穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

カフカ『城』訳者前田敬作氏が口述ではなく口授(クジュ)を選択した正当な理由があるのか

2016-09-28 22:24:40 | カフカ

新潮文庫『城』 371ページ、クルスが書記に口授(クジュ)する、とあるが口述という訳語をあてなかったのは正当な理由があるのか。例えば原ドイツ語のニュアンスとか。

クジュは宗教指導者が信者に口づてに教えを授けるという意味だが、ドイツ語の言葉がそれに相当しているのか。訳者の無知、気取り、無神経、知ったかぶり、気取りではないのか。

あながち訳者の日本語能力のためばかりではないだろうが、「城」は相当な駄作と見切った。長編(短い長編)の審判は取っ付きにくい小説だが、そう思って読めば興味津々だし、迫力もある。それに比べて『城』は冗長、しばしば意味繋がらず、また前出を受けているのかどうか不明な箇所が多い。カフカの最晩年の作なのかな。未完だというし。 

『審判』は最後の部分を最初に書いたという。つまり構成としての整序がある。従ってテーマもはっきりと伝わる。それに比べて「城」は行き当たりばったりでしかも未完のまま残された遺作と言う。苦労して意味を慮りながら読む価値は無さそうである。

 


カフカの「城」すくっとのばす?

2016-09-28 08:06:06 | カフカ

前田敬作訳新潮文庫P287、「すっくと伸ばす」なら分かるんだけどな。「すくっとのばす」は初見である。例によって広辞苑、これには無いようだ。もっとも広辞苑に無くても他の辞書にあることもあるけど。初めて見たのは事実です。

「折れ合う」もそうだけど、前田氏の訳は妙だ。普通こういう細かいことには気が付かないことが多い(気が付かないから、そういうことがあるのかどうかも分からないと言えるが)のに、この訳ではどうして目につくのだろうか。

細かいといえば細かい。朝の目覚ましアップは細かいのです。適当に鍵盤の上で指を走らせていると目が醒めてくる、というわけで。

それにしても、この「フリーダ、学校の小使い」パートは長過ぎるね。冗長だ。寓話的な意味もあまりないし。