※「作家別」カテゴリー内「藤城清治」に追加します
【内容抜粋メモ】
89歳の時に宮沢賢治の「風の又三郎」に挑戦します
「僕の影絵は賢治童話の中で触発され進化していった 藤城清治」
<2013年8月25日放送 日曜美術館より>
7月 東京にあるアトリエを訪ねました
カワセミ
「風の又三郎」の制作が始まり、デッサンを描き進めていた
藤城:下絵なんかを今日、明日で描いちゃおうって、今描いているところなんですよ
藤城さんは宮沢賢治に強く惹かれ
「銀河鉄道の夜」などを影絵にしてきました
まず取りかかったのは見開きを飾る又三郎の全身像
下絵を切り抜き、裏側に半透明の紙を貼り付ける この繰り返し
紙が重なり合うことで微妙な濃淡が生じます
次にイメージに合う色を選びます
シートに線を引き、そこをカミソリで削っていきます
そして色の違うシートを組み合わせ
陰影を出していきます
こうした手法が紙や洋服の質感となって現れるのです
完成した又三郎
後ろから光が当たると服のシワまでも浮かび上がります
藤城:
風の又三郎の個人の顔だけでもね
勝負できなきゃいけないという気もするんですよね
僕はそこを思いっきりリアルにしたい
完全に子どもたちの性格を突っ込んでみたいと
僕なりに
(また行きたいなこのアトリエ
動物達も元気かなあ
大学時代の藤城さん
新人画家として注目されていた藤城さん
戦前は人形劇にも参加していました
終戦を迎え、瓦礫と化した東京を目にした時
人々に希望の光を与えたい
その思いで廃材などを集め、作り始めたのが影絵でした
藤城:
影絵っていうのは色を塗ったり仕上げるとかね
そういうことをしないで
べべべって切って、ふっとこう2、3分で切ったものを
ヒュって光を当てただけで
あれっていうようなね 単純だけど
だけど、なんかすごく心に焼きつくようなおもしろさと美しさっていうのがあるじゃない
光に映し出された影というのは
自分一人だけの感覚がね
もっとストレートに出るかなっていうことは感じたかな
だから影っていうのは人形と違った
なんか鋭さみたいなものがあるかなと思って
80歳の時、原爆ドームを訪れ、心を揺さぶられた藤城さん
あらゆる角度からスケッチし続けました
何枚もスケッチを重ね見つめた原爆ドーム
美しいものだけを書くのが大事ではないという思いが溢れてきました
(後ろから光を当てた影絵をカメラで写そうとすると
自分も写り込んじゃうから難しいんだよね
8月に入り「風の又三郎」の制作が続いていました
下絵を任せたスタッフと何やら話をしています
藤城:
ただ線を引けばいいという感じで引いているからおかしくなる
(藤城さんの作風を継ぐのは至難の業!!
どうせいい加減にしちゃうんだけど
そういう面白さだけは残したいわけだから
どうやら基本的な線が気に入らなかったよう
あえて大ざっぱな線を書き、カミソリを入れていきます
そして半透明の紙を荒っぽく千切り
教室の天井や壁の部分に貼り付けていきます
出来上がった作品
転校してきたばかりの又三郎と
興味深げに見つめる友達
天井の壁には自然にできたかのような汚れやシミ
机も使い込まれた表情
賢治の世界が伝わってきます
2012年8月 福島県
東日本大震災は藤城さんにとって大きな衝撃でした
藤城さんは原発事故に見舞われた福島県を訪れます
この時、ある川の様子に目を見張ります
そこには産卵のため川を上ってきた鮭のたくましい姿があったのです
(チェルノブイリにも人がいなくなったことで
自然が戻って、動物も自由に遊んでたりするものね
この旅から生まれた作品
ここはかつて人々が生活していた場所
今では見渡す限りススキが茂っています
それでもあらゆる命はこの災害を乗り越えていく
この絵にはそんな願いが込められています
藤城さんのこの絵に賢治の言葉を添えました
「世界がぜんたい幸福にならないうちは 個人の幸福はあり得ない 賢治」
(この言葉、大好き
2013年6月 岩手県
藤城さんは賢治の故郷・岩手県を訪れました
到着したのは「風の又三郎」の舞台とされる種山ケ原
重要な場面のイメージをつかむためです
藤城:
こういう風に霧がかかっちゃって見えなくてどうしようもない
絵としても描けないんじゃないかってみたいなんだけれども
そこになんかすごく良さがあるじゃない
だからそういう「風の又三郎」っていうのは
そういう感じじゃないかなと思ってね
賢治も見つめた草原の風景
優しく照らし出された草原の一場面
少年や馬 そして全ての風景が淡い霧に包まれ
どこか夢のような世界
ガラスのマントに身を包んだ又三郎が空へと舞い上がります
2013年 「風の又三郎」 全18作品が完成
藤城:
又三郎や一郎やなんかが、野原の中を走り回ったみたいに
僕も切ったり貼ったりして走り回ってる中に迷い込んだり
夢だか現実だかわからないような作り方をしながらね
やっていったら、今までの僕の作った影とはちょっと違った絵というか
自分でもこういう絵を今まで作ってなかったなっていうかね
ちょっと自分でも初めてのような絵が出来上がったような気がしてね
<ストーリー>
宮沢賢治は山奥の小学校を舞台に
ここに転校してきた不思議な少年をめぐる物語を作りました
子供達は少年の正体が風の神様の子ども
つまり風の又三郎だと信じ込みます
そして少年は様々な出来事を巻き起こして12日目に姿を消していきます
賢治は農村の子どもたちの姿を
現実と幻想の交錯する中で鮮やかに描写しました
その精神世界を藤城さんは光と影で
新たな美の世界に作り上げました
(全部の絵を公開した/驚
アナ:
今回、番組のディレクターが藤城さんにお電話をしたところ
先月96歳になられたということです
(元気でよかった
藤城さんから番組に送っていただいた作品
藤城さん:新型コロナウイルスには負けないという気持ちで描きました
小人たちもマスクしてる!
これは永久保存版だ
【内容抜粋メモ】
89歳の時に宮沢賢治の「風の又三郎」に挑戦します
「僕の影絵は賢治童話の中で触発され進化していった 藤城清治」
<2013年8月25日放送 日曜美術館より>
7月 東京にあるアトリエを訪ねました
カワセミ
「風の又三郎」の制作が始まり、デッサンを描き進めていた
藤城:下絵なんかを今日、明日で描いちゃおうって、今描いているところなんですよ
藤城さんは宮沢賢治に強く惹かれ
「銀河鉄道の夜」などを影絵にしてきました
まず取りかかったのは見開きを飾る又三郎の全身像
下絵を切り抜き、裏側に半透明の紙を貼り付ける この繰り返し
紙が重なり合うことで微妙な濃淡が生じます
次にイメージに合う色を選びます
シートに線を引き、そこをカミソリで削っていきます
そして色の違うシートを組み合わせ
陰影を出していきます
こうした手法が紙や洋服の質感となって現れるのです
完成した又三郎
後ろから光が当たると服のシワまでも浮かび上がります
藤城:
風の又三郎の個人の顔だけでもね
勝負できなきゃいけないという気もするんですよね
僕はそこを思いっきりリアルにしたい
完全に子どもたちの性格を突っ込んでみたいと
僕なりに
(また行きたいなこのアトリエ
動物達も元気かなあ
大学時代の藤城さん
新人画家として注目されていた藤城さん
戦前は人形劇にも参加していました
終戦を迎え、瓦礫と化した東京を目にした時
人々に希望の光を与えたい
その思いで廃材などを集め、作り始めたのが影絵でした
藤城:
影絵っていうのは色を塗ったり仕上げるとかね
そういうことをしないで
べべべって切って、ふっとこう2、3分で切ったものを
ヒュって光を当てただけで
あれっていうようなね 単純だけど
だけど、なんかすごく心に焼きつくようなおもしろさと美しさっていうのがあるじゃない
光に映し出された影というのは
自分一人だけの感覚がね
もっとストレートに出るかなっていうことは感じたかな
だから影っていうのは人形と違った
なんか鋭さみたいなものがあるかなと思って
80歳の時、原爆ドームを訪れ、心を揺さぶられた藤城さん
あらゆる角度からスケッチし続けました
何枚もスケッチを重ね見つめた原爆ドーム
美しいものだけを書くのが大事ではないという思いが溢れてきました
(後ろから光を当てた影絵をカメラで写そうとすると
自分も写り込んじゃうから難しいんだよね
8月に入り「風の又三郎」の制作が続いていました
下絵を任せたスタッフと何やら話をしています
藤城:
ただ線を引けばいいという感じで引いているからおかしくなる
(藤城さんの作風を継ぐのは至難の業!!
どうせいい加減にしちゃうんだけど
そういう面白さだけは残したいわけだから
どうやら基本的な線が気に入らなかったよう
あえて大ざっぱな線を書き、カミソリを入れていきます
そして半透明の紙を荒っぽく千切り
教室の天井や壁の部分に貼り付けていきます
出来上がった作品
転校してきたばかりの又三郎と
興味深げに見つめる友達
天井の壁には自然にできたかのような汚れやシミ
机も使い込まれた表情
賢治の世界が伝わってきます
2012年8月 福島県
東日本大震災は藤城さんにとって大きな衝撃でした
藤城さんは原発事故に見舞われた福島県を訪れます
この時、ある川の様子に目を見張ります
そこには産卵のため川を上ってきた鮭のたくましい姿があったのです
(チェルノブイリにも人がいなくなったことで
自然が戻って、動物も自由に遊んでたりするものね
この旅から生まれた作品
ここはかつて人々が生活していた場所
今では見渡す限りススキが茂っています
それでもあらゆる命はこの災害を乗り越えていく
この絵にはそんな願いが込められています
藤城さんのこの絵に賢治の言葉を添えました
「世界がぜんたい幸福にならないうちは 個人の幸福はあり得ない 賢治」
(この言葉、大好き
2013年6月 岩手県
藤城さんは賢治の故郷・岩手県を訪れました
到着したのは「風の又三郎」の舞台とされる種山ケ原
重要な場面のイメージをつかむためです
藤城:
こういう風に霧がかかっちゃって見えなくてどうしようもない
絵としても描けないんじゃないかってみたいなんだけれども
そこになんかすごく良さがあるじゃない
だからそういう「風の又三郎」っていうのは
そういう感じじゃないかなと思ってね
賢治も見つめた草原の風景
優しく照らし出された草原の一場面
少年や馬 そして全ての風景が淡い霧に包まれ
どこか夢のような世界
ガラスのマントに身を包んだ又三郎が空へと舞い上がります
2013年 「風の又三郎」 全18作品が完成
藤城:
又三郎や一郎やなんかが、野原の中を走り回ったみたいに
僕も切ったり貼ったりして走り回ってる中に迷い込んだり
夢だか現実だかわからないような作り方をしながらね
やっていったら、今までの僕の作った影とはちょっと違った絵というか
自分でもこういう絵を今まで作ってなかったなっていうかね
ちょっと自分でも初めてのような絵が出来上がったような気がしてね
<ストーリー>
宮沢賢治は山奥の小学校を舞台に
ここに転校してきた不思議な少年をめぐる物語を作りました
子供達は少年の正体が風の神様の子ども
つまり風の又三郎だと信じ込みます
そして少年は様々な出来事を巻き起こして12日目に姿を消していきます
賢治は農村の子どもたちの姿を
現実と幻想の交錯する中で鮮やかに描写しました
その精神世界を藤城さんは光と影で
新たな美の世界に作り上げました
(全部の絵を公開した/驚
アナ:
今回、番組のディレクターが藤城さんにお電話をしたところ
先月96歳になられたということです
(元気でよかった
藤城さんから番組に送っていただいた作品
藤城さん:新型コロナウイルスには負けないという気持ちで描きました
小人たちもマスクしてる!
これは永久保存版だ