花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「オーストリアの旅」(10)

2014年10月10日 | 海外旅行「中央ヨーロッパⅠ」オーストリア、ハンガリー、スロバキア

≪インスブルックという街≫②

チロル州の州都「インスブルック」は、アルプスに囲まれた自然豊かな街なので、旧市街には山から水を引いた公共水道があって、散策する人たちに利用されている。デザインが良い。
胃腸が弱い私も少し飲んで見た。美味しかった。

 

また、美味しそうなパン屋やピザ屋、レストランも目に付いた。看板や入り口のポスターを見る限り、価格は全て前回行った北欧の60%程と安かった。食料品の消費税が、他のものの半分なのも良いと思った。



 



古い建物の外観を生かした美しいホテルなどが多かったが、見ると「出窓」も多く作られていた。ガイドの説明では、限られた間口でも太陽光を沢山取り入れたいという考えからだという。

また、外壁に絵を描いた古い建物も多かった。実に良く保存されていて街に中世の雰囲気をそのまま残す事に成功していた。見ている内に私も、自宅の壁に何か小さな絵を描きたくなった。

 

 

最後の見学場所は大聖堂「聖ヤコブ寺院」だった。フラッシュ撮影が禁じられていたので、写真の写りは良くない。
この寺院は、ゴシック様式だった建物を1724年に改築して、豪華な「バロック装飾」を施したものだった。私はこうした絢爛豪華な教会や寺院を見ると、『現世は貧困に喘ぎ人間らしい生活が困難でも、素晴らしい死後の世界が待っているのだから、素直に今の自分や家族の境遇を受け止めて生きなさい。』と言っている様に感じるのだ。
二階に置かれている「パイプオルガン」はとても美しくデザインされている素晴らしい物だったが、音色が聴けなかったのが残念だった。



           



           

 

             
           


「オーストリアの旅」(9) 

2014年10月10日 | 日記

≪インスブルックという街≫①

標高2000mを越える山々で囲まれているこの街の名は、1964年と1976年と2度、冬季オリンピックが開催された場所として世界中に知られている筈だ。面積は新潟県ほどしかないが、12世紀に「イン川」河畔にできた集落が発展してできた街で、特に13世紀に始まった「ハプスブルグ王朝」の15世紀の「マクシミリアン一世」の統治下で発展した。(1493年、マクシミリアン一世は神聖ローマ皇帝に即位している)
ドイツ、スイス、イタリアの国境に近く、古くから交通の要所としても発展して来た。

 

先ず、街を南北に貫く「マリアテレジア通り」をバスで北に向った。途中に「マリアテレジア」時代に造られた小さな「凱旋門」があったが、工事中で覆われていた。
間も無く旧市街に入ってバスから降り、「ヘルッオーク・フリードリヒ通り」に到着すると、目の前に大理石でできた高さ13mの「聖アンナ記念柱」が建っていた。1704~1706年にバイエルン軍を撃墜した日が「聖アンナ」の日だったので、その記念に建てられたという。

 

写真を写してから、今度は市庁舎横に火のみやぐらとして建てられたという地上33mの「市の塔」を見た。16世紀の物としては立派な物だった。
次いで小路を抜けた所に「宮廷教会」(写真左端の建物)と山を背景にした「王宮」があった。
「宮廷教会」はフェルナンド一世の命で16世紀に建てられたもので、国内最大規模の王室の霊廟らしかった。
 

また、1460年に建設された「王宮」は18世紀の「マリア・テレジア」の時代に豪華な「ロココ調」に改築されたという。
絢爛豪華な「王宮」の内部も見学したが、撮影は禁じられていた。



「王宮」を出ると直ぐ裏に有名な「黄金の小屋根」、今は「マクシミリアン博物館」となって公開されている建物の前に出た。
元は1420年にフリードリヒ4世がチロルの住居として建てたものだったが、1500年にマクシミリアン一世が目の前の広場で行われる舞踏会などを見学するために「桟敷席」を設けたのだという。
小屋根の2657枚の銅板には全て金箔が貼られて光り輝き、500年経ってなお、当時の王室の権威と財力を誇示いていた。(2、3枚目の写真の奥に「黄金の小屋根」が見える)

 

  

現在は市民が結婚届をする場所になっていて、その後、結婚式を行う会場としても使われているという。
結婚届けにも結婚式にもほとんどお金がかからないので、外国から来るカップルも多いそうだ。現地ガイドに「日本人もどうぞ。」と言われたが、参加者はほとんどが熟年者なので、孫世代なら新婚旅行を兼ねてそれも良いかもと思った。

現地ガイドの説明を聞いていたら、丁度結婚届を出し終えたカップルと親族らしき人達数人が出て来た。カップルが注がれたワインを飲み、待っていた特別仕立ての車で去って行った。