≪ポツダム≫
5日目はベルリンのホテルを出て、45km離れた隣町・ポツダムに向かった。車窓には林や公園が次々と現れ、自然の豊かさを感じた。
ポツダムでは、まず小型の「ブランデンブルク門」でバスから降り、プロイセン国王フリードリヒ2世の夏の宮殿だった「サンスーシ宮殿」の広大な庭園を散策した。
この宮殿の名を「無憂(サンスーシ)宮」としたのは、文学や芸術を愛した若き国王が、嫌でも政治や軍事に関係せざるを得なかったために憂いの無い場所を求めて建てたといわれている。
かなり奥まで歩いて行くと、右手の小高い場所に「サンスーシ宮殿」があり、その下には階段状に葡萄が植えられていた。早朝の空気はヒンヤリしていて、ドイツの晩秋を感じた。
その次に向かったのは、第二次世界大戦後の収拾策を話し合う戦勝国の会議が行われた「ツェツィリエンホーフ宮殿」だ。
ここは1917年に建てられたホーエンツォレルン家最後の王子が住んでいた宮殿で、湖を背景にして建てられた英国風カントリー調の城だった。
中に入り、幾つもの部屋を案内された。(内部は撮影禁止だった)
この宮殿で第二次世界大戦末期に米、英、ソ、中4か国の首脳が集まって会議をした部屋や資料が保存されていた。会議に使われた部屋は庭に面した大きな部屋で、中央に大きな円卓が置かれていて、座席に優劣が無いような配慮がされていた。
日本にとっては、ここで決まった「ポツダム宣言」を無条件で受諾して敗戦したという歴史的な場所だけに、今回の旅で実際に行けたことを感銘深く、重く感じた。
ポツダムを案内してくれたガイドは、フンボルト大学で政治学を専攻し、日本語を学んで、日本の京都大学に10か月研修に行ったという中年女性だったが、日本語が上手く、「ツェツィリエンホーフ宮殿」での説明も私たちの感情を配慮し、客観的な事実をきちんと話してくれて大いに好感が持てた。
私たちが出た後に欧米人のツアーが入って行ったが、どこの国か聞かなかったのが残念だった。
その後、緑が多く落ち着いたポツダムの町をバスで回ったが、かってこの町はソヴィエト連合軍の滞在地だったということで、軍人の宿舎跡が沢山残っていて、今は色々な目的に使われているようだった。