花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「オーストリアの旅」(18)

2014年10月21日 | 海外旅行「中央ヨーロッパⅠ」オーストリア、ハンガリー、スロバキア

≪首都「ウイーン」にて≫②

いよいよ旅も終りの日が近づいて来て、10日目は午前中が「ウイーン市内の観光」、そして午後は自由行動だった。

朝9時にホテルを出て、最初に「シェーンブルン宮殿」に向かった。
私自身は2回目だったので、グループの人たちに写真を撮って上げたりした。

この宮殿は17世紀の初めに狩猟用の森だった所から美味しい水が発見された。その後1696年に「レオポルド一世」の命で起工。フランスの「ベルサイユ宮殿」に負けない美しい宮殿を建てることになったが、財政難で計画は縮小された。
1743年、女帝「マリア・テレジア」が大改築を命じ、今日の様な壮大な規模の宮殿になったという。

1805年、「ナポレオン」がウイーンを占領した時は、この宮殿が宿舎として使われた。
また、1918年、「カール一世」が皇帝の退位文書の署名をし、ハプスブルグ家最後の皇帝となった。翌日、宮殿は「オーストリア共和国」の所有となった。
宮殿の部屋数は1441室あり、一般には2階部分が公開されている。写真撮影は禁止だった。

私は、今回初めてグループとして「ベルグルの間」を観光した。夏涼しい一階部分に「マリア・テレジア」の希望によってしつらえられた彼女専用の部屋が幾つも並んでいた。居間、食堂、寝室など、どれも自然や南方の動植物を愛したという彼女の好みで豪華に飾られていた。隠し扉もあって、興味が持て、満足した。



        

外に出てから小高い丘に建つ軍事的な記念碑の「グロリエッテ」を眺めた。歩くと片道20分はかかるそうだ。
この時期はまだ草花が沢山咲いていて彩りに溢れていたが、10月半ばになると冬景色になってしまうのだろうなと思いながら眺めた。



次にバスで「シュテファン寺院」に向い、傍で降りた。
「国立オペラ座」から「シュテファン寺院」までの500m程は「ケルントナー通り」と言われ、歩行者天国だった。
「シュテファン寺院」の尖塔は137mあるとか。近くからは写真に入らなかった。
ここにはハプスブルグ家の歴代君主の墓がある。また、モーツアルトが結婚式をし、葬儀を挙げた教会でもある。外観はゴシック様式だが、内部の祭壇はバロック様式で建てられている。
地下室の「カタコンベ」には、猛威を振るったペストの死者2000人の遺骨が納められている。
寺院内は豪華ではあるが歴史を感じさせる落ち着きもあった。