穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

第D(16)章 断片再構成

2016-09-07 07:47:13 | 反復と忘却

父の死によって出来た空洞に切れ切れになった記憶が吸い寄せられて来た。最初はなんのことか俺には分からなかった。記憶の全体を構成し直す構想力も失われていた。第一断片そのものが十重二十重に意味を変換されていたに違いない。フロイトもそんなことを言ったらしい。おれはフロイトを一行も読んだことは無いのだが、現代哲学者にはフロイトを珍重する連中が多い。不思議な現象だが、そんなところから三四郎が得た叉引き、孫引きの知識なのだが。つまり抑圧された記憶は無意識の中でアクロバティックな変換をするというのだな。 

父親というタブーというか重しが無くなって古いバラバラに解体された記憶があぶくの様に意識の表面に浮かび上がって来たのだろう。そのうちにそれらの断片の関連ある物どうしがくっ付き始めたらしいのだ。その動きに必然性があるのか偶然の産物であるのかは三四郎には判断しようがない。

大体年に二回春と秋の彼岸に家族で墓参りに行く習慣があったが、両親ときょうだい以外が参加することはなかった。ところが先日、一度全然知らない人が二、三人墓参に加わったことがあることを不図(ふと)思い出したのである。

その漠然とした記憶を思い出そうと彼は努力した。それは彼が小学生のころに違いない。それも一年生か二年生のころと思われた。中年の婦人と若い女性だったような記憶がある。中央線の沿線にある都営墓地にある我が家の墓は三四郎が生まれた年に建てた物である。そんなことに気が付いたのも父が死んでから数年してかしてからであった。ある年に墓参して墓の周りの落葉を掃き寄せたときに墓石の裏にそう刻まれているのに初めて気が付いた。父は東京に出て来てからずっと兄達が生まれたあとも墓は郷里にあったのである。それを三四郎の誕生したあとで東京に移したのである。

墓には祖父祖母の遺骨と死亡した二人の前妻の遺骨が納められていた。したがって、そのとし、一回だけ三四郎が見た母娘らしい参拝者は祖父か祖母の関係者か二人の前妻の家族かと思われた。そしてその後三四郎の母と父の遺骨が納められたのである。

彼は父が埋葬者の墓碑を建てる時に郷里の市役所に問い合わせていたこと思い出した。彼はまだ中を確かめていない父の残した書類を調べた。当時市役所に申請して送って来た戸籍謄本が何通か見つかった。その中身は意外な事ばかりであった。

曾祖父と曾祖母の名前も出て来た。もっとも三四郎が驚いたのは父には姉がいたことである。かれは父と弟との二人きょうだいだと思っていた。彼の伯母にあたる人物のことは聞いたことがない。彼女は祖父の前妻の子供であった。つまり父と叔父は祖父の後妻の子供であったのである。古い戸籍によると彼女は十歳で祖父の弟のところの養女になっている。そして成人して埼玉県の男性と結婚しているのである。