花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

ドイツの旅(10) ライプツィヒ・ワイマール観光

2011年10月24日 | 海外旅行「西ヨーロッパⅣ」ドイツ・ピレネー山脈縦断

≪ライプツィヒ・ワイマール≫
ポツダムを見学後、270km南西のライプツィヒに向かい、そこで昼食を食べた。
この町は古くから商業、金融の町として発展し、ドイツで3番目に古い大学があり、ゲーテ、ニーチェ、森鴎外も学んだと言う。
印刷、出版が盛んな町としても有名で、世界初の新聞が発行された町である。かってはドイツの出版物の半数以上がライプツィヒで印刷されていたらしい。
また1989年、この町最大のニコライ教会(1165年建立)は、平和の祈りに集まった若者たちが民主化を掲げたデモをした事がドイツ統一のきっかけとなったという歴史的に有名な教会であるが、今回その教会には行かなかった。

午後はさらに270km南西にあるワイマール市に向かった。
私は、高校時代に世界史で習った民主的な『ワイマール憲法』が制定された土地として記憶していたが、この町でゲーテは、1775年26歳でやって来てから亡くなる82歳(1831年)までを過ごし、『ファウスト』などの文学を生み出したのだ。またゲーテと並んで評されるドイツ古典文学者で劇作家のシラーも、ゲーテに招かれてやって来て、ここで『ウイリアムテル』を書き、亡くなったという。
『ファウスト』や『ウイリアムテル』が初演されたという国民劇場は何度か火災で消失したらしいが、今のは1907年に再建されたものだ。国民劇場前の広場には二人が並ぶ大きな像が建っていた。それを見て二人が町の誇りなのだと強く感じた。写真①
ゲーテが亡くなってから180年経ったが、彼が56年間住んでいたという家②とシラーの家③が保存公開されていた。私たちは外から写真を写しただけだった。
高校時代にゲーテの著作は世界文学全集で読んだが、シラーの作品は『ウイリアムテル』の童話を知っているだけなので、今度図書館で探したいと思っている。
この国民劇場④では、1919年に『ワイマール憲法』が採択されている。

   ① ②        
             ③ ④

その日のワイマールでは、丁度、「玉ねぎ祭り」が行われていて、旧市街のゲーテ広場や通りは数えきれない程多くの出店と行き交う人々で大混雑していた。出店には小玉葱で作ったリースや飾りなどが売られていて、地元の人たちが買い求めていた。飲食関係の出店も多かった。
国民劇場前広場には舞台が作られ、電子ギターの音楽が演奏されていて、大音響のスピーカーで響いていた。それを見て私は、こんな祭りもいいなと思った。

  

ワイマール見学を終えてから、その日の宿泊先である隣町エアフルトの「エクセルシオールホテル」に向かった。


コメント (6)
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