オジサンの実家では一月末に85歳の誕生日を迎えたばかりの母が一人暮らしをしている。
苦労して育てた三人の子供の長女と長男は首都圏で家庭を持ち、頼みの綱(?)の末っ子は早々に他家の婿養子になってしまった気の毒な境遇にある。
にもかかわらず一人暮らしをエンジョイし元気に遊びまわっている。
近場に暮らす息子の義務として、産直廻りの途中で週に一~二度は立ち寄って様子を見るように努めているが、今日訪ねたら炬燵の脇に美しい花が飾ってあった。
近所の茶飲み友達であるT子さんが100歳を迎えた誕生祝いに一関市長から贈られたものを「お裾分け」で頂戴したものだという。
昨年秋に一緒に父の墓参りした際に、息子が拝みなら「お袋も間も無く行くから待っててね」と言うのを聞いて「トンデモナイ、まだまだ先だ」と強く否定していた母だが、近くにある93歳で亡くなった祖父のお墓で逆に「父親を抜くつもりで頑張っているから見守ってね」と言ったら「そこまでは頑張れない」と珍しく弱気な発言をしていた。
今でも自転車で動き回っている丈夫な母だが、日増しに衰えて来ていることだけは間違いないようだ。
そんなことを自覚しているからこそ「長寿祝いのお裾分け」が宝物のように思えるのかも知れない。
その母の誕生日に兄から電話があり「お金は出すから何か食べたいものをご馳走してやって」とのことだった。
母の希望は「お寿司を食べたい」だったのでオバサンと三人で寿司を食べに行った。
その報告を敢えて姉にもしたら「私も出すからもう一回お寿司を食べに行って来て」と期待通りの答えが返って来た。
これで味をしめたオジサンは、毎年この手法で母の「長寿祝い」をしようと目論んでいる。
苦労して育てた三人の子供の長女と長男は首都圏で家庭を持ち、頼みの綱(?)の末っ子は早々に他家の婿養子になってしまった気の毒な境遇にある。
にもかかわらず一人暮らしをエンジョイし元気に遊びまわっている。
近場に暮らす息子の義務として、産直廻りの途中で週に一~二度は立ち寄って様子を見るように努めているが、今日訪ねたら炬燵の脇に美しい花が飾ってあった。
近所の茶飲み友達であるT子さんが100歳を迎えた誕生祝いに一関市長から贈られたものを「お裾分け」で頂戴したものだという。
昨年秋に一緒に父の墓参りした際に、息子が拝みなら「お袋も間も無く行くから待っててね」と言うのを聞いて「トンデモナイ、まだまだ先だ」と強く否定していた母だが、近くにある93歳で亡くなった祖父のお墓で逆に「父親を抜くつもりで頑張っているから見守ってね」と言ったら「そこまでは頑張れない」と珍しく弱気な発言をしていた。
今でも自転車で動き回っている丈夫な母だが、日増しに衰えて来ていることだけは間違いないようだ。
そんなことを自覚しているからこそ「長寿祝いのお裾分け」が宝物のように思えるのかも知れない。
その母の誕生日に兄から電話があり「お金は出すから何か食べたいものをご馳走してやって」とのことだった。
母の希望は「お寿司を食べたい」だったのでオバサンと三人で寿司を食べに行った。
その報告を敢えて姉にもしたら「私も出すからもう一回お寿司を食べに行って来て」と期待通りの答えが返って来た。
これで味をしめたオジサンは、毎年この手法で母の「長寿祝い」をしようと目論んでいる。