黒田家はかつての足利一族で、八代目九郎太夫義則の時(永禄年間1560年前後)に現在地《菊川市)に移り住んだとのこと。
江戸時代には旗本の代官職を務め、十八代・十九代では弓道に長じ、門下生300名を要したとのこと。明治後は平田村村長や、小笠町長を務めています。
( 垣根の向側は大きな長屋門があります。)
昭和48年、黒田家代官屋敷の佇まいがよく保管されているとのことから国指定の重要文化財となり、平成5年に米蔵や濠を含め屋敷全体が追加指定されたとのことです。
母屋は現在も子孫が居住していて室内はみられませんが、2~3月の梅の花のころは庭園が開放され多くの人々が梅の花見物に訪れています。(その梅の様子は当ブログで2/21にご紹介をしております)
梅の時期に公開された黒田家代官屋敷を画像でご紹介します。
(長屋門の裏側。)
奥へ進むと。母屋があります。ここは現在も居住していますので室内を見学することはできません。
(母屋の全体画像です。)
住宅の玄関前を通ると白梅の咲くガラス窓の部屋の前を通ります。
(整備された紅梅の咲く庭園)
( 焼き雛の展示で唯一室内を見ることができました。)
敷地内には大きな蔵が二つと米蔵があります。
東蔵(左)と西蔵。二つともかなり大きな蔵です。(近くまでは寄れませんでした)
米蔵の中にはかつて使われた道具などが収容されていました。
屋敷の周りをぐるり取り囲むように濠もそのまま残されていました。↓
(右側の濠が周囲を取り囲んでいます)
以上紅白の梅見物とともに黒田家代官屋敷の建物の様子などを見学してきました。
上の小画像は、代官屋敷前の広場で、、立派な代官屋敷の案内板が立っています。
規制で入れないところもありましたので、蔵や米蔵等の様子をパンフレットからの引用でご紹介します(白黒画像)
(平面配置図)
(パンフレットの画像より)
※ 代官屋敷には資料館が常設されており(月曜休館)、広い駐車場等も完備されています。