3日目の12月13日は、蘇州の市内観光だった。この日もやはり朝から雨で、気温も低かった。
私達3人は前日に続き、雨合羽を着用し、中に重ね着をして暖かくしていたが、他の人から「どうして合羽なんか持って来たの?」と聞かれた。「ネットで上海の1週間の天気予報を調べて来たら雨続きだったから。」と答えたら、驚いていた。
この日は、先ず唐詩に詠われた「寒山寺」へ行った。
この寺は6世紀初めに創建された臨済宗の寺だが、火災等で現存するものは清代のだそうだ。①②
日本でも知られている張継の詩『楓橋夜泊』は、この寺を詠んだそうだ。詩が刻まれている石碑を見た従妹が、詩吟を詠い出したので驚いた。③
① ② ③
次に江南随一の名園と言われる「留園」を観光した。④⑤
太湖の底から取り上げた穴が沢山開いている白い独特の太湖石で飾られている庭もあった。⑥
④ ⑤
⑥
それから「虎丘斜塔」に行った。小高い丘の上に建つ高さ47mの塔は丁度工事中だったが、宋代の961年に建てられたそうだ。
400年前から地盤沈下の影響で傾き始め、現在は15度も傾いているらしいが、ガイドの説明では、後400年は持つという。雨が降りしきる中で写真を撮った。⑦
その後、「中国蘇州刺繍研究所」を訪れ、両面刺繍の作業と作品、それを張った額縁や衝立の商品を見せられた。
どれも恐ろしく高価(数十万円~百数十万円)なものだったが、私たちの生活様式には合わないようなものだった。
誰一人として関心を示さなかったので、説明、販売をした男性は、「中国人は今、沢山日本に行って、みんな高額なお金を使い、品物を買って帰るが、日本人は中国に来ても、見るだけで何も買わずに行ってしまう。みんな年金生活者なんだろう。」という言葉を吐いた。とても聞き難かった。
蘇州は昔から桑畑が多く、養蚕が盛んな地域だという事で、続いてシルクの寝具や衣料品、服飾品を売る店に行って見学と買い物をした。
店の一部に、まゆから絹糸を取り出す作業が見学できるようにしてあった。⑧
蘇州の繭は、日本のよりも大型で黄色い種類だ。ほどいて絹糸を取るよりは、繭を熱湯で潤かしたらそのまま3~4人で引っ張って広げて行くのだ。だからそこの1番の商品は、そうして取った絹の真綿の布団だったが、私たちは別の場所に行って、手ごろな価格のシルクのスカーフを買った。
⑦ ⑧
帰路、バスはガソリンスタンドに立ちよって給油した。ガイドの説明では、近年、経済成長が続いているので大型トラックが増え、国内のガソリンが足りなくなってきたため、バスには1度の給油で300元(約4000円)分しか入れてくれないのだと言っていた。ガソリンの値段は、1L100円だそうだ。
また、高速道路の料金は、農産物を輸送する車は無料なのだといったいた。
これを聞いて私は、日本も生活必需品の税金や輸送経費をもっと安くして欲しいなと思った。
夕方、蘇州のホテルに着いたが果物が食べたくなったので、ホテルのフロントに、「水果店」と書いた紙を見せて果物屋が近くにあるか聞いた。
教えられた方角に歩いて見たがなかなか見つからない。途中に菓子屋や饅頭屋があった。覗いて見たが、とても食品を扱っている環境とは思えなかった。中国の郡部の商業事情は、まだまだだった。
やっと小さな水果店を見つけ、ミニトマトと金柑を買って部屋で食べた。安くて新鮮で美味しかった。
この経験から、今回、旅行会話・中国語を持って行って良かったと思った。
私達3人は前日に続き、雨合羽を着用し、中に重ね着をして暖かくしていたが、他の人から「どうして合羽なんか持って来たの?」と聞かれた。「ネットで上海の1週間の天気予報を調べて来たら雨続きだったから。」と答えたら、驚いていた。
この日は、先ず唐詩に詠われた「寒山寺」へ行った。
この寺は6世紀初めに創建された臨済宗の寺だが、火災等で現存するものは清代のだそうだ。①②
日本でも知られている張継の詩『楓橋夜泊』は、この寺を詠んだそうだ。詩が刻まれている石碑を見た従妹が、詩吟を詠い出したので驚いた。③
① ② ③
次に江南随一の名園と言われる「留園」を観光した。④⑤
太湖の底から取り上げた穴が沢山開いている白い独特の太湖石で飾られている庭もあった。⑥
④ ⑤
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それから「虎丘斜塔」に行った。小高い丘の上に建つ高さ47mの塔は丁度工事中だったが、宋代の961年に建てられたそうだ。
400年前から地盤沈下の影響で傾き始め、現在は15度も傾いているらしいが、ガイドの説明では、後400年は持つという。雨が降りしきる中で写真を撮った。⑦
その後、「中国蘇州刺繍研究所」を訪れ、両面刺繍の作業と作品、それを張った額縁や衝立の商品を見せられた。
どれも恐ろしく高価(数十万円~百数十万円)なものだったが、私たちの生活様式には合わないようなものだった。
誰一人として関心を示さなかったので、説明、販売をした男性は、「中国人は今、沢山日本に行って、みんな高額なお金を使い、品物を買って帰るが、日本人は中国に来ても、見るだけで何も買わずに行ってしまう。みんな年金生活者なんだろう。」という言葉を吐いた。とても聞き難かった。
蘇州は昔から桑畑が多く、養蚕が盛んな地域だという事で、続いてシルクの寝具や衣料品、服飾品を売る店に行って見学と買い物をした。
店の一部に、まゆから絹糸を取り出す作業が見学できるようにしてあった。⑧
蘇州の繭は、日本のよりも大型で黄色い種類だ。ほどいて絹糸を取るよりは、繭を熱湯で潤かしたらそのまま3~4人で引っ張って広げて行くのだ。だからそこの1番の商品は、そうして取った絹の真綿の布団だったが、私たちは別の場所に行って、手ごろな価格のシルクのスカーフを買った。
⑦ ⑧
帰路、バスはガソリンスタンドに立ちよって給油した。ガイドの説明では、近年、経済成長が続いているので大型トラックが増え、国内のガソリンが足りなくなってきたため、バスには1度の給油で300元(約4000円)分しか入れてくれないのだと言っていた。ガソリンの値段は、1L100円だそうだ。
また、高速道路の料金は、農産物を輸送する車は無料なのだといったいた。
これを聞いて私は、日本も生活必需品の税金や輸送経費をもっと安くして欲しいなと思った。
夕方、蘇州のホテルに着いたが果物が食べたくなったので、ホテルのフロントに、「水果店」と書いた紙を見せて果物屋が近くにあるか聞いた。
教えられた方角に歩いて見たがなかなか見つからない。途中に菓子屋や饅頭屋があった。覗いて見たが、とても食品を扱っている環境とは思えなかった。中国の郡部の商業事情は、まだまだだった。
やっと小さな水果店を見つけ、ミニトマトと金柑を買って部屋で食べた。安くて新鮮で美味しかった。
この経験から、今回、旅行会話・中国語を持って行って良かったと思った。