1 ナイトライフ/佐野元春
EPICは洋楽も邦楽もやっていた。
佐野 10年、ディケイドっていうのは何か意味があるんでしょうか?
丸山
ちょうどその中で佐野さんもいてくれて、成功して。ところがチームで僕がヘッドでやると皆に読まれちゃう。どうも天邪鬼的に出方を変えても読まれちゃうと、組織としてはどうかと思う。僕の会社ではないよね。組織の中の一人だから。当時僕が45、6で、当時の関係がそんなに続くかというと、倦怠感が出ているなと思ったときに、片方であるクリエーターであるミュージシャンの人たちは身を削って暮らしているのに、スタッフが倦怠感があるのはまずいなと思って(EPICを)辞めたのね。
佐野
10年間の間に随分いろんなことをなさいましたよね。マネージメントの工夫とか、提案を次々とEPICとして
丸山
佐野さんからマックの一式のコンピュータを頂いたじゃないですか。生産管理とか数字の管理ではコンピュータを使っていたけれど、クリエーティブにコンピュータを使うってことは当時はありえなかった。メチャクチャ高いんだもの。若い人たちが色々と弄って、デザインが出来るんだとか、坂本さんがコンピュータで音楽を作るってことをやっていたじゃないですか。そうしている間に小室君が同じようなことをやっていた。
ああいう技術革新の時に、色んな意味でスピードを上げて変わっていくよね。それはとても楽しい時代だよね。
佐野 僕もそう思いました。
丸山
若い人たちが佐野元春を超えることがなかなか難しい。そういう新しいものを使って佐野さんを超えるんだけど、佐野さんは最新のものを未だに使ってやっておられますよね、そうすると若い人たちの閉塞感があるよ
佐野
やがて画像がやがて音がコンピュータから流れていくと、ワクワクする気持ちと同時に音楽業界はどうなっちゃうんだろう?そういうこと一緒に考えたいというのが当時からありました。
2 ホーム・プラネットー地球こそ私の家 佐野元春 & 渡辺美里
その一二年後に任天堂からファミコンとかが出てきて、今のような時代になるとわかりはじめたのが1994年くらい。2010年にこうなるっていうのがわかってなかったよね。一番早くわかっていたのはミュージシャンだったよね。芸能はミュージシャンが作っていた。キーボードを使って音楽を作っていた。企業の人が作っているんじゃなかった。
佐野 僕もミュージシャンとして感じていましたが、1999年業界の中でもダウンロードを初めて行ったのは丸山さんでしたよね。僕は賛成していたけれど、ところがコンピュータでファンの前に音楽がとどく、パッケージで届いていた音楽が、いったい、僕はどれくらいもらえるの?どうなるの?というふうになっていた。インターネットで音楽をやりとりするようになることで、
著作権にことを守ろうと丸山さんが動いていたことは僕はとても感動した。
丸山 あの時点では、コンピュータでインターネットでのやり取りの責任関係をはっきりさせとかないと、ミュージシャンも業界もものすごい時間をロスするだろう。本当の革命だったら良いけれど、たいていの場合は政治的な主導権争いなんで、構造だけちゃんとしておこうと。本質的なことはその後でやりゃいいって。
3 自転車でおいで 矢野顕子 feat.佐野元春
佐野 ただ面白いのは丸山さんが作ったあるルールが今も使われていて。
丸山 でももう更新しないといけない時期に来ているんだよ。ヨーロッパ経由といよりもアメリカ経由で入ってきた著作権のルールを取り入れてきているよね。簡単に言うと、ディズニーを守るためにアメリカがルールを広めて来たと僕は勝手に思っている。でも、オバマ大統領がマイクロ・ソフトやジョブスを大切にした方が利益になるんではないかと思い出しているんじゃあいかと思う。そういうのを関係ないと思っているのは中国とかになっているので、著作権を大切にしようと一生懸命に言っているのは日本だけってなっちゃう。それを政府の人間が言うからおかしくなっちゃう。権利のことは自分が作ったんだからクリエーターだから、自分でちゃんと守るようにスベキで。クリエーターもマネージメントを人に任せているのをキチンと責任を持ってやっていかないと。
佐野
作った人が一番 利益が多く入るようにすべきだという丸山さんの考え方があり、ゲームを作った人の権利も守ろうという活動をされるようになった。
丸山
CD-ROMが主流でしたけれど、ソニーという会社でソフトもレコード会社も色々なアプローチがあった。その中でゲームの提案もすることとも結びついた。
佐野
ライバル会社が色々ある中で、ハードも自分で作っちゃえという
丸山
それは僕ではなくて、ソニーの社内で色々と考えている人がいるの。そのメンバーを僕が選んで、勝ち抜くってことをやろうとした。勝ち抜いた後にCDにして入れて持ってきなさいとゲームもプレーステーションというのが出来たわけで。
佐野
ビジネスマンとしての喜びがプレーステーションが成功した時にはあったんじゃないですか?
丸山
そりゃあ、めちゃくちゃ嬉しいですよ、やったーてね。きっと佐野さんが曲を作って成功したという喜びと同じだと思うんだよね。こういう仕事というのは、作ったものが如何に多く成功したかってことが大切で、特にレーベルだと何人ものアーティストの成功に出会えるんだよね。いい仕事だよね。本当に。
4 スターダスト・キッズ/ 佐野元春
丸山
レコードというのはユーザーが基本的には見えない。ところがライブで見えるわけ。レコード会社としてライブに行くじゃないですか、そうすと、お客さんがどれだけ嬉しそうに喜んで、汗をかいているかって見ることが出来るじゃない。レコードの売上を見て数字があがると勿論よろこぶんだけど、ああやってライブを直接見に行って、喜びがあるよね。
佐野
現場から丸山さんが去られるということを聞いてとても寂しい気持ちになったんですよね。音楽の業界、ゲームの業界から去られるときにどんな感じだったんですか?
丸山
その時は何も考えていない。退職して、その次のビジネスを始めていって
佐野
その翌年にはまた活躍されてましたよね
丸山
スタッフが僕一人であれば、100万枚とは違う音楽を1000人に届けることが出来れば、それはそれで価値がある。物凄く大きなビジネスと、小さなビジネスとを両方とも等価値で見ることができるなんて、贅沢だなって思う。それを手伝ってくれるひとが沢山いて実現できてとても贅沢だと思います。
佐野
お父さんが・・・
丸山
また癌の話をすると長くなっちゃうんだよな。
佐野
その病気のことで死生観などが変わったとかありますか?
丸山
人を脅かすには一番良いね。それ以上怖いもんないもんね。ある意味その病名を言うとひいちゃうようね。
私のことを我儘な人だと批評される人も多いのですが、もう気兼ねしないもんねっていう顔が出来るようになった。
病気になる前と今やろうとしていることと何かが違うか?っていうと全く変わらないんだよね。本当のところ。
佐野
僕は丸山さんにプレゼントした曲があるんですよ。ディランの曲でこういう曲があるんです。
「今の私はあの時の私よりもずっと若い」
これをプレゼントしたいんです。
丸山
どうも有難う
5 My Back Pages /Bob Dylan
若者を動かしたのは音楽とゲームだった時代
その業界の中心におられたのが丸山さんでした。
とても良いお話を聴くことが出来ました。
いやー本当に刺激的な対談でした。これは凄い。
EPICは洋楽も邦楽もやっていた。
佐野 10年、ディケイドっていうのは何か意味があるんでしょうか?
丸山
ちょうどその中で佐野さんもいてくれて、成功して。ところがチームで僕がヘッドでやると皆に読まれちゃう。どうも天邪鬼的に出方を変えても読まれちゃうと、組織としてはどうかと思う。僕の会社ではないよね。組織の中の一人だから。当時僕が45、6で、当時の関係がそんなに続くかというと、倦怠感が出ているなと思ったときに、片方であるクリエーターであるミュージシャンの人たちは身を削って暮らしているのに、スタッフが倦怠感があるのはまずいなと思って(EPICを)辞めたのね。
佐野
10年間の間に随分いろんなことをなさいましたよね。マネージメントの工夫とか、提案を次々とEPICとして
丸山
佐野さんからマックの一式のコンピュータを頂いたじゃないですか。生産管理とか数字の管理ではコンピュータを使っていたけれど、クリエーティブにコンピュータを使うってことは当時はありえなかった。メチャクチャ高いんだもの。若い人たちが色々と弄って、デザインが出来るんだとか、坂本さんがコンピュータで音楽を作るってことをやっていたじゃないですか。そうしている間に小室君が同じようなことをやっていた。
ああいう技術革新の時に、色んな意味でスピードを上げて変わっていくよね。それはとても楽しい時代だよね。
佐野 僕もそう思いました。
丸山
若い人たちが佐野元春を超えることがなかなか難しい。そういう新しいものを使って佐野さんを超えるんだけど、佐野さんは最新のものを未だに使ってやっておられますよね、そうすると若い人たちの閉塞感があるよ
佐野
やがて画像がやがて音がコンピュータから流れていくと、ワクワクする気持ちと同時に音楽業界はどうなっちゃうんだろう?そういうこと一緒に考えたいというのが当時からありました。
2 ホーム・プラネットー地球こそ私の家 佐野元春 & 渡辺美里
その一二年後に任天堂からファミコンとかが出てきて、今のような時代になるとわかりはじめたのが1994年くらい。2010年にこうなるっていうのがわかってなかったよね。一番早くわかっていたのはミュージシャンだったよね。芸能はミュージシャンが作っていた。キーボードを使って音楽を作っていた。企業の人が作っているんじゃなかった。
佐野 僕もミュージシャンとして感じていましたが、1999年業界の中でもダウンロードを初めて行ったのは丸山さんでしたよね。僕は賛成していたけれど、ところがコンピュータでファンの前に音楽がとどく、パッケージで届いていた音楽が、いったい、僕はどれくらいもらえるの?どうなるの?というふうになっていた。インターネットで音楽をやりとりするようになることで、
著作権にことを守ろうと丸山さんが動いていたことは僕はとても感動した。
丸山 あの時点では、コンピュータでインターネットでのやり取りの責任関係をはっきりさせとかないと、ミュージシャンも業界もものすごい時間をロスするだろう。本当の革命だったら良いけれど、たいていの場合は政治的な主導権争いなんで、構造だけちゃんとしておこうと。本質的なことはその後でやりゃいいって。
3 自転車でおいで 矢野顕子 feat.佐野元春
佐野 ただ面白いのは丸山さんが作ったあるルールが今も使われていて。
丸山 でももう更新しないといけない時期に来ているんだよ。ヨーロッパ経由といよりもアメリカ経由で入ってきた著作権のルールを取り入れてきているよね。簡単に言うと、ディズニーを守るためにアメリカがルールを広めて来たと僕は勝手に思っている。でも、オバマ大統領がマイクロ・ソフトやジョブスを大切にした方が利益になるんではないかと思い出しているんじゃあいかと思う。そういうのを関係ないと思っているのは中国とかになっているので、著作権を大切にしようと一生懸命に言っているのは日本だけってなっちゃう。それを政府の人間が言うからおかしくなっちゃう。権利のことは自分が作ったんだからクリエーターだから、自分でちゃんと守るようにスベキで。クリエーターもマネージメントを人に任せているのをキチンと責任を持ってやっていかないと。
佐野
作った人が一番 利益が多く入るようにすべきだという丸山さんの考え方があり、ゲームを作った人の権利も守ろうという活動をされるようになった。
丸山
CD-ROMが主流でしたけれど、ソニーという会社でソフトもレコード会社も色々なアプローチがあった。その中でゲームの提案もすることとも結びついた。
佐野
ライバル会社が色々ある中で、ハードも自分で作っちゃえという
丸山
それは僕ではなくて、ソニーの社内で色々と考えている人がいるの。そのメンバーを僕が選んで、勝ち抜くってことをやろうとした。勝ち抜いた後にCDにして入れて持ってきなさいとゲームもプレーステーションというのが出来たわけで。
佐野
ビジネスマンとしての喜びがプレーステーションが成功した時にはあったんじゃないですか?
丸山
そりゃあ、めちゃくちゃ嬉しいですよ、やったーてね。きっと佐野さんが曲を作って成功したという喜びと同じだと思うんだよね。こういう仕事というのは、作ったものが如何に多く成功したかってことが大切で、特にレーベルだと何人ものアーティストの成功に出会えるんだよね。いい仕事だよね。本当に。
4 スターダスト・キッズ/ 佐野元春
丸山
レコードというのはユーザーが基本的には見えない。ところがライブで見えるわけ。レコード会社としてライブに行くじゃないですか、そうすと、お客さんがどれだけ嬉しそうに喜んで、汗をかいているかって見ることが出来るじゃない。レコードの売上を見て数字があがると勿論よろこぶんだけど、ああやってライブを直接見に行って、喜びがあるよね。
佐野
現場から丸山さんが去られるということを聞いてとても寂しい気持ちになったんですよね。音楽の業界、ゲームの業界から去られるときにどんな感じだったんですか?
丸山
その時は何も考えていない。退職して、その次のビジネスを始めていって
佐野
その翌年にはまた活躍されてましたよね
丸山
スタッフが僕一人であれば、100万枚とは違う音楽を1000人に届けることが出来れば、それはそれで価値がある。物凄く大きなビジネスと、小さなビジネスとを両方とも等価値で見ることができるなんて、贅沢だなって思う。それを手伝ってくれるひとが沢山いて実現できてとても贅沢だと思います。
佐野
お父さんが・・・
丸山
また癌の話をすると長くなっちゃうんだよな。
佐野
その病気のことで死生観などが変わったとかありますか?
丸山
人を脅かすには一番良いね。それ以上怖いもんないもんね。ある意味その病名を言うとひいちゃうようね。
私のことを我儘な人だと批評される人も多いのですが、もう気兼ねしないもんねっていう顔が出来るようになった。
病気になる前と今やろうとしていることと何かが違うか?っていうと全く変わらないんだよね。本当のところ。
佐野
僕は丸山さんにプレゼントした曲があるんですよ。ディランの曲でこういう曲があるんです。
「今の私はあの時の私よりもずっと若い」
これをプレゼントしたいんです。
丸山
どうも有難う
5 My Back Pages /Bob Dylan
若者を動かしたのは音楽とゲームだった時代
その業界の中心におられたのが丸山さんでした。
とても良いお話を聴くことが出来ました。
いやー本当に刺激的な対談でした。これは凄い。