穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

第D(21)章 カフカの謎

2016-09-20 08:15:33 | 反復と忘却

ウィトゲン石の話が出たついでだが、俺だって少しは本を読んだ。大抵は途中までだけどね。カフカの話を少ししようと思うんだが、まず変身ね。これは短いし全部読んだ。ムンムン度満点、迫力十分な面白い小説だ。 

それと「審判」ね、これも読んだ記憶がある。これは非常に世評の高い作品らしいが、つまらなくて最後まで読めなかった。最近ある書評が目に触れた。それに流し目をくれたんだが、この両書に共通点があるらしいと気が付いた。それで又読む気になった。

前に読んだ本が同じ訳者のものかどうかは、もう記憶がない。今回は池内氏の訳。一応買ったんだがまだ読んでいない。

両書とも同じテーマじゃないかと思ったのは、どうしてか理由も分からず災難に遭うという設定が同じなんだな。もっとも審判の方はインターネットという「汚水溜」のような海を漂流している「書評もどき」から得た知識なんだが。

変身では朝、目が醒めたら自分がゴキブリになっていたというんだろう。何故だか分からないというか書いてない。つまり「充足理由律」の圏外なんだ。審判もある朝、目が醒めたら逮捕されるが理由が最後まで分からない。読者にも、ということは主人公にもということだが。それで一年後に死刑を執行されるというわけだ。読者に「充足理由律」は開示されていない。なんだか似ているよね。

当然裏にカフカの経験と言うか見聞があるのだろう。勿論幾重にも原体験は変換されているのだろうけれど。カフカは膨大な日記を残しているらしい。カフカ全集というのがあるらしいが、買う気がしないしな。それに日記の中から原体験を探し出すというのは、堆肥の山のなかから真珠を見つけるような作業であまりぞっとしない。

ま、以上は俺の仮説なんだが、小説家である以上、その媒体である文章がすぐれていなければいくらテーマが斬新でも意味がない。随分昔に読んだ初読の印象が正しいのか、その後俺の文章鑑賞能力が向上して今回は面白く読めるのか、ぼちぼち試してみよう。