“ロック界のカリスマ、スティングが登場。
今秋、スティングが作曲したミュージカル「ザ・ラスト・シップ」が、NYのブロードウェイで初演を迎えた。
新曲の発表は実に10年ぶり。「創作意欲が枯渇していた」と、深刻なスランプに陥っていたことを告白した彼が、
苦悩の末にたどり着いた“創作の原点”とは?
少年時代を過ごした造船の町、イギリスのニューカッスルへの郷愁たっぷりに、自らの人生を語り、歌う。”
予録のまとめ見シリーズ
前回観たのと似た内容だった
「TED」に歌手が出るのは初めて見るけど、歌うのか語るのか?
と思って観たら、こっちのほうが古かった 2014年 62歳の時
スティング ~65歳のロック魂@SONGS
<2014年9月 ブロードウェイでミュージカル「ザ・ラスト・シップ」が初日を迎えた>
舞台はイギリス北東部にある造船の町
そこに生きる人々の人間模様が描かれる
作詞作曲はスティング
そこには大変な苦労があった
スティングは、アーティスト人生における大きなピンチをどう乗り越えたのか?
伊藤穰一:
今回は番組が始まってから100回目の記念すべきプレゼンテーションです
スティングは、この10年間アルバムを出してなくて、
そのスランプをどう乗り越えて、今度のアルバムを出したかという
とても面白いストーリーを語ります
■STING How I started writing songs again こうして私はまた曲を書き始めた
最初は歌から 前にあるのは水晶みたいに見えるけどマイク?
この時はほとんどスキンヘッドに近かったんだな
ミュージカルの中の歌か?
S:
私はイングランド北東部の出身で、実家のすぐ近くに造船所があった
家の前の通りの突き当たりに、巨大な船のある光景 ほぼ一年を通してね
子どもの頃、毎朝大勢の男が造船所に行くのを見ていました
そして、毎晩彼らが帰るのも見ていた
造船所の近くに住むのも、そこで働くのも決して楽しいことではない
造船所は騒々しくて、危険な場所です 健康被害や、事故がやたら多い
けれどもそこで働く人たちは、その仕事にとても誇りを持っていました
世界最大級の船をそこで作っていたのです
私の祖父も造船工でした
造船が中心の町だったので、私はいつか自分も造船工になるのかと不安だった 絶対に嫌だった
私には夢があった 非現実的な夢でしたけど
8歳の時ギターをもらったんです ボロボロのギター
弦はさび付き、音も外れてたけど 私はすぐに弾けるようになった
そしてギターは生涯の友になった
こいつと一緒に逃げようと思った こんな工業の町とはおさらばだとね
信じれば夢は叶う まあとにかくそれが私の夢だった
そして船と同じで、私もこの町には戻らない
自分で曲を書いて、世界中でたくさんの人の前で歌う 大金持ちになる 有名になる
美しい女性と結婚して、子どもを持ち、家庭を築く
田舎に豪邸を構えて、犬を飼い、ワインをつくる
沢山のグラミー賞やプラチナディスク
どれも叶っちゃったね(観客が笑う
そしてある日、曲が書けなくなった
それまでにもスランプはあったけど、この時はそれが慢性化した
来る日も来る日も何も出てこない そんな状態が数週間、数ヶ月
結局何年もの間、全く曲が書けなかった
私は神々に見捨てられるほどの罪を犯したんだろうか?
作曲の才能はあくまで借り物だったのか?
それとも深い心理的な理由があったのか?
私は自分の内面をさらけ出して曲を作ってきた
個人的な感情を作品として形にし、世に送り出してきていた
で、出し切ってしまったのかも
そもそも自分の作品の中で一番の傑作って、他人をテーマにした曲だったのかも
自分のエゴを抑えて作った曲 自分の話は封印し、主人公は自分以外の人物
その人の立場になって作った、そんな曲
いま自分に書けることって何だろう? 誰のことなら書けるだろう?
皮肉ですよね ここで故郷に帰ることになるなんて
家出してた故郷と向き合うことが、スランプから抜け出すために必要なことだなんて
実際、故郷の人々のことを歌にすることを決めたら、曲がどんどん湧いてきた
すごい勢いで吐くような感覚だった
アイデアが溢れ出る 登場人物が喋りだす
詩が出てくる 曲の全体像が見えてくる
まるで長年溜め込んでいたものが出てくるように
私はまず知り合いの名前を書き出した 彼らが登場人物だ
そして彼らが語るんだ 自分のことを 職業 夢 将来への不安
例えばジャッキー 造船所の親方
(まるで芝居のセリフのように喋り始める
俺の名はジャッキー・ホワイト 俺はこの造船所の親方だ
鈍い奴はぶっ飛ばす 大潮の時に船を出さなきゃいけねぇんだ
死んでもシフトを守れ きっちり仕事をやり遂げてくれ
天国の門で、何で遅れたか聞かれたら「船を造っていた」と言えばいい
俺たちは、女王陛下の軍艦も、海運王の巨大タンカーも造った
積載量世界一の船だって俺達が造った
(次第に歌い始める
造船所が人生の全てなんだ 俺たちは鉄の魂を持つ
何もなかったところに船をパッと出してやる
造船所がなくなったら、俺たちは困っちまう
だって、造船所が人生の全てなんだ
(歌い終わり、拍手が起きる
S:
こうして自分以外の人のことを書いていても、時々自分が滲み出てしまいます
次の曲は♪デッドマンズ・ブーツ
造船所は誰かが死にでもしない限り、新しく人を雇わない
けど父親が15歳の息子のために話をつけてくれる
そんな父の愛情は、息子にとっては苦痛なだけ
息子にはビッグな夢がある 「くだらない」と父は思う
(ギターの弾き語り
この作業ブーツ お前の足にぴったり合うだろう
これはお前にやる 履いてみなさい
いつかそれを履いて出かけてほしい
船台で働く男たちの1人になってほしい...
(親の子どもへの想いと、息子の想いとの食い違いが生々しくて泣ける
S:
大型船の進水式の場合、ロンドンから要人が来て、スピーチをして
シャンパンの瓶を船首にぶつけて割り、船を浸水させます
すごく重要な船の時は、王室の誰かが来たりもします
そう遠くない昔、王室の人々は、不思議な治癒力を持つと思われていました
だから彼らが来ると、みんな子どもの病気を治してもらおうと必死になった
私の子どもの頃も、進水式の日は特別な日でした
子どもはみんな表に出て、小さな国旗を振る 丘の上にはバイクの一団が見える
その真ん中には黒いロールスロイス 皇太后が乗っています すごいことです
そのパレードがやってきて、私の家の前を通るとき、私は小旗をブンブン振る
私は皇太后と目が合ったような気がした
皇太后は手を振り、微笑む 私は小旗をもっと激しく振る
皇太后は、私のことを見てくれたんだ そして通り過ぎていった
別に何かが治ったりはしなかった
むしろ何かに取り憑かれた
こんな考えが浮かんだ
ここにはいたくない この家を出たい
造船所はごめんだ あの車に乗りたい
(客席から笑いが起きる
この街を出て成功したい 平凡じゃない人生を送りたい
私にだってその権利はあるはずだ
そして今こうしてTEDでこんな話をしている
それから、これは当たり前の事なんですが、
物語と地域社会は切っても切れない関係にある
地域社会と芸術、科学技術、経済もです
地域社会のニーズを無視した抽象的な経済理論はダメです
地域社会を軽んじる経済理論は、近視眼的だし、支持できない
(同意の拍手が起きて、またギターを持つ
ロックスターであろうと、造船所の溶接工、アマゾン奥地の部族、英国女王であろうと
結局はみんな同じ運命にあるんだ
(弾き語り
召使いたちが取り乱している 女王が一人で駅に行ってしまったので
駅ではポーターが女王と3匹のコーギー犬を客車の奥へと案内する
車内には、ヨーロッパの貴族たちですし詰め
彼らには協調性なんてない 席の取り合いが起こる
「そこは私の席だぞ どきたまえ」...
どんなことを成し遂げたとしても
どんな地位についたとしても
父と子の名において
どこでどんな人生を紡いできたとしても関係ないんだ
最後の船が出るときは
聴いてくれてありがとう
***
華やかで、いつもスタイリッシュなスティングの過去に、こんなストーリーがあるとは知らなかった
今でも、どの先進国にも「格差」「貧困」が存在している
B.スプリングスティーンの歌う世界でも、底辺の生活が生々しく描かれる
それが、親子や、日常とガッチリ結びついて、子どもたちの自由な夢を奪っている
そんな子どもたちが成長し、社会問題をテーマにして歌った
それでも、どうして社会が変わるスピードはこんなにゆっくりなんだろう
***
ナレ:
ウォールセンドは20C前半、造船業で栄えた町
2006年、造船所が閉鎖されるまで、造船の仕事に就くことは町の人たちの誇りであり宿命だった
ミュージカルの中で、自らの宿命に抗い、町を出ていく主人公はスティング自身がモデルとなっている
夢を叶えた後、2003年のアルバムを最後に曲が書けなくなってしまう
そのスランプから救ったのは故郷だった
伊藤穰一:
たぶん僕みたいな40代の人間からすると、スティングは本当に
青春時代のとってもカッコいいスーパースターなんですが
プレゼンテーションで歌っている彼の新しい曲は
彼の地元の地方から出てくる、とても分かりづらい方言で歌うわけです
なので、本当に新しいスティングを見せてくれました
今回のプレゼンテーションの中で、彼は里帰りして、コミュニティを見て
この歌をブロードウェイだとかを通じて世界に表現しなきゃいけないという
スティングのある種、自分のコミュニティに対する責任を果たしているんじゃないかと思います
曲の中で“the last ship sailed”という言葉がありますが、これは「最後の船が出て行く」という意味です
きっとこの言葉の中にも、彼はこの造船所の「最後の世代」だということも含まれているのではないかと思います
今秋、スティングが作曲したミュージカル「ザ・ラスト・シップ」が、NYのブロードウェイで初演を迎えた。
新曲の発表は実に10年ぶり。「創作意欲が枯渇していた」と、深刻なスランプに陥っていたことを告白した彼が、
苦悩の末にたどり着いた“創作の原点”とは?
少年時代を過ごした造船の町、イギリスのニューカッスルへの郷愁たっぷりに、自らの人生を語り、歌う。”
予録のまとめ見シリーズ
前回観たのと似た内容だった
「TED」に歌手が出るのは初めて見るけど、歌うのか語るのか?
と思って観たら、こっちのほうが古かった 2014年 62歳の時
スティング ~65歳のロック魂@SONGS
<2014年9月 ブロードウェイでミュージカル「ザ・ラスト・シップ」が初日を迎えた>
舞台はイギリス北東部にある造船の町
そこに生きる人々の人間模様が描かれる
作詞作曲はスティング
そこには大変な苦労があった
スティングは、アーティスト人生における大きなピンチをどう乗り越えたのか?
伊藤穰一:
今回は番組が始まってから100回目の記念すべきプレゼンテーションです
スティングは、この10年間アルバムを出してなくて、
そのスランプをどう乗り越えて、今度のアルバムを出したかという
とても面白いストーリーを語ります
■STING How I started writing songs again こうして私はまた曲を書き始めた
最初は歌から 前にあるのは水晶みたいに見えるけどマイク?
この時はほとんどスキンヘッドに近かったんだな
ミュージカルの中の歌か?
S:
私はイングランド北東部の出身で、実家のすぐ近くに造船所があった
家の前の通りの突き当たりに、巨大な船のある光景 ほぼ一年を通してね
子どもの頃、毎朝大勢の男が造船所に行くのを見ていました
そして、毎晩彼らが帰るのも見ていた
造船所の近くに住むのも、そこで働くのも決して楽しいことではない
造船所は騒々しくて、危険な場所です 健康被害や、事故がやたら多い
けれどもそこで働く人たちは、その仕事にとても誇りを持っていました
世界最大級の船をそこで作っていたのです
私の祖父も造船工でした
造船が中心の町だったので、私はいつか自分も造船工になるのかと不安だった 絶対に嫌だった
私には夢があった 非現実的な夢でしたけど
8歳の時ギターをもらったんです ボロボロのギター
弦はさび付き、音も外れてたけど 私はすぐに弾けるようになった
そしてギターは生涯の友になった
こいつと一緒に逃げようと思った こんな工業の町とはおさらばだとね
信じれば夢は叶う まあとにかくそれが私の夢だった
そして船と同じで、私もこの町には戻らない
自分で曲を書いて、世界中でたくさんの人の前で歌う 大金持ちになる 有名になる
美しい女性と結婚して、子どもを持ち、家庭を築く
田舎に豪邸を構えて、犬を飼い、ワインをつくる
沢山のグラミー賞やプラチナディスク
どれも叶っちゃったね(観客が笑う
そしてある日、曲が書けなくなった
それまでにもスランプはあったけど、この時はそれが慢性化した
来る日も来る日も何も出てこない そんな状態が数週間、数ヶ月
結局何年もの間、全く曲が書けなかった
私は神々に見捨てられるほどの罪を犯したんだろうか?
作曲の才能はあくまで借り物だったのか?
それとも深い心理的な理由があったのか?
私は自分の内面をさらけ出して曲を作ってきた
個人的な感情を作品として形にし、世に送り出してきていた
で、出し切ってしまったのかも
そもそも自分の作品の中で一番の傑作って、他人をテーマにした曲だったのかも
自分のエゴを抑えて作った曲 自分の話は封印し、主人公は自分以外の人物
その人の立場になって作った、そんな曲
いま自分に書けることって何だろう? 誰のことなら書けるだろう?
皮肉ですよね ここで故郷に帰ることになるなんて
家出してた故郷と向き合うことが、スランプから抜け出すために必要なことだなんて
実際、故郷の人々のことを歌にすることを決めたら、曲がどんどん湧いてきた
すごい勢いで吐くような感覚だった
アイデアが溢れ出る 登場人物が喋りだす
詩が出てくる 曲の全体像が見えてくる
まるで長年溜め込んでいたものが出てくるように
私はまず知り合いの名前を書き出した 彼らが登場人物だ
そして彼らが語るんだ 自分のことを 職業 夢 将来への不安
例えばジャッキー 造船所の親方
(まるで芝居のセリフのように喋り始める
俺の名はジャッキー・ホワイト 俺はこの造船所の親方だ
鈍い奴はぶっ飛ばす 大潮の時に船を出さなきゃいけねぇんだ
死んでもシフトを守れ きっちり仕事をやり遂げてくれ
天国の門で、何で遅れたか聞かれたら「船を造っていた」と言えばいい
俺たちは、女王陛下の軍艦も、海運王の巨大タンカーも造った
積載量世界一の船だって俺達が造った
(次第に歌い始める
造船所が人生の全てなんだ 俺たちは鉄の魂を持つ
何もなかったところに船をパッと出してやる
造船所がなくなったら、俺たちは困っちまう
だって、造船所が人生の全てなんだ
(歌い終わり、拍手が起きる
S:
こうして自分以外の人のことを書いていても、時々自分が滲み出てしまいます
次の曲は♪デッドマンズ・ブーツ
造船所は誰かが死にでもしない限り、新しく人を雇わない
けど父親が15歳の息子のために話をつけてくれる
そんな父の愛情は、息子にとっては苦痛なだけ
息子にはビッグな夢がある 「くだらない」と父は思う
(ギターの弾き語り
この作業ブーツ お前の足にぴったり合うだろう
これはお前にやる 履いてみなさい
いつかそれを履いて出かけてほしい
船台で働く男たちの1人になってほしい...
(親の子どもへの想いと、息子の想いとの食い違いが生々しくて泣ける
S:
大型船の進水式の場合、ロンドンから要人が来て、スピーチをして
シャンパンの瓶を船首にぶつけて割り、船を浸水させます
すごく重要な船の時は、王室の誰かが来たりもします
そう遠くない昔、王室の人々は、不思議な治癒力を持つと思われていました
だから彼らが来ると、みんな子どもの病気を治してもらおうと必死になった
私の子どもの頃も、進水式の日は特別な日でした
子どもはみんな表に出て、小さな国旗を振る 丘の上にはバイクの一団が見える
その真ん中には黒いロールスロイス 皇太后が乗っています すごいことです
そのパレードがやってきて、私の家の前を通るとき、私は小旗をブンブン振る
私は皇太后と目が合ったような気がした
皇太后は手を振り、微笑む 私は小旗をもっと激しく振る
皇太后は、私のことを見てくれたんだ そして通り過ぎていった
別に何かが治ったりはしなかった
むしろ何かに取り憑かれた
こんな考えが浮かんだ
ここにはいたくない この家を出たい
造船所はごめんだ あの車に乗りたい
(客席から笑いが起きる
この街を出て成功したい 平凡じゃない人生を送りたい
私にだってその権利はあるはずだ
そして今こうしてTEDでこんな話をしている
それから、これは当たり前の事なんですが、
物語と地域社会は切っても切れない関係にある
地域社会と芸術、科学技術、経済もです
地域社会のニーズを無視した抽象的な経済理論はダメです
地域社会を軽んじる経済理論は、近視眼的だし、支持できない
(同意の拍手が起きて、またギターを持つ
ロックスターであろうと、造船所の溶接工、アマゾン奥地の部族、英国女王であろうと
結局はみんな同じ運命にあるんだ
(弾き語り
召使いたちが取り乱している 女王が一人で駅に行ってしまったので
駅ではポーターが女王と3匹のコーギー犬を客車の奥へと案内する
車内には、ヨーロッパの貴族たちですし詰め
彼らには協調性なんてない 席の取り合いが起こる
「そこは私の席だぞ どきたまえ」...
どんなことを成し遂げたとしても
どんな地位についたとしても
父と子の名において
どこでどんな人生を紡いできたとしても関係ないんだ
最後の船が出るときは
聴いてくれてありがとう
***
華やかで、いつもスタイリッシュなスティングの過去に、こんなストーリーがあるとは知らなかった
今でも、どの先進国にも「格差」「貧困」が存在している
B.スプリングスティーンの歌う世界でも、底辺の生活が生々しく描かれる
それが、親子や、日常とガッチリ結びついて、子どもたちの自由な夢を奪っている
そんな子どもたちが成長し、社会問題をテーマにして歌った
それでも、どうして社会が変わるスピードはこんなにゆっくりなんだろう
***
ナレ:
ウォールセンドは20C前半、造船業で栄えた町
2006年、造船所が閉鎖されるまで、造船の仕事に就くことは町の人たちの誇りであり宿命だった
ミュージカルの中で、自らの宿命に抗い、町を出ていく主人公はスティング自身がモデルとなっている
夢を叶えた後、2003年のアルバムを最後に曲が書けなくなってしまう
そのスランプから救ったのは故郷だった
伊藤穰一:
たぶん僕みたいな40代の人間からすると、スティングは本当に
青春時代のとってもカッコいいスーパースターなんですが
プレゼンテーションで歌っている彼の新しい曲は
彼の地元の地方から出てくる、とても分かりづらい方言で歌うわけです
なので、本当に新しいスティングを見せてくれました
今回のプレゼンテーションの中で、彼は里帰りして、コミュニティを見て
この歌をブロードウェイだとかを通じて世界に表現しなきゃいけないという
スティングのある種、自分のコミュニティに対する責任を果たしているんじゃないかと思います
曲の中で“the last ship sailed”という言葉がありますが、これは「最後の船が出て行く」という意味です
きっとこの言葉の中にも、彼はこの造船所の「最後の世代」だということも含まれているのではないかと思います