花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

ドイツの旅(3) ノイシュヴァンシュタイン城

2011年10月16日 | 海外旅行「西ヨーロッパⅣ」ドイツ・ピレネー山脈縦断

≪ノイシュバンシュタイン城≫
2日目、ドイツは晴れ。気温は6度。空気が冷たい。朝食を食べてから、ゆっくり8;40、隣町の「ノイシュバンシュタイン城」の見学に出発した。
急峻な丘の上に建つ城まで歩くか、乗合馬車で行く方法もあるが、私たちは観光客で混むバス乗り場に行って15分程待ち、バスで登った。
バスの終点から以前私が行った時には、城より高い山側にある「マリエン橋」迄行って、そこで絵葉書にあるような湖をバックにした城の全景を望むことができたが、この日は映画の撮影をしていて橋への入場は禁止されていた。がっかりした。
私は橋からの素晴らしい光景を見たことがあるだけ幸いだったが、今回初めての人は城の全体像を見る事ができず、気の毒だった。
(写真のマリエン橋は、城の庭から遠くに見えたのを撮った)

  

仕方がないので、全員、城まで行く坂を下った。途中から美しいシュバンガウの町と湖が見渡せた。右下に小さく昨夜見たホーエンシュバンガウ城が見えた。(マリエン橋からは、この景色を背景にして白亜の城が見えるのである)

 

この城は、バイエルン王・ルードヴィヒ2世が1869年~1886年に建築に着手したものだが、築城に際限なく国費を浪費したため逮捕された。そしてその翌日、シュタンベル湖畔で王は主治医と共に死亡した姿で発見されたのだ。だから、城は1/3しか完成していないといわれる。
場内の撮影は禁止されている。

入り口から入り、4階まで一気に登って900kgのシャンデリアがある「王座の間」、数年かけて作られた樫の木彫りで埋め尽くされた素晴らしい王の「寝室」、ワーグナーのオペラに惚れ込んでいた王がオペラの公演のために作らせた舞台がある広い部屋、モダンな地下の食堂などを見学した。
当時、王は国の財政を危うくさせて国民から反感を買ったが、今、この城のお蔭で世界中から観光客がドイツに来るのである。だから今では、王を悪く言うドイツ人はいないだろうと思った。

庭に出て城の外観を撮ってから、帰りは自由だったので、15分程かけて徒歩で坂を下った。途中、観光客を乗せた馬車とすれ違った。馬の落し物が沢山落ちて湯気を上げていた。

 

  

 


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ドイツの旅(2) フュッセン観光

2011年10月15日 | 海外旅行「西ヨーロッパⅣ」ドイツ・ピレネー山脈縦断

こんにちは。ドイツより12日、22時過ぎに帰宅した。
今回は何事もなく無事だったが、帰国時、フランクフルト~成田間の飛行時間が11時間15分だったのに加え、成田~札幌間の航空機の数が少ないから成田で乗り変えに3時間も待機したので、すっかり疲れてしまった。(また、エコノミー席で不自然な姿勢で長時間寝ていたので、まだ背中が痛い。今朝、湿布を張った)

13日は時差ボケで昼近くに目が覚めたが、直ぐに庭に出てダリヤや薔薇の花殻を摘んだり、留守中生えた草取りをしたりしていたら夜になった。
そうそう、出発の前の日、車検に出した車もこの日に整備されて戻って来た。総費用は15万円弱だった。ブレーキ関係の部品も新しくしたから、2年乗ってもさらにまだ乗れそうなら乗り続けたいと思う。(腐っているマフラーの交換はまだだが)

今回の旅は、旅行社の女性添乗員が見学中のガイドもほとんど行い、現地の日本語ガイドが付いたのはベルリンとポツダムだけだった。
多分旅行社は経費削減で現地ガイドの費用を削ったのだろうが、ガイドブック以上の収穫は少なく、また、その国で暮らすガイドから現地の経済や生活事情を聞くことができなくなった分、旅の魅力は半減したと強く感じた。
昨夜430枚写した写真をやっとパソコンに取り込んだから、今日から少しずつ今回の旅をまとめて行く事にする。




≪フュッセン≫
成田から10月3日11;50に離陸した飛行機は、12時間10分後の午後17時、オーストリア、スイスの国境に近いバイエルン州の首都・ミュンヘンのフランツ・ヨーゼフ・シュトラウス国際空港に降り立った。(10月末まではドイツは夏時間で、日本より7時間遅れの時差である)
空港から初めて見るゆったりした大型バスに乗り、115km南のフュッセンを目指した。次第に夕闇が濃くなり、夕焼けにアルプスの山並みが浮かんで来た頃、やっとフュッセンに着いた。
途中見た農村の耕地は広大で、実に綺麗に整備されていたし、農家の家と納屋はどこも大きく、ドイツの農業の豊かさを物語っていた。

私にとってノイシュバンシュタイン城(白鳥城)に行くのは2度目だが、城に近いフュッセンに泊まるのは初めてだったので、室内に荷物を置いてから5ユーロ払って、21;30からホテルのマイクロバスで隣町シュバンガウに行き、ライトアップされた城の見学会に参加した。
朝家を出た時の気温は2℃だったが、その時間の気温は8℃あった。
ノイシュバンシュタイン城を建てたルートヴィヒ2世が幼少期を寂しく過ごした父のホーエンシュバンガウ城が闇の中に綺麗に浮かんで見えたが、ノイシュバンシュタイン城のライトは余りにも暗過ぎて、良い写真にならなかった。

                  

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ドイツの旅(1)

2011年10月02日 | 海外旅行「西ヨーロッパⅣ」ドイツ・ピレネー山脈縦断

今年は東日本大震災の影響で旅行に出かけようと思う人が少なく、業者が設定したツアーの多くが催行できなくなり、私が申し込んだオーストリア周遊のツアーも駄目になった。それで今夏はどこにも行けずに菜園と花畑をうろついていたお蔭で、植物の生育経過をじっくり観察できた。
大震災から半年が経ち、最近ようやくツアーの参加者も増えて来たらしい。
まだ避難場所で生活している方達や以前の生活を取り戻していない東北地方の大勢の被災者には申し訳ないが、明日10月3日から10日間の日程で、いつも同行する友人とドイツに出かける事にした。

ドイツを訪れるのは今回で4回目、最後に2005年9月に娘とロマンチック街道を巡るツアーに参加して以来6年ぶりになるが、今回は写真の様にドイツ南部のミュンヘンからスタートし、主要都市だけでなく中都市も観光後、中部のフランクフルトから帰国するという効率が良いコースの旅を選んだ。
ミュンヘンなど今まで何度も行った場所もあるが、ライン河クルーズやノイシュバンシュタイン城などにまた行けるのは楽しみだ。
今回初めて北東部のベルリン、ポツダム、ワイマール、マイセンなどの歴史的な主要都市を訪れれば、今回でドイツの旅に終止符を打てそうに思う。
毎日観光する町が変わるので、どこがどうだったか記憶が定かでなくなるかも知れない。せいぜい写真を撮り、帰国後はそれを見て思い出したいと思っている。

   

今朝5時の私の町の気温は4℃、最高気温の予想は11℃だが、10月のドイツの気候は北海道より少し緯度が高くてもここより少し暖かいようだ。しかし寒い日もあるかも知れないので、そんな時はコートの下にカーデガンなどを重ね着したり、暖かい下着を着て乗り切りたいと準備している。
旅行中に霜が降りるかも知れないので、昨日までに庭の寒さに弱い花を鉢上げして屋内に入れた。今日はトマトや隠元豆などを片づけて出かけたいと思っている。

また今回、思い切って新しいスーツケースを買った。(実は娘が、誕生日のプレゼントだと言って支払ってくれたのだが)
今まで使って来た高さ66cmのは頑丈でまだまだ使えるのだが、最近、その重さが気になり始めたのだ。スーツケースだけで6kgあるので、いつも荷物を入れると18kg程度になっていた。
新たに求めたのは、同じサイズだが4.2kgしかない軽量タイプなので、荷物を入れても今までのよりは少しは楽かなと思う。また、今回はいつもよりも荷物を減らす工夫もする積りだ。

今しがた警察署に電話をして、留守中のパトロールをお願いした。明日3日は新千歳空港から朝7;50発のANAで成田空港に行き、そこでツアーグループと落ち合って12;10成田を発つ予定だ。
しばらく留守にするが、元気で帰国した後は旅日記を予定しているので、また立ち寄ってみて下さい。



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