『歌手で俳優の福山雅治(40)が29日、出身地である長崎市の稲佐山公園で凱旋コンサート「夏の大創業祭 音返し!」を行った。デビュー20周年を迎え、地元に恩返しをしようと企画。会場から約5キロ離れた同市ビッグNスタジアム(長崎県営野球場)には県民を無料招待し、この模様を生中継。告知なく球場に登場するなど、心憎い演出の数々で故郷に錦を飾った。 「ピッチャー福山。背番号40」。ウグイス嬢のアナウンスがビッグNスタジアムに響くと客席がどよめいた。スクリーンには「始球式」の文字。ユニホームを着た福山がマウンドに駆け上がると、悲鳴に似た歓声がわき起こった。 小学5、6年の時、ソフトボールの経験があり、腕を風車のように回すウインドミル投法で投球。事前告知のない演出に観衆は総立ちで大喜び。福山は「ただいま帰ってきました。長崎史上最大にして最高のライブにする。皆さんの力を貸してほしい」と開幕宣言した。 球場を後にすると約5キロ離れた稲佐山公園にヘリコプターで移動。開幕セレモニーから約15分後にステージに立った。今度は観客1万5000人を前に「長崎で生まれ18歳で上京したけど、生まれて初めて上空から長崎の街を見た」と笑顔。ヒット曲「HELLO」「18~eighteen~」など全26曲を披露し「こんなに背中を押してくれる人がいる。これからも自信を持って歩み続けたい」と抱負を語った。 開催へ向け、地元のボランティア団体が昨年、県民約6万人分の署名を集めた。福山は「地元に恩返しがしたい」と、30日の公演と合わせて県民計5万人を球場に無料招待。開幕のサプライズ演出は、県民を思って急きょ盛り込んだ自身のアイデアだった。 球場のグラウンドの中央に縦6メートル、横10メートルの巨大スクリーンを3台、内外野のスタンド席から見えるよう三角形を作るように設置。時折ヘリコプターが両会場を空撮し、カメラアングルが何度も切り替わる迫力満点の生中継。終盤には計約12万個の電球が両会場を彩り、最後に500発の花火が打ち上がった。「また会おう。バイバイ」。採算度外視のステージで、故郷にありったけの感謝の気持ちを伝えた。』スポニチアネックス
福山雅治さんの音おん返し、長崎県民とファンへの本当の恩返しですね。長崎で生まれ18歳で上京し、故郷に錦を飾りましたね。「 こんなに背中を押してくれる人がいる。これからも自信を持って歩み続けたい。」ファンの皆の後押し、応援や暖かい声援が無いと生存競争の激しい芸能界で成功するのは難しいでしょう。誰でも成功を夢見ますが、有名になり成功する芸能人は僅かです。成功するには、天分と素質、努力とそれに恵まれたチャンス、幸運が不可欠です。「採算度外視のステージで、故郷にありったけの感謝の気持ちを伝えた。」長崎県民の皆さんやフアンへの感謝の気持ちが、今日の福山雅治さんを成功に導いたと思います。「日々感謝することが貴方に富をもたらす泉となります。」ウォレス・ワトルズも弟言っています。ザ・シクレツトより引用。福山雅治さん(40)が「長崎原爆の日」の8月9日、エフエム東京をキー局に全国に放送された番組「福山雅治のSUZUKI Talking F.M.」の冒頭「1945年8月9日に、地球上で二つしか投下されたことのない原爆の二つ目が投下された日でもあります」と語り始めた。続いて「僕の父親はもろに被爆しましたからね。母親も、まあ厳密に言うと被爆してることになるんですよね。だから僕は被爆2世ということになるんです」と話したで、長崎原爆による被爆2世であることに触れ、平和について語りました。これからは御自分の歌を通じて世界平和にも貢献して下さい。ちょうど今年は数え年41歳の厄年ですが。健康管理に勤められ、福山雅治さんのフアンや長崎県民の皆さんの為に大いに役立っ年に、良い役に付かれる年にして下さい。これからの福山雅治さんの益々の御活躍と御発展を心からお祈り申し上げます。