メランコリア

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ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

藤城清治さん「光と影で描く戦争の記憶」@NEXT 未来のために

2016-09-11 11:42:19 | アート&イベント
藤城清治さん「光と影で描く戦争の記憶」@NEXT 未来のために

藤城清治影絵展「光と影は幸せをよぶ」@教文館9階ウェンライトホール(2016.8.6)

「作家別」カテゴリーに追加しました。

初見の番組。

にゃんこも元気そうでなにより 藤城さんより私を撮ってとばかりの位置に鎮座w

机上にゼロ戦の模型が乗っているのは、作品を描くため?




太平洋戦争末期の特攻
藤城さんは、この夏、これまで向き合えなかった題材に初めて取り組んだ

特攻に飛び立つ友人たちを見送り続けた藤城さん
自らも死を覚悟したが生き残った
封じ込めてきた記憶から新たな影絵を生み出そうと、全てを賭けて臨んだ



「平和な世界を祈る 望む 切って 切って 切りまくってね
 ひとつの集大成 人生観そのものを訴えたような絵に」


 


目黒区の自宅兼アトリエ
 

藤城さんは、ここで毎日10時間近く影絵つくりに取り組んでいる


(ここも魚とか動物いるのね 壁に貼られた棒グラフは何だろう・・・気になる

 
(ニャンコ自由すぎw ラビィちゃんていうんだ 完全に作業場に溶け込んでる
“影絵を生命力あふれるものにしたい”と思いで動物たちがいる


カミソリを直接手に持つ


 


影絵づくりは戦後間もない東京で始まった
 

 

戦争ですべてを失った人たちのために何かできることはないか
がれきに差し込む光と影に手がかりを見出し影絵を始めた



「みんなをなんとか楽しませて、ということがすごく大事
 こっちもそれしかやれないし、それが僕の原点にある」


作品に欠かせない存在の小人
「生きているよろこび」を感じて欲しいという思いがこめられている

 

著書『藤城清治 影絵の世界 シルエット・アート 作品とその技法(1983)』より

「敗戦後の混乱期もどうやらおさまって、やっとみんながあたたかな夢や幸せを求めだした時代だったので
 小人の影絵は、多くの人々の心にやすらぎをあたえ、たいへん歓迎された
 ぼくの小人も、ぼくの影絵の中に定着していった」

 


全国各地で開かれるサイン会
 
こうして1枚1枚に丁寧に小人を描いてくださるから時間もかかっちゃうんだよね/驚


「知覧特攻平和会館」
6月中旬、新たな影絵の制作のため、鹿児島を訪れた

 
(娘さんは、藤城さんのことを“父”て呼んでいるんだ/驚

去年、作家としては致命的な手足がしびれる病気を患った
残された時間の中で、これまで描いてこなかった自らの戦争体験を影絵にしようと考えた

 

 

亡くなった特攻隊員の名前の一覧に、藤城さんの親友の名前があった。船津一郎さん
学生時代、互いの家を頻繁に行き来した仲

 


昭和16年 太平洋戦争開始時、17歳だった藤城さん
 

海軍航空隊に志願した船津さんのあとを追って、同じ海軍に入隊
戦争末期、特攻作戦がはじまると、友人たちも次々と出撃していった

 

 

目が悪いため、パイロットに選ばれなかった藤城さん
船津さんの壮行会では、もう二度と会えない、と思いながら、慣れない酒を飲みつづけた

 

別れの言葉をかけられないまま、亡くなっていった仲間たち
死を覚悟していた自分は生き残った
以来、71年、自らの戦争の記憶を封じ込めてきた

かつて見送ったゼロ戦


「(当時)日本の一番進んでいる飛行機 だけど、それをこういう形で弾丸みたいにぶつけちゃって・・・」

 


原爆ドーム
 



80歳を過ぎた頃から、原爆ドームなど戦争の爪あとを影絵にしてきた
そこに必ず登場させたのは「生きているよろこび」の象徴、小人
二度と戦争を繰り返してはいけないという平和を願う思いが込められている
友人が飛び立っていった地で、戦争をどう描けばいいのか




東京に戻るとすぐに影絵の構想を練りはじめた
 

下絵の中央には、海に向かって飛び立つゼロ戦
戦争が突きつけた生と死を、影絵の光と影の世界で表現したいと考えた

「原爆ドームを描くのとは違って、ある意味で自分の気持ちを象徴化された作品にならなくては
 ずっと90いくつまで生きてきた中の、終わりのほうの、
 ひとつの集大成的な人生観そのものを訴えた絵にして
 感覚と体力と命、全てをかけた作品として、ふさわしいものができればいいかなと思う」


 



下絵は11日間かけて描き上げた 小人はゼロ戦のとなりにいる
創作をはじめて2週間あまり 下絵を切り抜く作業が本格化

 

切り抜いた場所に、500色以上から選び出したフィルターを幾重にも重ね、光を当てて浮かび上がらせる


小人は入れるか、入れないか
作業の手が止まる

 

取材者「小人は入れるか、入れないか」
藤城「ハハハ、やってみてね 入れようかなあと思ったけど、入れないほうがいいかなと、なんかね」

死に向かうゼロ戦、生きているものの象徴としてずっと描いてきた小人
2つを同じ影絵に入れてもいいのか迷う

 
(迷うと近所を歩くのかな?


7月9日 作業再開し、小人を入れることを選んだ


「平和を願って描いている絵の中に、描かないっていうことはむしろおかしい
 むしろ小人を描いて、僕の本当の心そのものを、ハッキリ出してこそ、
 これに打ち込んで描いた、自分の覚悟というか、決まりをつけたいなというような意味でね」
(自分が長年抱えてきた心の傷も表現したんだな

作業が大詰めを迎える中、もう1つ大切な要素を加えようとしていた
「ただ待っているんじゃなくて、自分で考えてやれよ!」と珍しく厳しい声を聞いた

 


試行錯誤していたのは「桜」
ゼロ戦を見送るように満開に咲いている花びらひとつひとつに、
散って行った仲間の思いと、見送った自分の思いを込める
(彫刻刀も使うのか



「飛び込んだ人は、桜の花びらとして散っていったんだろうと思うしね
 鎮魂の意味がある 花ひとつに」




7月13日 2mほどの影絵が試写室に運ばれた
 

特攻隊員が散って行った海の上にも花びらを加えていった

 

スタッフ「(拍手して)ああ、よかった」



1ヶ月かけて作品が完成

「平和の世界へ」


「彼らの命があったからこそ、今日がある
 今生きているよろこびを実感して欲しい

 静かに見てもらって、みんなの心の中に何か
 日本の良さ、“生きているよろこび”を、この中から受け止めて、
 やっぱり生きていることは良かったとかね、そういうことを感じとってもらえればねぇ


7月15日 銀座
 

完成からわずか2日後に始まった展覧会
並べられたのは藤城さんの影絵作家としての歩みを記す92点
その真ん中に置かれた最新作「平和の世界へ」

観客の声:

「切るの大変だね、桜

お孫さん?に語る年配女性

「桜、悲しいね、こういうの
 桜ってすごい希望の花なのにね
 だけど、これは戦争の花なのね あの飛行機は戦争の時の
 辛い話だけど、忘れちゃいけないっていうことだと思う」

「悲しいよね ゼロ戦が飛ぶところ」と涙をぬぐう女性
「絶対こびとさんがいるよね」
「そう、だからなんか希望がわくよね」

光と影で語りかける、今を生きる私たちへのメッセージ



【ブログ内関連記事】
「資料館・記念館めぐりリスト」カテゴリー参照
シリーズ戦争遺跡2『戦場になった島 沖縄・本土戦』(汐文社)
シリーズ戦争遺跡5『歩いてみよう身近な戦争遺跡』(汐文社)
元特攻隊員・板津忠正さん&腹くう鏡手術@週刊 ニュース深読み
水木しげる
『ホタル』(2001)
『俺は、君のためにこそ死ににいく』
『ああ特攻 歴史コミック 知覧・鹿屋に咲いた若桜』


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『エミリー』バーバラ・クーニー(ほるぷ出版)

2016-09-11 11:33:02 | 
『エミリー』(ほるぷ出版)
マイケル・ビダード作 バーバラ・クーニー/絵 掛川恭子/訳

【ブログ内関連記事】
『クリスマス』
『ちいさなもみのき』
『とびきりすてきなクリスマス』
『ちいさな曲芸師バーナビー』


これまた素晴らしい1冊に出会ったv
ほるぷ出版の翻訳絵本は素晴らしいものばかりで全部読みたくなる



タイトルのエミリーは、表紙の少女のことだと思ったら、エミリー・ディキンソンさんか/驚
サイモン&ガーファンクルの歌で聴いて、名前は知っていたけれども、作品はほとんど読んだことがない
本書を読んで、とても謎に満ちた人生にとても興味をもった

まず、この温かみのある絵がとんでもなく複雑な工程を経て描かれているという説明をみて驚いた。

『ルリユールおじさん』を読んで、パリの風景を見てから、今度はアメリカの生活感、時代背景の違いを味わい、
エミリーと同様に繊細な文章と、それを詩的に和訳した掛川さんのチームワークも素晴らしい

この本そのものがエミリーの詩の世界
美しく、純粋で、傷つきやすく、そして子どもという希望の象徴に溶け込み、未来を託している

母の弾くピアノで知り合ったお向かいのエミリーと少女
少女からは、春を告げる花、ユリの球根をもらい、そのお礼に詩をあげるシーンもステキ

 

まだ道がアスファルトに覆われていなかった頃
雪が溶けると、家の前に板を敷いて、道には空を映す水たまりがあった



ヒトはいつからそんな自然とともに生きる心をおっことしてきてしまったんだろう?


【内容抜粋メモ】

作家・画家紹介
マイケル・ビダード:本書を書くために、ディキンソンの旧居を訪問
バーバラ・クーニー:現代アメリカでもっとも活躍した絵本作家の一人。『ルピナスさん』ほか

“この本の絵は、イラストボードに中国シルクをはり、下地にジェッソ(石膏)を二度塗った上に、
 リキテックス社のアクリル絵の具と、ダーウェント社の色鉛筆、パステルなどを使って描いています。”


あとがき マイケル・ビダード
エミリー・ディキンソンは、アマーストで生まれ、結婚もせず、両親の家に住みつづけ、56歳で亡くなりました
年がたつにつれ、隠遁ぶりがひどくなり、晩年の25年間は、父親の屋敷の外へ出ようとはしませんでした。


エミリーは庭仕事の達人で、自然の鋭い観察者でした。
一生を通じて詩を書き続け、紙切れや手近なものになんにでも書き留めました。
エミリーの死後、使っていた桜材の机の中に、1800編近い詩が隠されているのを妹が発見しました。

エミリーは、知らない人には会おうとしませんでしたが、子どもたちとはいつも仲良しでした。
エミリーと話したことのある子どもたちは、彼女はなにかにつけてすぐニコニコし、楽しそうに目を輝かせる人だったと言っています。
外にいる子どもたちに、2階の部屋から、カゴにショウガ入りクッキーを入れておろしてくれることがよくあったそうです

私は、エミリーが住んでいた家を訪れて、部屋の窓の下に立った時、
エミリーがこのお話を私におろしてくれました。

※この絵本を出版するにあたり、お世話になった方々に感謝の気持ちを捧げます
手紙の一部の転載を許可してくださったマーシャ・ディキンソン、シャーリー・ディキンソン ほか


あらすじ(ネタバレ注意

少女一家が引っ越してきて、間もなく1通の手紙が来た。

「お隣りさんへ
 今の私はこの花のよう
 あなたの奏でる曲で、私を生き返らせてください
 きっと私のところへ春がやってきてくれるでしょう」

母のピアノを聴いた向かいのエミリーから、うちでピアノを弾いてほしいという手紙だった
向かいの黄色い家には、エミリーと妹が住んでいて、町の人たちは“謎の女性”と呼んでいる
20年近くも家の外に出たことがないため、“頭がおかしい”という噂もある

少女の父は、手紙に入っていた花は「ブルーベルといって、キレイだけど、とてももろいんだ」と教えてくれる

その夜、パパはベッドの脇で歌ってくれました。
くずれた花のように、歌がシーツの上にこぼれ落ちました。
私は、こぼれ落ちる歌を聴きながら眠りました。



翌朝、少女は、父からエミリーはいつも白い服を着た小柄な人で、詩を書いているそうだ、と聞く

「詩ってなあに?」

「ママがピアノを弾いているのを聴いてごらん
 同じ曲を何度も練習しているうちに、ある時、フシギなことがおこって、その曲が生き物のように呼吸しはじめる
 聴いている人はゾクっとする 口ではうまく説明できない、フシギな謎だ
 それと同じことを言葉がする時、それを詩というんだよ」

黄色い家のあの人は、知らない人が来ると逃げてしまう
どうしてでしょう わかりません
人間というのも、フシギな謎なのでしょう


翌日、母と少女が向かいの家を訪ねると妹さんが対応する

(にゃんこだらけ!

「姉は、ちょっと具合がよくないものですから、残念ですが、ご一緒できませんの
 でも、上でうかがわせていただいております」


母が震える手で1曲弾き終わると、階段の上から、かすかな拍手が聞こえて、小さな声が流れてきました

「ご親切なお隣りさん コマドリもあなたにはかないませんわ
 もっと弾いてください
 もう、春がそこまで来ているような気がしてきました」

少女はそっと階段まで行くと、白い服を着た女性が、膝の上の紙切れに、短い鉛筆でなにか書いていた


「いたずらおちびちゃん、こちらへおいでなさい」

「それ、詩なの?」
「いいえ、詩はあなた これは、詩になろうとしているだけ」

「私、春をもってきてあげたの」とユリの球根をわたすと、
「ステキだこと わたくしもなにか差し上げなくては」

女性はなにか紙に書いてくれた

「さあ、これをしまっておいて
 わたくしもあなたから頂いたものを隠しておきますから
 両方とも、そのうちきっと花ひらくでしょう」


演奏を終えると、妹さんがシェリーと、ショウガ入りクッキーでもてなす


グラスに少しだけ残っているシェリーは、エミリーの瞳と同じ色をしていました。


間もなく、春がやってきました。
庭にユリの球根を植え、やがてぐんぐん大きくなるでしょう
これもフシギな謎です

この世の中には、フシギな謎が、たくさん、たくさんあります




天国をみつけられなければ 地上で
天上でもみつけられないでしょう
たとえどこへうつりすんでも
天使はいつもとなりに家をかりるのですから


愛をこめて

エミリー


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『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』(集英社文庫)

2016-09-11 11:32:02 | 
『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』(集英社文庫)
原題 A L'AMI QUINE M'A PAS SAUVE LAVIE by HERVE' GUIBERT
エルヴェ・ギベール/著 佐宗鈴夫/訳

※1993.6~のノートよりメモを抜粋しました。
「読書感想メモリスト」カテゴリーに追加しました。


あらすじ(ネタバレ注意

フレディ・マーキュリーとの関連で、改めてエイズに対して興味をもったのと、
作者が俳優のようにハンサムなこと、それになんといってもタイトルが実に攻撃的で
印象的だという理由で即座にこの1冊を手にした

実話であり、作者は1991.12にもう他界して、この世にいないというのもショッキングだ

最近、翻訳ものが活気づき、幻想文学やサイコ・サスペンスといったフィクションとともに
衝撃的で赤裸々に性体験や、多重人格などを描いたノンフィクションもおおいに興味をそそり、
書店の棚を埋め尽くすようになった。それも、私の好きなハードカバーで


この、作者の命を救わなかった友というのは、作品中のビルのことだと本人も認めている
新たに効果が認められたワクチンの研究成果をほのめかしながら、
エイズに感染した友や、その知人らの関心を一気に集め、
結局は誰も本気で助ける気はなかったんだという成り行きと同時に
作者が感染を告知された1988年前後の話が書かれている。


訳者のあとがきで、初めて、作中のマリーンは、フランスのスター若手女優の
イザベル・アジャーニだと知り、慌てて過去のページをめくり返した。

あまり好意的ではなく、むしろ憎むべき相手として描かれている彼女は
野心的で、気まぐれで、高慢で、映画で観る彼女のイメージとは違っている


私は、彼にジュールとの出会いや、同居人らとの甘い生活も一緒に書いて欲しかったけど、
たぶん、それは別の作品にあるのではないかと思う

今作の続編も書店に並んでいて、死の直前まで書かれたのだろうと思われるが
今のところ、そちらは買って読む気がしない

今作もかなり病状の細かい様子や、病院や、同じ症状をもつ友人との辛らつなやりとりが大部分を占めているのに
もっと末期症状の話をずっと読むのは、より陰鬱な気持ちになりそうだから

この作品は、作者にもまだ余裕の気持ちが感じられ、
「一時的に完全に回復できると信じきっていた」時期もあったせいか
文中にほかの楽しいエピソードも入っているから、比較的、暗く、重い印象は受けない

逆に「いそいそと時間通りに早朝から病院通いを続ける」という姿を思い描くと
かなり意識的で、ジュールよりも冷静でいるように感じられる
本を書くという商売柄のせいだろうか

だが、内容や健康状態とは別に、この生き生きとした文章を書いた本人がもう亡くなっているという事実は
なんとも不思議で、時々、読者を当惑させる


エイズは、今や“同性愛者たちだけの秘密の病気”ではなくなり、
性愛とは関係ない赤ん坊にまで猛威を振るっている

『死を意識させることで、淡々と生きている私たちに、生の価値を見い出させる病気』

これは、本当に世界の終わりを意味するのだろうか?


私は、同性愛のほうがよりピュアな愛情のように思える。誤解を生むだろうが
男女の関係には、た易く、嘘、偽りが生まれ、それをうまくカムフラージュし、コントロールできるが
同性愛はまだ社会に認められず、危険がともなっているせいか、よりストレートで刺激的だ

映画『マイ・ビューティフル・ランドレット』や、『アナザー・カントリー』、『モーリス』など
同性愛を描いた映画は美しく、女性たちにも大絶賛され、支持され続けているのも事実

フレディのような快楽主義の極地の世界でもあり、それは時にうらやましく、嫉妬さえ感じる
それが死に通じる片道切符だと知っているとしても

これほど世界中が騒いでいても、私はいまだエイズ感染者を実際に見たり、周囲にいるという噂を聞いたこともない。
もしかしたら一緒に道を歩いているかもしれないのに、私が目を閉じて見ていないか、
それとも彼らがうまく隠しているのか

一時「エイズをストップしよう」というテロップも流れたが、なにからストップさせるのか、
「理解しよう」という事実は一体何で、私たちはこの病気の何を誤解しているのか、
ハッキリしないことがたくさんありすぎる。とくにこの日本では。


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『密会』(新潮社)

2016-09-11 11:31:02 | 
『密会』(新潮社)
原題 THE TRIST by Michael Dibdin
マイケル・ディブディン/著 成川裕子/訳

※1993.9~のノートよりメモを抜粋しました。
「読書感想メモリスト」カテゴリーに追加しました。


あらすじ(ネタバレ注意

なんとも不思議で、かつ悲しいまでに現実的な面ももった、現代のサイコ・サスペンス。

ストーリーを反復して再確認したほうがいいと思うけど、
日常でありがちな事が、いざ小説という媒体になって、
それをまた第三者に客観的に伝えようとするとややこしい。


現在。心理カウンセラーのエイリーンが「殺される」と妄想を抱いている少年スティーヴンをまかされて
施設においておけるたった数日間で、その理由を突き止めようとする

つまり、これが本筋だけど、そこにスティーヴンの過去-身元は全く不明

社会において“消えている人間”であるホームレス生活、
同じホームレスのグループのデイヴ、アレックス、ジミー、トレイシーらとの共同生活、
そしてふと見つけた新聞配達のバイトで知り合った独り暮らしの奇妙な老人

この老人の昔話、どうして、あのニヤニヤ笑いの男をそれほど怖がるのか、
第一次世界大戦前の18Cまでさかのぼった話、

そして、エイリーンの過去
レイモンドと10代の頃に知り合い、恋に落ちた後、子どもを身ごもったが、ハングライダーの事故で先立たれ、
ドラッグで自殺を図り、かなりの高さから取り降りたが奇跡的に助かり
その代わり、子どもを亡くすという、アメリカでの悲惨な思い出を今もひきずっている

これらが交互に、次から次へと展開し、しまいには互いが融合しあって、
それぞれの区別がつかなくなるラストは、やっぱり意外
SFか、幽霊物語にでも発展してしまうのか?!と思ったほど


また、同時に、愛情ではなく、何か“相互作用の機能化”している夫婦の姿も哀しいほどリアルに描かれている

“どんなに見た目が不釣り合いでも、その夫婦がもし長年続いているのなら、
 それはうまく機能しているからだといえる”


本当にそんな保たれた天秤でしかないのかしら?


イギリスにもふくれあがる無職で、帰るべき家のない路上生活の子どもたちの生活も細かく描かれている

スティーヴが最後まで店の名前を“OOD S ORE”(看板の文字が剥がれている)という単なる記号としかとらえていない文盲者であり、
イギリスにも、アメリカにも、その人数は世界においても断然多いことが、この少年たちに代表されている

彼がプライベートでリラックスできる一番お気に入りの場所が、公園の公衆トイレの個室で
そこに書かれた意味のない猥雑な落書きの一節から「EAT, SHIT, DIE, BOX」だけを
街のあちこちに書き残していくというくだり

エイリーンが偶然にも何箇所かに目を留めて、教養ある彼女は「食う、排泄する、そして埋葬される」という
人の一生を端的に言ったようなものだと深く読んでいる、この2人の違い
無知であることの恐ろしさを鋭く暗喩している



サスペンス映画を観るように、読者もこのカルマの謎解きに参加できるのが、この作品の面白さの1つでもある。

レイモンドそっくりのスティーヴは、実は彼の本当の息子だった。

レイは麻薬の密売人で、エイリーンがいかにも普通の英国人風なのをただ利用していたに過ぎなかったこと、
それから、老人の話の中の真犯人探し、大農場地主の館の双子ルパートとモーリスという正反対の性格で
常に仲たがいしていた兄弟のモーリスを殺したのは、やはりその親友のダヴィールだったのか?

そしてモーリスが見た幻の女性、それは白いワンピースを着たエイリーンの姿ともダブって
この辺りを追求すればするほど、デヴィッド・リンチ流、出口のない迷路にハマっていってしまう

ダヴィールそっくりの男を、スティーヴもエイリーン他もちゃんと見ている

彼(ハズケム)は何者なのか?
猫のように道路を横切って、無惨に車に轢かれるスティーヴの幻想を、
その事故現場でエイリーンが目撃するシーンはショッキング

その時、後から本人の気づかない程度にゆっくりと現実が歪んだ方向へ、とめどもなく進み続け、
ラストは、彼女が初めてトリップした体験から、その後も夢などで、時々繰り返してきた
この作品中でも重要なキーであると思われる“飛ぶ”イメージそっくりに、
廃墟、それも例の事件の舞台となっていた、たぶん老人が育った家の屋根裏から転落するシーンで終わる


作者がイギリス人で、この作品の舞台がロンドンなのも興味深い


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