花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「カナダ」の旅(2)

2015年06月05日 | 海外旅行「北アメリカⅢ」カナダ

今朝5時15分の外気温は10℃。昨日よりも2.5℃も低く凄く寒い。皆さんの地域は如何だろうか。
帰国後、多忙さと疲れでパソコンに向かえなかったが、やっと少し落ち着いたので「カナディアンロッキーの旅」の報告に取り掛かりたい。

≪旅の初日≫(1)

今回は畑仕事や庭仕事で済ませなければならない事があったので、旅支度も直前で何とかやり終え、多少疲れが溜まった状態で家を出た。
冬場の旅ではないので、新千歳空港10;40発「羽田空港」行きの「スカイマーク」を予約してあったが、心配することはなく順調に出発できた。
羽田空港からは地下に降りて「京急成田スカイアクセス」の成田空港直行便に乗車し、少し早めに集合場所に着くことができた。

「京急成田スカイアクセス」の電車内で台湾から来たという7人組みが隣席に座った。
30歳そこそこの夫婦とその1歳と3歳の子ども2人、そして夫婦それぞれの母親だった。
聞くと5日間の買い物旅行で東京に来て、これから成田空港に行き、帰る所だと言う。
私はこどもが小学5年生になった時に初めて連れてツアーに加わり、外国旅行をした事はあるが、こんなに小さい子どもを連れての旅行と聞いて驚いた。大人でさえ外国旅行は行程上も体力的にも大変なのに、大丈夫なのかと思った。
こんなに多くの外国人が、円安が続いている日本へ買い物旅行などに来ていることを、実際に確認できた出会いだった。

成田空港では添乗員に会い、Eチケットを受け取ってから「エアーカナダ」の塔乗手続きをした。
スーツケースは「バンクーバー」経由で「ビクトリア」空港まで頼んだ。

その後空港の銀行で「円」を「カナダドル」に交換した。交換手数料を入れて1カナダドル=107円だった。
17;30離陸予定の飛行機は、50分程遅れて出発した。機内はほぼ満席状態だった。
日付変更線をまたいで8時間飛び、予定通り現地時間10;15に「バンクーバー」に到着した。日本との時差は-16時間だ。

カナダへの入国審査を受けた後、今度は国内線エリアに回り、安全検査を受けてから「ビクトリア」行きのゲートに向かった。
12;30発の小型飛行機は、古いプロペラ機だったので驚いた。



30分弱で「ビクトリア」空港に着いた。日本との時差は-15時間になったので機内で時計を合わせ直して置いた。
「ビクトリア」に着き、スーツケースを受け取り、大型バスでホテルに向かった。

まだ夕刻にならず明るいし、ホテルが「ビクトリア港」のすぐ近くだったので、荷物を部屋に置いてから添乗員の案内で港方面を散策した。気温は初夏で、散策に心地良かった。(このホテルは、18階のレストランからの眺めが最高だった)

「ビクトリア」は「ブリティッシュ・コロンビア州」の州都として発展した街だ。その起源は、1843年に毛皮貿易をする「ハドソン・ベイ社」がここに砦を築いたことによるという。1949年にはイギリスの植民地となり、街に当時の女王の名をつけた。この都市がカナダ連邦に加盟したのは、1862年のことである。
また、イギリスのガーデニングの影響を受けた町でもある。
ホテル前から緩い坂道を海岸目指して下って行くと、程なく「イルカのトピアリー」が私達を出迎えてくれた。

 

その背後には大きな「フェアモント・エンブレスホテル」が聳えていた。
ベイを見下ろす様に建つこのホテルは1908年に創業し、100年の歴史を誇るホテルである。
ベイには帆船が沢山停泊し、大勢の人で賑わっていた。
             


              

この港がイギリス海軍の補給基地だったからだと思うが、湾の少し高い北側は小さな公園が造られていて、表情豊かな「帰港した船員と出迎えた子どもの像」や「船員の像」が置かれていて、後者の像は椅子の隣に座って一緒に写真を撮れる様になっていた。
また直ぐ南側には「ブリティッシュ・コロンビア州議事堂」を臨むことができた。



                     
 



コメント (6)
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