なぜ顔なのか? 先日TVで写真家が「ヌードを撮っても結局は顔になる」と言っていた。
ベアールのヘア問題より、久々ジェーン・バーキンが見れることに期待した。
いつもは人騒がせな役は彼女が演っていたが、今作では画家である夫に
全身全霊吸い取られたかのような無気力に生きる妻を演じている。

今作では画家がまるで神のごとく描かれている。モデルを裸にし、人形のように扱うのは
同性として面白くないが、途中からマリアンヌ自身の動き、時間、場所で演じたのはよかった。
描かれた本人が見るべきではなかった絵とは一体何だったのだろう。
偉大な画家は大勢いるが、彼らが描き出すもの、芸術とは?その目的とは?
大きすぎる疑問が残った。その疑問を問いかけているという点では観てよかった。


『グランド・ツアー』(1991)
監督:デヴィッド・トゥーヒー 出演:ジェフ・ダニエルズ ほか
未来の観光者は、町に巨大隕石が落下する瞬間を見に来た「災害見物ツアー」客だった。
雪の上を駆ける馬の美しいシーンから、一瞬で悲劇になるシーンは鮮やかだが恐ろしい。
いくつもの流れ星が落ちる景色も美というよりどこか異常。
「もしあの場所、あの時間に居合わせなかったら?!」被害者なら誰しも思うことだろう。
事故や病気だけでなく感情まで失ってしまった今作の未来世界は、
どうやらそれほど「グランド(ステキ)」ではなさそうだ。
自然災害や文明がもたらす災いの悲劇は、悲惨極まるものだが、
それにも「バランスをとる」というプラス面もあるのかも知れない



【読書感想メモ】
「シンデレラ・コンプレックス」コレット・ダウリング


【歌詞をメモした曲】
♪Where do we go from here?/J.R.Robertson
♪4% Pantomime/J.R.Robertson, V.Morrison
♪Stage Fright/J.R.Robertson
♪Across the Great Divide/J.R.Robertson
♪It makes no difference/J.R.Robertson
♪AMERICA/P.Simon
♪The only living boy in New York/P.Simon

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