バクダプルの観光を終えてから、バスで山道の悪路を北東へ50分登り、標高2100mの丘にあるナガルコットのホテルに向かった。
ここはヒマラヤ山脈の展望台で、ホテルが幾つもあり、夕日を浴びて赤く染まるエヴェレストやアンナプルナが見えるはずだった。①
ホテルのベランダに上って見たが、その日はガスが深く立ち込めていた。
暫くして僅かにガスが切れた時、幾重にも重なる山の彼方に、夕日に染まる標高7246mのランタンの姿を仰いだだけだった。②
私は持って来た双眼鏡でも覗いて見た。ランタンの雪に覆われた山肌に幾つもの筋と穴のようなへこみが見えた。
翌朝はまだ暗い早朝に起きて、気温が3~4度とかなり低いホテルのベランダに上って日の出を待ったが、霧が深く、遂に山は姿を見せなかった。
① ②
3日目は、7;40にバスに乗り、ナガルコットの丘から昨日上った山道を下って、カトマンドゥーの南の古都・パタンに向かった。急なカーブが続くため、気分が悪くなった。途中の狭い交差点で私たちのバスと車が接触したが、互いに何もなかったように別れた。
バスが止まっている時、角の物売りの様子を写した。シートの上にビニール紐、櫛、練り歯磨き、シャンプー、ヘアーピン、マニキュアなどを並べていたが、本当にこれで商売になるのだろうかと訝った。③
昨日通ったバクタブルを通った。橋に差しかかると河原にバラック小屋が立ち並んでいた。④
ガイドが、ミャンマーから来た難民たちだと説明した。ヒマラヤの雪解け水で川が増水すれば危ない場所なのだと言っていた。私はこの川には比較的きれいなヒマラヤの山の水が流れて来るのだろうが、危険な場所なのだと思った。
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道路工事をしていた所を通った。手袋も長靴も着けずに働く人たちが沢山いた。⑤⑥(バスから撮ったので、窓ガラスの光が反射した)
写真の車に「SUZUKI」という文字があるが、フロントガラスの上部にも大きく入っているのである。ネパールでは、どこの車かが直ぐ分るように大きく表示しているみたいだった。
⑤ ⑥
パタンは、チベット語で「美の都」を意味するラリトプルとも呼ばれて来た所で、ダルバール広場を囲むようにマッラ王朝時代の旧王宮や沢山の寺院が立ち並び、ネワール族の仏教徒が多く住む町として発展した。
また、ネワール族は古くから工芸や絵画に優れた才能を持つ人々で、町中には繊細な金細工を施した仏具や仏像を売る店、チベット仏教の仏画「タンカ」を売る店が幾つも目に付いた。
初めに1392年に建てられた五重の塔を持つシバ神を祀るクンベシュワール寺院に行くと、丁度、七五三のお祭りがおこなわれていた。⑦
裕福そうなインド系住民の子供たちが、着飾った晴れ着姿でお参りに来ていたのに出会ったので写真を撮らせてもらった。この子たちは幸せそうに見えた。私の心も一瞬満たされた。⑧
寺の入り口でお供えを売っていた。500ルピー(約650円)でヤシの実、バナナ、色づいたポインセチアの花、水牛のバターがバナナの葉で作った皿に載せられていた。⑨
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