教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

緑陰教室:ひんやり熱田神宮の森で児童が勉強 名古屋

2009年08月05日 16時19分20秒 | 受験・学校

『 セミ時雨が響く名古屋市熱田区の熱田神宮の森で、約700人の小学生が屋外に並べた机で勉強する「緑陰教室」が開かれている。 同神宮が毎年開いており、今年で59回目。「国内でも最大規模の林間学校の一つではないか」と藤井和文・神宮教化課長は言う。先生役は神職を目指す学生ボランティアらだ。 4日午前9時前に集合した児童たちは、濃い木陰の下で算数や国語のドリルなどに取り組んだ。教室は8日まで続く。』毎日jp

自然の森の森林浴は、人間の肺にも昔から良いよいと言われてますし、森の自然の香りとオゾン一杯の空気で小学生の子供達の頭の働きも良くなり、算数や国語の勉強も捗るのではないでは無いでしょうか。人工的な冷房機の涼しさではなく 、自然の森の木陰の涼しさ は人間の体に優しく格別ですね。神職を目指す学生ポランテイアのチューターの皆さんもいて安心ですね。涼しい林間学校で勉強して、自然の大切さや自然の素晴らしさ、森の大切な役割も学んで下さい。熱田神宮の神様からの小学生の皆さんへの夏の涼しいプレゼントですね。皆産のサポートで来年も子供達の為に緑陰教室を続けて下さい。

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児童42人に体罰「遠足に別のお菓子持参」

2009年08月05日 13時46分02秒 | 受験・学校
 『児童42人に平手打ちや足でけるなどの体罰を加えたとして、福岡市教委は4日、同市城南区の市立小学校の男性教諭(41)を戒告処分にした。 市教委によると、4月27日に体育館であった5年生3クラスの体育の授業中、学年主任の教諭が、3日前の遠足に学校配布のおやつ以外の菓子を持ってくるなどした児童に起立を求めた。41人が立ち上がったため、男性教諭は児童の間を走りながら、手のひらや甲でほおを1回ずつたたいた。態度が不まじめだとして、別の男児1人の足もけった。児童らにけがはなかった。 教諭は市教委に対し「感情的になってたたいてしまった」と話しているという。 また、市教委は管理監督責任を問い、50歳代の女性校長を厳重注意処分とした。 』8月5日7時6分配信 読売新聞
この小学校の男性教諭、児童を殴りなれている先生だと思いました。
体育が上手な先生なので、いつも児童は、この先生に叩かれているいるのでは有りませんか。学校では怖い先生で通っているのでしょうね。
もう直ぐ8月15 日ですが、旧日本海軍兵学校出身者のように上手く叩き足でけられましたね。児童が皆怪我をしなくて良かったですね。三日前の遠足に学校配布のおやつ以外の菓子を持って来た児童がいて手のひらや甲で頬を一回づつ叩かれたのだと思いますが。学年主任の先生が叱られなくても学級担任が注意すべきことで、3日後に注意しても教育的効果が上がるでしょうか。遠足の時にしっかりその場で注意しないと子供達は言うことを聞かずに教育的効果は薄いと思います。もちろん三日前の遠足に学校配布のおやつ以外の菓子を持って来た児童が悪いですが。子供に注意したり、叱ったりする場合はその時、その場で注意しないと後からでは子供達は反省しないのではと思います。亡き母がいつも悪いことをした場合には、その時、その場で注意したり、しかったりしないと子供はいうことを聞かないといつも言っていました。何で3日前のことを今更しかるねんと子供達は心の中で表いると思います。九州出身の学校の先生は、比較的生徒を叩いたり、殴ったりする先生が多いですね。家庭の躾も小さい時から厳しいのでしょうね。
私の出身中学校で、教育実習の時、お世話になったk先生は海軍兵学校御出身で特別攻撃隊り生き残り組で、いつも連帯責任ばかりで朝から晩までびんたの連続で、殴られてばかりしていたと私に言われました。戦後軍国主義教育が嫌になり、中学校の先生になられてから一度も生徒を殴ったりしたことは無いと言われました。体罰反対論者で、先生が生徒を常日頃から殴っていると生徒の心が萎縮するので、良くない。学校の先生は、生徒を殴ってはいけないと言われました。タバコとお酒好きで肺気腫になり亡くなられましたが、中学生には反復学習が大切と言われていたことを今も思い出します。
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<体罰>柔道部教諭が強要 女子部員けが 静岡・富士宮

2009年08月05日 12時20分45秒 | 受験・学校

 『静岡県富士宮市立中学校の柔道部顧問を務める男性教諭(49)が昨年8月、練習中に女子部員に体罰を加え、けがをさせたとして、女子部員と保護者が県警富士宮署に被害届を出す意向であることが3日分かった。教諭は男子部員に、女子部員の顔を両手ではたかせていたとされ、県教委などは教諭から事情を聴いている。
  関係者によると、体罰があったのは昨年8月30日。診断書によると、女子部員は頭部打撲と口の中を切り10日間のけがだった。県教委に匿名で告発があり発覚。県教委や市教委は7月24日、教諭と女子部員の保護者から事情を聴いた。その際、教諭は女子部員を「指導用の竹刀で2、3発たたいたと思う」と説明した。 教諭は取材に「自主的に謹慎しており話せない。教育委員会に聞いてほしい」と話した。市教委は「調査中であり、全体がわかるまで、話せない」としている 』 8月4日毎日新聞  

この男性教諭は男子部員に、女子部員の顔を両手ではたかせ頭部打撲と口の中を切り10日間の怪我をさせたらしいですが。男子柔道部員に叩かせるなど持っての他で、この教諭は指導用の竹刀で2、3発女子部員の頭をたたいたと思うとも説明しています。柔道部顧問この教諭は、柔道を教えている柔道部員に対して責任が有ります。ましてや女子柔道部員2怪我にさせたのですから、教育者としての責任を果たすべきです、しごきや柔道部員を見せしめに叩いて柔道は果たして強くなるでしょうか。富士宮市立中学校側も静岡県教育委員会に匿名の告発が有るまで放置していたのは問題です。女子柔道部員が怪我をしたのですから、この中学校には学校としての管理責任が有ります。いじめやいじめによる自殺も体罰で怪我をした場合も学校側が事実を明らかにし、責任を持つて調査しないから、生徒が自殺まで追い込まれてのでは有りませんか。不登校の原因もが学校が作っている場合原因もあると思います。体罰は、生徒を萎縮させる原因にもなります。中学校側も静岡県教育委員会や富士宮市立教育委員会に任せるのではなく、この怪我をした女子柔道部員の保護者に体罰事件をもみ消していると言われないように中学校として責任をうやむやにせずに、責任を果たすべきでは有りませんか。今後中学校としての保護者の信頼を得る為に責任を持って対応すべきです。学校教育を担う学校が、学校で起こっている問題にすばやく対処し学校として責任を果たさないから、生徒も良くならないのではないでしょうか。生徒が良く問題を起こすのは、学校側にも問題があると想います。最近柔道の精神が、忘れられているのでは有りませんか。講道館の創始者で、柔道の父と言われている嘉納治五郎先生の「柔道の心」をもう一度学び直す必要が有るのでは有りませんか、美空ひばりさん「柔」の歌にも有りますように『勝つと思えば負けよ。負けてもともと』と言う歌の歌詞が有りますが。柔道の技や体力維持ばかり重視して、最近学校では対外試合に勝つことばかり考えて柔道の道、柔道を通じて人格形成を目指す精神がないがしろにされているように思えてなりません。学校教育に取り入れられている目的も柔道を指導する先生は良く考えるべきでは有りませんか。中学校から優れた人格者の柔道指導者が必要です。講道館柔道の創始者嘉納治五郎先生の教えと精神を講道館柔道のホームページより下記に引用させて頂きました。

『講道館は、1882年(明治15年)に嘉納治五郎師範によって創設されました。講道館柔道の創始者、嘉納治五郎師範は少年時代から身体が弱くなんとか強くなりたいと柔術を修行しました。はじめ天神真楊流柔術を、続いて起倒流柔術を学び、それぞれ奥義に達しましたが、他の流派にも興味をもち、研究に打ち込み、諸流のよさをとりいれ、さらに自らの創意と工夫を加えた技術体系を確立するとともに、理論面でも柔術の「柔よく剛を制す」の柔の理から「心身の力を最も有効に使用する」原理へと発展させ、新しい時代にふさわしい技術と理論を組み立てました。「精力善用」「自他共栄」師範書。嘉納師範はこの原理を「精力善用」の標語で示し、これこそ柔道技術に一貫する原理であるとともに、社会生活すべてに於ても欠くことのできない重要な原理であることを明らかにしました。そしてこの原理を実生活に生かすことによって、人間と社会の進歩と発展に貢献すること、すなわち「自他共栄」をその修行目的としなければならないと教えました。主とするところは「術」ではなくこの原理と目的により自己完成をめざす「道」であるとして、術から道へと名をあらため、その道を講ずるところという意味で名づけられたのが「講道館」という名でした。嘉納師範は、一般に言いならわされていた柔術を柔道として単に技を修得するだけでなく、天下の大道を学ぶものとし、その教育場を「講道館」と呼んだのです。講道という語には、道を学び、明らかにし、実践するという意味があり、講道館柔道と名付けて柔道の本質を明らかにしているところに、嘉納師範が、いかに道を重んじ、その修行を一生の大事としていたかを知ることができます。嘉納師範は、柔道修行の目的は、攻撃・防御の練習によって身体を鍛練して強健にし、精神の修養につとめて人格の完成をはかり、社会に貢献することであると示されています。』

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