彼女達と墓参で一緒になったあとで、彼らとは武蔵境の駅で分かれた記憶が蘇った。というのは東京までの電車のなかで両親がずっと彼らの噂をしていたからである。たしか「大月のひと」と父が言っていた。あるいは彼らが大槻さんという名字だったのだろうか。
父は親類を名前ではなくて棲んでいる地名で言及することが多かった。まあ、親戚なら同じ名字の場合が多いから、紛らわしいということもあったのだろう。それに父が生まれた山間部の村では親戚でなくてもほとんどが同じ名字だったらしい。だからお互いに屋号で呼び合う。屋号というのは大体棲んでいる地名や土地の形状に基づいてつけられているようだ。その習慣が続いていたのかも知れない。
俺の記憶には「大月」という言葉が残っている。大槻さんかな、よく分からない。大月というと中央線で八王子のずっと西の方じゃなかったかな。たしか山梨県だ。そうするとこの間始めて知った父の姉の子供なのだろうか。埼玉県の男性と結婚したとか言う。もっとも、何十年も前の話だから住所も変わっているのだろうが。そうすると中年の婦人がその女性であるのかも知れない。
父母の会話で一つ覚えているのは、その若い方がデパートに勤めているということであった。会話の中で父が軽蔑した様に言っていた記憶がある。デパート勤めなんて水商売とさして変わらない評価であったらしい、父の基準では。もちろん小学校一年生の俺にはそんなことは分からないが、親戚としては恥ずかしいという印象を受けた。
しかし、この人が大月に住んでいるとすると東京のデパートまで通勤するのは大変じゃないか、と俺は思った。当時思ったということではないよ。現在の俺がそう思う訳だ。デパートというと日本橋だけにあると思っていたからね。もっとも新宿辺りには当時でもデパートと称するものは出来ていたのかもしれない。
新宿辺りまでなら大月からでも一時間ぐらいで行けるだろう。もっとも都心までも一時間半あれば通勤出来る。俺の居た会社でも埼玉県か栃木県の古河から通っていた女性職員もいたくらいだから通勤出来ない距離でもないのかもしれない。デパートは出勤時間も遅いしね。
あるいは甲府にも昔からデパートと称する物があったのかもしれない。地方都市でよく何々デパートというのがあって、聞くと昭和初期開業なんてところもあるようだから、そのような地方都市の「デパート」だったのかも知れない。
うん、父母の会話を思い出した(ような気がする)。たしか大丸だったかな。おかしいな。あそこは大阪かどこかが本店だろう。東京に進出したのは何時頃だっただろう。ようするに、この記憶は輪郭がはっきりとしていないということが分かったわけである。以上の推測は「大月の人」が「大月に住んでいる人」の意味である、としての話である。
それにこの人が父のいとこであるとも断定出来ない。祖父母の縁戚かも知れない。ちょうどその年が祖父母の誰かの何回忌だったのかも知れない。或は前妻の関係者かもしれない。
要するにその程度の記憶であって何ら確定的なものではないということである。もっとも記憶を手繰るにはこういう試行錯誤を繰り返すほかはないのである。