存在する音楽

ジャンルに関係なく良いと感じた曲は聴く
誰かの心に存在する音楽は
実際に音が鳴っていない時にも聴こえてくることがある

旧ソ連 ろっ骨レコード

2010-11-20 23:15:49 | TV番組
坂田明が取材

ジャズやロックは旧ソ連では禁止されていた。
まあ、冷戦なんで当然だと思うけれど
当時は密かにレントゲンのフィルムをレコードにしたものが作られていた。
レコード盤にはろっ骨が写っていたらしい。

ラジオで「ろっ骨レコードを覚えてらっしゃいますか?日本のテレビがろっ骨レコードについて取材しに来ています。情報を下さい」と情報提供を求め、ラジオを聴いた人が携帯に電話をかけてきて、凍りつく街を移動。

インナさん(61歳)が情報提供してくれ、自宅を訪問。
重いトランクを出してきた。
遂に坂田明が手にとって見ています。
ソノシートがレントゲン写真という感じです。
78回転のようで、再生はスムーズにいかず。

「当時は西側の文化やファッションにとても気になっていたんだけど、当時は本当に閉ざされていた。禁断の果実は甘いんですよ。禁止すればするほど欲しくなる。」とニーナさん
絵はがきレコードもありました。

イズマイロボ青空市場で店を構えるラリーサさん(74歳)
ここでもろっ骨レコード、頭蓋骨レコードを手の出来た坂田明
どんな曲だったか分からない。
「こうしたレコードが楽しかった。自動車工場の仲間と踊ったり笑ったりしていました。
戦後の苦しい時代を生きてこれたのもろっ骨レコードのお陰かもしれません」

≪当時の音楽をまた聴いてみたいとは思わないのだろうか?≫

手回しの蓄音機で再生
ゆがみが酷く、再生しずらい
「ベサメムーチョ」

街路にいたお婆さんが「みんな外国の音楽を聴きたかったのよ。聴くとうれしくなっちゃう」

その後も次々と情報提供者が現れた。
ボリスさん(71歳)
当時、ろっ骨レコードを買った所。赤の広場の門の付近に時々売人がいた。
「プレスリーが欲しい」と言うと後日売り手が持ってくる。
警察に見つかったら即逮捕だったので、当時の売買方法を再現。
服の袖や内ポケットに隠し持っていた。
「ろっ骨レコードは万能薬で嫌なことを全て忘れさせてくれました。友だちの所にみんなで集まってみんなで聴いていた。警察に密告されないかびくびくしながら聴いていました。」「ジャズにはまっていた」
「友だちを呼び、タクシーを飛ばして来た友達と息を潜めて聴いていた。当時は機械ではなく人間の魂が音楽を奏でていた。」

ボリスさんの紹介の友人宅へ
蓄音機でろっ骨レコードを再生
ビル・ヘイリー「ロック・アラウンド・ザ・クロック」
お爺さんたちはノリノリ
「50年前のレコードですよ。まだ音が生きています」
「パンを買うかレコードを買うか。という時代でした。音の良いいいレコードを買うと高級車を買ったような気分でした」

アメリカのジャズ300曲を書いたソングブック
短波放送を密かに聴いて数冊だけ作ったものも紹介された。≪凄い≫

楽器を弾いている人たちは警察がいない時には自由にジャズを演奏したりしたらしい。

地下室に置いてあるろっ骨レコードの録音機
録音して即 再生できるソビエト軍製のもの(1943年製)小兵器委員会
ドイツの戦闘意欲を削ぐプロパガンダのためのレコードを作って飛行機でドイツにばら撒いていた。

アレクセイ コズホーフさん
ジャズサックスプレーヤー
異端視されながらも独自路線を守り抜いた国際的なミュージシャン
「ミュージシャンの組合に所属して、ソ連のイデオロギーに従わないと演奏はできませんでした。
当時はジャズは認められず、ソ連の敵対する音楽でした。
ソ連のオーケストラには絶対入りたくなかったんで、僅かなお金を手に入れて何とか生きていました。
ソ連ではフリージャズは不良の音楽であるとされていた。
私も70年代まで不良の音楽をやっていました。体制と戦っていたような気でした。命を懸けて、演奏をしていました。JAZZは私の命です」

ボリス タイギン(現在72歳)
という人はサンクトペテルブルクで ろっ骨レコードを作っているのが警察にバレて投獄されていたらしい。
坂田はこのお宅も訪問
15年間作り続けた。私達が作り続けたろっ骨レコードですよと聴かせてくれる。
「ドミノ」という曲
「最初の頃はレントゲン写真、その後 高質にするため、航空写真用のフィルムを使った。それで良い音が出るようになり、更に写真を貼ることで丈夫に見栄えも良くすることが出来ました。」
「レーシチェンコの曲が私の心を捕らえました。いつか自分の手でレコードを作りたいと思いました。しかし非合法しか方法はなかったのです」

坂田明はレントゲン写真を撮ってもらった。自分で演奏した曲を自分のレントゲンに録音したいと思った。
アナトーリーさん宅へ(64歳)
逮捕歴ありの仲間。しかし機械が古くなって録音は出来ないらしい。
レントゲンを鋏で円形に切り取る。真ん中に穴を開ける。坂田そっちのけで夢中で作る二人。
再生できるレコードは出来なかったが、製作を楽しむ人々。
「国家は私達につまらない音楽を強制しました」
刑務所に一年間、強制労働のために北シベリアに連れて行かれた。
「ろっ骨レコードを作ったことを後悔しなかった。自分の人生を捧げた。私は音楽を捨てることは出来なかった。法で禁じられても好きなことを捨てることは出来なかった。」

モスクワに戻った坂田はコズホーフさんのバンドとコラボ


コメント
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よい国のニュース 山形ガールズ農場

2010-11-20 18:37:55 | TV番組
良い番組ですねー
mfさんがoha4のコメントで紹介されていたので、遂に見たーと思いながら
どんどん引き込まれてみています。

山形の地元に戻ってきた若い女性が高付加価値農作物を生産して営業して利潤を上げている。
漢方薬を稲に撒いて無農薬栽培。
トロとまと(フルーツトマトの詰め合わせ)


1 化粧をする
2 私服で通勤
3 三度の食事を大切にする

1年目の売上は700万円
2年目の目標は2000万円だけど、ちょっと届かない。自分の給料は出せていない。
しかし、農業を変えていくのは自分達の世代だと思っているので頑張る。



コメント (2)
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