花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「オーストリアの旅」(11)

2014年10月16日 | 海外旅行「中央ヨーロッパⅠ」オーストリア、ハンガリー、スロバキア

≪「グラーツ」という街≫
旅の2日目の午前中、「セメリング鉄道」に乗車してからバスで「グラーツ」に向かった。
「グラーツ」は「スロベニア」と国境を接し、オーストリアの南東に位置する人口22万人の街だ。
14世紀には「ハプスブルグ家」の都だったため、大学の設立や音楽、建築などで文化が花開いた。
至る所に17~18世紀に建てられた建築が残る旧市街は、ユネスコの世界遺産に登録されている。



 

 

先ず私達は世界最大の「武器博物館」に入場した。
内部は木造の床や階段でできた5階建ての建物に、槍、刀、兜、甲冑、銃剣などが所狭しとぎっしりと並べられていた。この街は、15世紀にイスラム教トルコ軍に対する東の砦の役割を担っていたので、その時に実際に使用された武器だという。
鉄製でさび易いため、内部は湿度管理がされ、見学者には手で触れないように注意された。

 

 



次にケーブルカーに乗って小高い「城山」に上がると、「グラーツ」のシンボルである13世紀の「時計塔」「砲台」があった。
「時計塔」は文字盤の直径が5mもある大きなもので、現在とは長針と短針の指し方が逆だった。
「時計塔」の裏に行くと、「ムーア川」が流れる「グラーツ」旧市街を一望できた。

 





下りは階段を下りたが、その途中、残されている「城壁」が確認できた。



その日のホテルは「グラーツ」だった。



彩を失わない秋の庭(3)

2014年10月15日 | ガーデニング・家庭菜園
今朝7時の外気温は4℃だった。昨日は最高気温も7℃にしかならず室内も寒かったので、石油ストーブを点火した。いよいよ畑も庭も後片付けをして、冬に備える時期が来たのだ。

一週間前の庭で写した写真である。花一輪の他、群生する様子も載せた。

 

 

  

 

  

 

 

道東ドライブ(3)

2014年10月14日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
2日目はホテルでゆっくりと寝た。ホテルの11階の部屋から「釧路港」方向が見えたので、夜3時頃と朝になってから写真を撮った。





釧路は海岸に近い所に民家やアパートが沢山あることが分かった。これではチリ沖地震などの津波が来ても、被害は出るなと思った。

17階のレストランに朝食を摂りに行った時にも「釧路港」近辺を写し、10時にチェックアウトした。




釧路を後にしてから、暫く太平洋岸に沿って「白糠」まで走った。
海の傍に行って海水に手を触れた。まだ冷たくなかった。



「浦幌町」吉野で十勝川の堤防内に立つ「はるにれの樹」を見に行った。記念館もあって、中に入ると「はるにれの歌?」が流れていた。ここでは広々とした十勝平野を感じる事ができた。



          
 
「帯広」に着いてからは、友人と待ち合わせた「六花亭」売店に行き、2階の喫茶室でピザを食べながら歓談した。ピザは良質のチーズがたっぷりと使われていて美味しかった。
その夜は、帯広のビジネスホテルに泊まった。

3日目の朝は、先ず81歳の友人宅を訪れた。彼女は思っていたよりずっと元気で、今年も「サハリン」や「ミャンマー」「台湾」など、近い外国に旅行しているのだという。

次いで「帯広美術館」に行き、地元の画家の特別展とロートレックやミュシャーなどが描いたポスター展を見て来た。面白かった。また美術館前の紅葉や周辺の晩秋の光景が素晴らしい彩りだった。



 

中華料理店で昼を食べ、菓子店に寄った後は、ひたすら「日勝峠」のピンキングカーブを通って帰宅した。「日勝峠」を降りた所の低い場所の紅葉が素晴らしかった。





私も疲れたが、一人で800km余りを運転した娘はさぞかし疲れただろうと思い、途中の「道の駅」で果物2種類とほうれん草を買って渡した。

道東ドライブ(2)

2014年10月14日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
「厚岸町水鳥観察館」で広大な湿原と大白鳥を見た後、釧路方面に引き返す途中で右手に入り、「厚岸町太田屯田開拓記念館」に立ち寄った。
ここは厳寒と濃霧の厳しい自然条件のこの地に本州各地から入植した440戸の鍬やのこを持ったことがない士族屯田兵が、軍務の他に人力とせいぜい馬力を借りて5000坪の原野を切り開き、現在の厚岸町の畑作と酪農業の基礎を築いた土地である。
当時の「屯田兵屋」が1軒残されていた。記念館は別の場所に作られていたが、当時の資料を集めて展示し、先人達の苦労を後世に伝えていた。
資料によると、屯田兵家族には到着後5日間の食事しか与えられなかったため、1~2ヶ月の間に死亡する人が何人もでたそうだ。

 

 

 

 

また、当時の「標茶集治館」(監獄)の囚人達が、道路建設や石切り場で石を切り出すという特に厳しい作業をさせられていたことも展示されていた。
多かれ少なかれ明治から昭和期に掛けての北海道は、「樺戸集治館」にせよ「網走監獄」にせよ、政府は北海道の開発に囚人を強制労働させる目的を持っていたと思われる。
北海道の主要道路やトンネルの建設には、狩り出されて自らの命を捧げた囚人達の存在を忘れてはならないと思う。



晩秋のつるべ落としの日没が迫った頃、小さいながら貴重な開拓の歴史展示を学んだ後、ホテルを取ってあった「釧路市」に戻った。
夕食はホテルと契約している店で「海鮮チラシ定食」を食べた。美味しかった。




道東ドライブ(1)

2014年10月14日 | 「北海道内旅行」登別・定山渓・洞爺・函館・道東・三笠・旭川・道北・奥尻島他
この3連休を利用して、久し振りに娘が運転する車で道東旅行をして来た。3日間天候に恵まれたのと、スタンプを集めながらの走行距離800km強のドライブは楽しかった。

初日は朝6時40分に家を出て「夕張」から高速道に乗って「日勝峠」を越え、十勝の「池田町」まで一気に走った。峠の紅葉は、少し遅かったのか、最盛期を越している様だった。

 

そこから一般道に出て、「浦幌町」を通り、「釧路市」を抜けて「厚岸」に着いた。途中、一輌だけの電車が走っていた。

 

「厚岸湾」のにかかる赤い「厚岸大橋」を渡り、丁度「牡蠣祭り」をしている会場の「子の日公園」に着いたら12時半になっていた。

  

「牡蠣祭り」に来たのはかれこれ数回目になるが、今回も結構人出が多かった。厚岸の牡蠣は、他の生産地の牡蠣に比べて身が大きく柔らかく美味しいので人気がある。
ガステーブルなどのバーべキュウセットを借りることもできるが、私達は2人なので焼いた牡蠣貝を買って食べることにした。
焼き立てにレモンを絞ったのを掛けて食べたが、期待通り今回も美味しかった。

 

 

「子の日公園」を出て、昭和48年に国が史跡に指定した「国泰寺跡」に向かった。ここは江戸幕府が「和人の定着・慰撫、蝦夷地の教化」などを行うために1804年に建てたものだ。
当時の建物はほとんど改築されているが、「老桜樹」や苔むした前庭に当時を偲ぶ事ができた。





  

 

次は「厚岸大橋」を渡って戻り、「味覚ターミナル・コンキリエ」の展望台に行って少し高い場所から遠くまで広がる「厚岸の街」を眺めた。



そこから国道を「根室」方面に向かって少し走ると、「別寒辺牛湿原」を見渡す事ができる「厚岸町水鳥観察館」が見えた。建物の形が水鳥が羽を広げている様なデザインに思われた。



建物の中に入って階段を上り、展望室の望遠鏡で湿原を見たら、大白鳥が4羽、羽を休めているのが見えた。2羽の色が灰色だったので係りの人に聞くと「多分湿原の水で汚れたのだろう。」と応えてくれた。

 

「オーストリアの旅」(10)

2014年10月10日 | 海外旅行「中央ヨーロッパⅠ」オーストリア、ハンガリー、スロバキア

≪インスブルックという街≫②

チロル州の州都「インスブルック」は、アルプスに囲まれた自然豊かな街なので、旧市街には山から水を引いた公共水道があって、散策する人たちに利用されている。デザインが良い。
胃腸が弱い私も少し飲んで見た。美味しかった。

 

また、美味しそうなパン屋やピザ屋、レストランも目に付いた。看板や入り口のポスターを見る限り、価格は全て前回行った北欧の60%程と安かった。食料品の消費税が、他のものの半分なのも良いと思った。



 



古い建物の外観を生かした美しいホテルなどが多かったが、見ると「出窓」も多く作られていた。ガイドの説明では、限られた間口でも太陽光を沢山取り入れたいという考えからだという。

また、外壁に絵を描いた古い建物も多かった。実に良く保存されていて街に中世の雰囲気をそのまま残す事に成功していた。見ている内に私も、自宅の壁に何か小さな絵を描きたくなった。

 

 

最後の見学場所は大聖堂「聖ヤコブ寺院」だった。フラッシュ撮影が禁じられていたので、写真の写りは良くない。
この寺院は、ゴシック様式だった建物を1724年に改築して、豪華な「バロック装飾」を施したものだった。私はこうした絢爛豪華な教会や寺院を見ると、『現世は貧困に喘ぎ人間らしい生活が困難でも、素晴らしい死後の世界が待っているのだから、素直に今の自分や家族の境遇を受け止めて生きなさい。』と言っている様に感じるのだ。
二階に置かれている「パイプオルガン」はとても美しくデザインされている素晴らしい物だったが、音色が聴けなかったのが残念だった。



           



           

 

             
           


「オーストリアの旅」(9) 

2014年10月10日 | 日記

≪インスブルックという街≫①

標高2000mを越える山々で囲まれているこの街の名は、1964年と1976年と2度、冬季オリンピックが開催された場所として世界中に知られている筈だ。面積は新潟県ほどしかないが、12世紀に「イン川」河畔にできた集落が発展してできた街で、特に13世紀に始まった「ハプスブルグ王朝」の15世紀の「マクシミリアン一世」の統治下で発展した。(1493年、マクシミリアン一世は神聖ローマ皇帝に即位している)
ドイツ、スイス、イタリアの国境に近く、古くから交通の要所としても発展して来た。

 

先ず、街を南北に貫く「マリアテレジア通り」をバスで北に向った。途中に「マリアテレジア」時代に造られた小さな「凱旋門」があったが、工事中で覆われていた。
間も無く旧市街に入ってバスから降り、「ヘルッオーク・フリードリヒ通り」に到着すると、目の前に大理石でできた高さ13mの「聖アンナ記念柱」が建っていた。1704~1706年にバイエルン軍を撃墜した日が「聖アンナ」の日だったので、その記念に建てられたという。

 

写真を写してから、今度は市庁舎横に火のみやぐらとして建てられたという地上33mの「市の塔」を見た。16世紀の物としては立派な物だった。
次いで小路を抜けた所に「宮廷教会」(写真左端の建物)と山を背景にした「王宮」があった。
「宮廷教会」はフェルナンド一世の命で16世紀に建てられたもので、国内最大規模の王室の霊廟らしかった。
 

また、1460年に建設された「王宮」は18世紀の「マリア・テレジア」の時代に豪華な「ロココ調」に改築されたという。
絢爛豪華な「王宮」の内部も見学したが、撮影は禁じられていた。



「王宮」を出ると直ぐ裏に有名な「黄金の小屋根」、今は「マクシミリアン博物館」となって公開されている建物の前に出た。
元は1420年にフリードリヒ4世がチロルの住居として建てたものだったが、1500年にマクシミリアン一世が目の前の広場で行われる舞踏会などを見学するために「桟敷席」を設けたのだという。
小屋根の2657枚の銅板には全て金箔が貼られて光り輝き、500年経ってなお、当時の王室の権威と財力を誇示いていた。(2、3枚目の写真の奥に「黄金の小屋根」が見える)

 

  

現在は市民が結婚届をする場所になっていて、その後、結婚式を行う会場としても使われているという。
結婚届けにも結婚式にもほとんどお金がかからないので、外国から来るカップルも多いそうだ。現地ガイドに「日本人もどうぞ。」と言われたが、参加者はほとんどが熟年者なので、孫世代なら新婚旅行を兼ねてそれも良いかもと思った。

現地ガイドの説明を聞いていたら、丁度結婚届を出し終えたカップルと親族らしき人達数人が出て来た。カップルが注がれたワインを飲み、待っていた特別仕立ての車で去って行った。

 


昨日のできごと

2014年10月09日 | ガーデニング・家庭菜園
昨日は朝から小雨が断続的に降っていたが、約束通り札幌から従姉がやって来たので、約2ヶ月振りで「パークゴルフ」に行った。
身体がこなれない初めの内は、思いもかけない方向にボールが飛んで行ったり、ホールを通り越してとんでもない所まで飛んで行ってしまったりと、余りにひどいプレーに互いに笑いあった。
しかし、それでも楽しく3時間ボールを打ち、追いかけ、また打ちと楽しめた。

帰宅したら14時を過ぎていたので、慌てて遅いランチを用意した。
メインは「秋野菜の天麩羅」だ。
朝畑に行って収穫して来た手無し隠元豆と牛蒡、前に収穫して置いたカボチャとじゃが芋2種、それに玉葱、人参、薩摩芋を細く切ってかき揚げを揚げた。また、北海道の北の海で取れたワカサギも天麩羅にした。

従姉とパークゴルフの反省やお喋りをしながら3時間過ごした後、従姉が希望した大根、人参、玉葱、青じその葉、セロリ、牛蒡、ピーマンなどを持って来たリュックに一杯詰めて上げた。

野菜が重いので、駅まで車で送ろうと18時18分頃外に出たら、「月食」が始っていた。
「来週中に時間ができたら、またパークゴルフをしようね。」と言って別れた。

帰宅してから二階のベランダに出て、東南方向の空に浮かぶ月を観察した。デジカメで写真も撮った。
30分も見ていたら身体が冷えて来た。
それで、地球の陰に入り、太陽の光が届かなくなった2時間以上の間で、月面の温度はどれ位下がったのだろうと考えた。
またずっと見ていて、太古の人々は、月食や日食を見て本当に驚いた事だろうと実感できた。

21時頃、月の左上部に光が差し込み、暫く金の球体の様に光る光景には感動した。今朝3時頃、真っ暗な南西の空に明るい満月を確認して古代人の様に安心した。




実は今日、肩が凝って首が回らなくなっていたが、多分、「月食」をじっと見上げていたからだろう。



「オーストリアの旅」(8) 

2014年10月08日 | 海外旅行「中央ヨーロッパⅠ」オーストリア、ハンガリー、スロバキア

≪素晴らしかったヨーロッパアルプスの光景≫④

ヨーロッパアルプスの光景は「やはり素晴らしかった!」で締めたい。
今日は、4日目(19日)の午後に「インスブルック」からケーブルカーとロープウエイを乗り継いで登った「ハーフェレカー」山(標高2334m)から見た絶景である。

「インスブルック」(「イン川にかかる橋」の意味)は、北はドイツ、西はスイス、南はイタリアとの国境が近い場所にあり、標高574mの(人口12万8000人)のチロル州の州都である。
その日、晴天に恵まれた山頂からは、360度の「ノルトケッテ連峰」(「北の鎖」の意味)の雄大なパノラマを見る事ができた。
 
この国にとっては貴重と思われる「野菜サラダ」が付いた昼食を久し振りに食べた(この日は夕食にもサラダが付き、嬉しかった)後、バスでケーブルカー乗り場に向かった。
途中、ケーブルカーの下に整備された登山道が続き、登山をしている人たちも見えたし、自転車で登って来る人や下っている人がいて驚いた。





2つ目のロープウエイの山頂駅から山頂までは、15分程掛けて登山道を登るのだが、肺活量が一般人の60%しかない私は途中で4~5回休憩しながら、やっと辿り着く事ができた。


山頂には10分ほどいた。360度見渡せる絶景を見渡しながら、この山の向こうは前に登ったイタリアの「ドロミテ」だろうかとか、スイスアルプスだろうかとか想像した。
その後、仲良くなった人たちと写真を撮りあった。実に晴れ晴れした気分だった。







山頂駅に集まる時間が迫っていたので急いで下山したが、少し下った所で右横にそれて、火口の様な場所にも行って見た。



さらに下ると、遥か眼下に自転車を持ち上げて写真を撮っている人がいたので驚いた。後で聞くと、コマーシャルの撮影をしていたらしかった。
程なく山頂駅に着いた。





下りは下方の写真が割合良く撮れた。ケーブルカーから見ると、確かに「イン川」が街を貫くように流れていた。
素晴らしかった絶景を瞼に焼き付けてその夜のホテルに向かった。


彩を失わない秋の庭(2)

2014年10月07日 | ガーデニング・家庭菜園
薔薇の剪定の仕方は、時期によって違う。
初夏から夏の初めまでは、花殻を5枚葉の直ぐ上で切る。

その後、夏の終りまでは、花殻を摘んだ後に出た新たに伸びて来た新枝を、途中適当な長さで切って分枝させ、枝数を増やす。その結果、枝先にできる蕾の数が増えて花が多く咲くのだ。(菊の新芽も1~2回摘むと、芽数が増えて花が多く咲く)
今咲いている花は、こうすることで数多く咲かせたものだ。

現在している晩秋の剪定は、冬が近くもう新たな蕾の生育と開花を望めないため、花が咲き終わった枝を1本ずつ根元から切り、コンポスト内で早く腐食分解するように、1.5cmほどの長さに細かく切断して行く仕事をしている。
しかし、硬く太い枝は小型の剪定バサミで切るのが大変で、指に力を入れるため、右の中指に豆ができた。相当硬くて切れない枝は、長さ30cm位に短く切って燃えるごみに出そうと思っている。この作業は、霜が降りる今月末まで続く。

残してあった花の写真を、(1)に続いて載せる。

 

  


 

 





彩を失わない秋の庭(1)

2014年10月07日 | ガーデニング・家庭菜園
旅行から帰って驚いたのは、例年よりもこの時期としては庭で開花している花が多い事だった。今年の6~8月の平均気温が少し高かったので、まだまだ蕾を付けている薔薇が多く、翌日から十日間、雨の日以外は庭に出て、留守にしていた間に伸びた雑草取りと薔薇の枝の剪定に追われた。

昨日は曇天で、一日中凄く寒く、1時間したら身体が冷えたので家に入った。
今朝は気温が3.2℃にまで下がった。道内では旭川を始めとして、初霜が降りた所が多かったらしい。しかし、太陽が出てきたので、午前中頑張って4時間近く庭仕事をしたけれど、腰が痛くなったので止めた。

秋の薔薇は気温が低いので、初夏の薔薇とは異なり、色が濃く香りも豊かで、おまけになかなか散らないから愛おしい。
疲れるけれど、霜が降りるまでまだ暫くは、薔薇のおもりをするつもりだ。
昨日撮った庭の写真である。

 

 



  


「オーストリアの旅」(7)

2014年10月07日 | 海外旅行「中央ヨーロッパⅠ」オーストリア、ハンガリー、スロバキア

≪残念だったヨーロッパアルプスの光景≫②

7日目の22日も、朝から小雨模様の天候だった。
この日は宿泊地の「ザンクト・ヴォルフガング」の町を10時過ぎまで散策した後、10時半にバスで発って「ヴォルフガング湖」の湖畔から出ている「シャーフベルク登山鉄道」に乗車した。

この鉄道は、映画「サウンド・オブ・ミュージック」にも登場した小さな蒸気機関車が、レールの中央にあるギザギザのレールに、蒸気機関車のカムを噛ませて登って行くものだった。

前日の様に高山に登っても、また何も見えないのではと案じながら列車の最前席に乗り込んだのだったが…。
走り出して間も無く運転席の窓ガラスに雨粒が落ちて来て、やがて真っ白になり視界が効かなくなった。25分後に「シャーフベルク山頂駅」に到着したが、強い風が吹き気温は2~3℃しかない。雲の中に入った状態で視界はほとんど効かなかった。





 

グループの大半の人達は山頂駅舎に入って待つと言うが、北海道からただ一人参加した私がこんな天候でたじろぐ訳には行かないと思ったのと、幸いにダウンの外套を着て万全の寒さ対策をしていたので、決心して遊歩道を添乗員の後に付いて登って行った。
途中に遊歩道の看板があったので、写した。

1m先が見えない状態で不安だったが、添乗員の声を頼りに離れないように注意しながら登った。
やがて目を凝らすと簡単な「ゲート」と木造の「山頂ホテル」らしきものがあった。その直ぐ上が「シャーフベルク山頂」(1783m)らしく大きい望遠鏡が備えられていた。晴れていれば湖を3つも見られる360度の大パノラマが開ける筈だった。残念!

 

ホテルを回りこんでから、ホテルの看板を写し、元の道に戻って皆が待機している駅に着いた。
私ははぐれずに戻れてホッとした。聞くと、結果的に頂上まで行ったのは僅か5人だけだったらしい。まあ、行けたと言う事で、満足する事にした。



(歩いた遊歩道を、下の展望台の図に黄色い矢印で示した)
 

下りの汽車にも一番に乗り込み、写真が撮れる蒸気機関車のすぐ後ろ、最前列の客席に座った。
目の前に向かい合ったカップルがいたので話しかけた。彼らは「ルーマニア」から来たのだと言う。私は昨年5月に行ったことを話して、バッグから鶴の折り紙を出して渡すと、男性が話し出した。
「旅行費用が高いので日本にはまだ行った事がないが、大学のゼミナールで「風呂敷」を研究してその有用性を発表した事がある。」と言うのだ。
こんな場所で、日本の伝統文化を研究した人に出会えたのは、全くの奇遇だと嬉しく思った。

 





汽車から降りて「ヴォルフガング湖」に行くと、曇ってはいたが湖が綺麗に見えた。
その日の宿泊地「ザルツブルグ」に向かう途中で、三日月型をした「モントゼー湖」の湖畔の町「モントゼー」に立ち寄った。映画「サウンド・オブ・ミュージック」に登場する「トラップファミリー」の結婚式を撮影したという教区教会があった。


「オーストリアの旅」(6)

2014年10月06日 | 海外旅行「中央ヨーロッパⅠ」オーストリア、ハンガリー、スロバキア

≪残念だったヨーロッパアルプスの光景≫①

今日は6日目(9月21日)に「ハルシュタット」という町の「湖のクルーズ」とゴンドラで登った「クリッペンシャタイン展望台」について書くことにする。

前夜宿泊した「ザンクト・ヴォルフガング」からバスで北に20kmの「ザンクト・ギルゲン」へ向かったが、その前夜は強い雨が断続的に降り、朝は雨が上がったものの雲が低く垂れていて、今にも雨になりそうな天候だった。途中の町で山や湖に漂う濃霧の写真を撮りながら、バスは30分程で「ザンクト・ギルゲン」に着いた。





「ザンクト・ギルゲン」の町は人口3700人の町だが、「モーツアルトの母の生家」があって、その一部が「モーツアルト展示室」として保存されている町だ。
「ヴォルフガング湖」の傍の駐車場でバスを降り、徒歩で小さな町を散策した。急に雨が降って来たので、私は慌てて着ていたゴアテックスの雨具の帽子を被って歩いた。

程なく外壁に「モーツアルトの家」と書いてある大きい家に着いた。ここが母親が生まれた家なのだ。道路側の壁には、母親と姉ナンネルの顔が描かれていた。
外観だけ見てから緩いスロープを登っていくと程なく教会があった。さらに進むと小さな広場に出た。
市庁舎があり、その前に花壇で飾られた「モーツアルト像」が立っていた。広場の回りにあるホテルや銀行のベランダは、花々で美しく飾られていた。





駐車場に戻り、バスで「ハルシュタット」に戻ってから観光客で溢れている「ハルシュタット湖」の小さな遊覧船に乗って湖を一周した。周りは急峻な山々に囲まれていた。







下の写真のレストランで昼食を摂ってから、「ダクステイン・クリッペンシュタイン・ケーブルカー」乗り場(標高608m)に行き乗った。ケーブルカーが上がるに連れて視界が濃霧にさえぎられた。1350mの中間駅で乗り換え、さらに山頂駅(2060m)まで行った。

 

そこからは添乗員に付いて緩いアップダウンのある整備された道を進んだが、いよいよ濃霧が深くなり視界が効かなくなって来た。不安になったが、途中の標識を見ながら15分程歩いて行くと、「5フィンガーズ展望台」に着いた。

 

ここには網状になった床を空中に数メートルせり出させた5本の展望台が設けてあり、左の展望台の先端に行って振り向くと、枠に入った写真が撮れる様になっていた。
先端に行っても、勿論濃霧にすっぽりと覆われているので視界はほとんど効かなかった。
口々に「足元が見えないから恐ろしくないね。」と言いながら順番に記念撮影をしてもらい、また山頂駅までの長い登り道を息を切らしながら引き返し、ケーブルカーを乗り継いでバスに戻った。



私は、高山に登り、濃霧の中で大変な冒険をしたのに、何一つ見えなかったことでガッカリした。添乗員に聞くと、「晴れていれば綺麗な2つの湖が見られたのに。」と言っていた。

「ザンクト・ヴォルフガング」に戻る途中で、バスの中から遠くに先程登った「クリッペンシュタイン」(標高1783m)の頂上が見えた。
今展望台にいるなら、綺麗な「ハルシュタット湖」と「ホーエル・ダッハシュタイン」(2996m)が目の前に見えたのにと実に残念だったが、自然相手ではどうする事もできないので諦めるしかなかった。


「オーストリアの旅」(5)

2014年10月05日 | 海外旅行「中央ヨーロッパⅠ」オーストリア、ハンガリー、スロバキア

≪素晴らしかったヨーロッパアルプスの光景≫③

3日目「グロースグロックナー」を間近に臨んだ「フランツ・ヨーゼフス・ヘーエ展望台」を出発後、バスは「インスブルック」まで195kmを約3時間かけて走った。
その途中、10数分下った所に「エーデルワイス展望台」(標高2571m)があり、バスから降りて10分程写真を撮った。
そこでは、左側から「グロースグロックナー」(標高3798m)、「ソンネンエレック」(3261m)、「フィッシャーカルコフ」(3331m)、「ヨハニスベルグ」(3460m)、「ホーヘドック」(3348m)、「グロベスビースバッハホーン」(3564m)と連なる様にいくつもの高山がまるで立ちはだかるような姿で直ぐ目の前に並んでいた。
最も左の「グロースグロックナー」はほとんど雲に隠れていて裾野しか見えなかったが、私は眼前の余りに迫力ある景観に鳥肌が立つような感動を覚え、その景観を表す言葉が見つからなかった。
山塊が近過ぎるため、私のデジタルカメラには収まらないので、左側から順番に写して行った。











その後も有料山岳道路を下りながら、次々と変わる美しいアルプスの景色を堪能し、やがて「インスブルック」に着いた。夕食の時も誰も口には出さなかったが、私自身は夜寝るまで1日中見て来た凄い景観が頭から離れなかった。








「オーストリアの旅」(4)

2014年10月04日 | 海外旅行「中央ヨーロッパⅠ」オーストリア、ハンガリー、スロバキア

≪素晴らしかったヨーロッパアルプスの光景≫②

「セメリング鉄道」を降りてから、鉄道と並行する山道を走って迎えに来てくれたバスに戻り、「グラーツ」という町まで行って市内観光をした後、その夜は「グラーツ」のホテルに宿泊した。(「グラーツ」については、町の観光で紹介したい)

3日目の18日は、南部にある国「スロベニア」との国境沿いを「グラーツ」から「ハイリゲンブルート」迄、約4時間バスで走ることになっていた。途中には雄大なアルプスの標高500mの高さに南北に造られた高速山岳道路があるというので、山好きの私の期待は高まった。
しかし、その日は朝から曇っていてすっきりとした景観ではなかった。標高が高くなるに連れて濃霧が漂い、遠くの景色は霞の中だった。
(写真は走るバスの窓越しに撮ったものが多いため、光が反射したり、ピントが合っていないが悪しからず…)







途中、山から滝が流れ落ちている場所の小さなレストランで休憩して、写真を写した。木製の簡単な台の上に、これもまた木彫の妖精がいた。



やがて難工事の末に1935年に完成したという北に向かう48kmの有料山岳道路に入り登って行くと、そこには標高3000m級の山々が連なる大景観が待っていた。



曲がりくねったピンキング道路の左右に見え隠れする景色を楽しむ内に、標高3797mのオーストリアの最高峰「グロースグロックナー」オーストリアで最大の氷河「パステルツェ氷河」を臨む「フランツ・ヨーゼフス・ヘーエ展望台」(2369m)に着いた。

私達は駐車場でバスを降りて、展望台までリムジンバスに乗り換えた。展望台のレストランに入ると急いで昼食を摂り、1時間ほどあった自由時間に展望台に出て、夢中で写真を写した。
「グロースグロックナー」の尖った頂上は初め雲の中だったが、15分もすると雲が徐々に流れてその勇姿を現してくれた。素晴らしかった。



それから展望台の裏山を登り、もう一つ上に造られている展望台と、さらにそこから200mほど離れた低い場所にある「パステルツェ氷河展望台」まで歩いて行った。
そこにはこの地と山を愛し、自らも登山を好んだという「フランツ・ヨーゼフ皇帝」(在位1848~1916年)の氷河をバックに登山姿で立つ像が私達を迎えてくれた。
上の展望台の周りでは数匹の兎より大きい野生の「アルプスマーモット」も見掛けた。



 



下の展望台に戻る途中、上の展望台の写真とバスの駐車場の後方に見えた湖を撮った。
ウイーンからやって来たという13歳の女子学生達にも会った。日本の13歳の中学生と比べると随分大人びて見えた。お互いに山を背景にして写真を撮り合った。本当に素晴らしい体験だった。





最後に売店で「アルペンカレンダー・2015」を自分の記念品として9.9€(1400円)で買った。この日は丁度、私自身の誕生日でもあったからだ。
(付記 レシートを見たら、カレンダーには消費税が20%含まれていたが、その他の店で買った食料品の消費税は10%だった)