百歳ちかくまで生きた父親が残したものは多かった。本人は晩年まで至極健康で百二十歳まで生きるつもりだったから、生前整理と洒落込むこともなかった。身辺を整理するなんてことはしなかったのである。それでも品物はまだいい。およそ物を捨てない性格だったから、がらくたがやたらとあった。これの整理は時間的には大変だったがさして神経を使わない。捨てる、処分するの判断はすぐ出来たし、躊躇することは無かったのである。
困ったのは反古というか書類というのかそういうものである。ほとんど意味も価値もないものであるが、不思議と処分する時に抵抗がある。もっとも困ったのは写真である。家族写真はともかく残すんで迷うこともなかったが、勤めの同僚らしい人物と映っている写真が多かったので処置に迷った。外交的で社交的だった父にはこういう写真が無数にある。何しろ一世紀近く活動したからおびただしくある。モノクロ時代からはじまりカラー写真が無数に残っていた。ほとんどが整理されずに空き箱に入れてある。
それに若い頃には自分で写真を撮っていたらしく、そのネガがプリントと一緒に未整理のまま放置してある。ネガはそのままでは何が写っているかわからない。ビューアーでいちいち見ないと分からない。最初のうちはそんなことをしていたが、とても続けられるような半端な枚数ではない。
エイヤっとすべて捨ててしまおうかと思ったが、なんとなく引っかかる物があった。というのはざっと見た所ではアルバムには父の子供のころや学生時代の写真が一枚もない。従って祖父母や田舎の親戚にどういう人がいたかも分からない。ひょっとすると、そういう写真もなかに紛れ込んでいるのではないか、と思った訳である。未整理の写真のなかに若い頃の郷里の家族写真が紛れ込んでいるのではないか、と思った。
その時に父が保存していた母親の写真集も初めて見た。こちらの方はすべてアルバムに貼ってあり、さして量も多くはなかった。だがアルバムから剥がした写真が何枚もあるのに気が付いた。女性というのは結婚するに際して独身時代の都合の悪い写真を処分するものだろうか、と俺は思ったのである。
また、母親の写真の中にも父の場合と同様に子供の頃や女学校時代の写真が一枚も残っていない。これも不思議に思った。しかし成人後か結婚後か分からないが郷里の家族と一緒に映った写真は多数あった。俺もこういう母方の親類とは何回も会っているからよく分かったのである。振り返って自分のことを考えると俺の場合、自分の昔の写真を見ることもあまりないが、半数近くは子供時代や学生時代の写真であり、父母揃って成人前の写真が一枚も残っていないのを不思議に思った。
さて気を取り直して父の残した写真をすこしずつ確認していった。それが死者に対する敬意でもあろう。ひまな時にちょこっと見る。こういう成果のない単調な作業はすぐに飽きてしまうからすこしずつしか出来ない。何ヶ月もそんなことをしていたが、大量のバラバラの写真の中には毛色の変わった写真も見つかった。