≪「サラピキ」の私営自然保護区「ビエーラ」観光≫(1)
「サラピキ」は標高300m程の低地にあるので、結構蒸し暑かった。そこに夫婦が私設で営む自然保護区があった。
広い敷地に熱帯雲霧林さながらの自然環境を造ってあり、色々な鳥や小動物、蝶、珍しい蛙などが生息していた。
レストランと工房を兼ねた木造のロッジの横に、鳥の好きな「マンゴウ」や「スイカ」を取り付けた木があった。それを入れ替わり立ち代り小鳥が食べに来るのだ。丁度「ムナフチュウハシ」が沢山来ていた。珍しい光景だった。
(ムナフチュウハシ?)
(コスタリカの国鳥「パフムジツグミ」?) (メガネクロウタドリ)
それから、カカオの豆から「チョコレート」を作る行程を見せてくれた。
カカオの実から豆を取り出し、皮を除いて砕き、火で炒る。
それから磨り潰し機に何度も何度も少しずつカカオバターをかけると、しっとりとしたチョコレートの生地ができあがる。それを冷やし固めて熟成させると、チョコレートができるのだ。
ここでは本格的な摩砕機は無く、手回しのすり潰し機だった。試食したが美味しかった。
カカオは、北緯20度~南緯20度の地域で育つ木だそうだ。
花が咲いてからその一部が6ヵ月後に20cm程に完熟する。その実の中にパルプに包まれたカカオ豆が30~40粒入っていて、チョコレートやココアの原料となる。
歴史的には、「スペイン」が最初のカカオ豆プランテーションを「トリニダード」で始めた後、南米、インドネシア、カリブ海諸国、ブラジル、西アフリカに広めたという。
日本のチョコレートの歴史では、1871年に岩倉具視一行がフランスでチョコレート製造所を視察している。アメリカに洋菓子研究に行っていた森永製菓の創始者が、1899年東京赤坂に洋菓子製造所を造り、1918年にチョコレートの生産を始めたという。
なお、「バレンタインディー」を1936年頃日本に紹介したのは、ロシアから神戸に亡命していた「モロゾフ」だった。
今回そんなチョコレートの歴史も知る事ができた。
その後、林の中の小道を案内してくれ、幾つもの珍しい小動物類を観察させてくれた。
≪「フォルトゥーナ」のホテル「カンポベルデ」の自然≫
「カバコン温泉」の後、その日は近くのリゾートホテル「カンポベルデ」に泊まった。
広い敷地に、一棟ずつ建物が分かれて建っていた。到着時刻が遅かったので、周囲の様子は分からないまま、広々とした部屋で寝た。
翌朝(4日目)、6時半ごろまだ薄暗い中外に出て、近くの「レストラン棟」(写真)に向かった。
枝に大きな黒い鳥がとまっていた。調べたら「カンムリシャクケイ」らしい。
庭には様々な熱帯の木が植えてあり、花も咲いていて実に美しかった。私の庭造りの参考にできそうなものもあった。
(カンムリシャクケイ?)
8時にバスで約65km離れた「サラビキ」の町に移動したが、その途中で「イグアナ」がいるという街中の橋の傍でバスを降りて10分程観察した。他にも沢山の人が見ていた。
傍の住人が、付近に草食性の「イグアナ」の好物の「アボガド」と聞いた気がするが…を置いておいたら、いつの間にか住み着いて繁殖し出したのだという。
面白い話だが、私なら尾の先までなら1m近くもある大きな「イグアナ」が、付近に沢山いるのは嫌な気がした。